|
同じ三色旗の下に、ラケットを振り回して何年かの苦楽を共にした多数の諸先輩を、今度は縦に大同団結して、吾等の軟式庭球部を庇護翼成・激励陶冶せんとする此の三田軟式庭球倶楽部は、昨年秋、時も早慶戦の当夜に力強く呱々の声をあげました。何年来かの部員一堂の熱烈なる希望が、はしなくも茲に実現するを見て、私共現役は更めて時の流れ、そしてそれを肉づける諸先輩の方々の母校とテニスに対する若々しい情熱の流れをしみじみと知ったのでした。
同じ道、而もそれが運動であった場合、そして又三田という名の下に集う者にとっては、それを志す者すべての意思と力が全く同じ方向へとの矢を示す事が、当夜の杯の間に如実に感ぜられて愉しい発足の餐でした。
× ×
そもそも此の様な目的を具体化して規約に定めてある様な様々の活動を行はんという計画が持たれたのは昨今の事ではありません。丁度今から4年前、軟式庭球部が塾体育会に加入を許されてからの部員の念願でした。そして当時以来部のマネージングをされて居た高橋昭二先輩が、益田・倉橋両先輩の御協力の下に非常な努力を重ねられて、現在の三田軟式庭球倶楽部の母体たるものを作っておいて下さったのです。戦後等に依って離散した先輩の名簿を集める事等、苦労の割に成果の目立たぬものだった事でせう。現在心から感謝している次第です。
そしてこゝ1・2年2部に呷吟して躍進への途を探索して居る当軟式庭球部を叱咤し、或いは又清新の気横溢した精鋭をより多く迎へんが為に、此の三田軟式庭球倶楽部を一層強力に組織化すべく、又一層大きく機動化すべく、不肖私が命を蒙ったというわけなのです。
高橋先輩その他の方々によって作られた土台に出来る限りの石を重ねセメントを注いで、せめて一歩でも対岸の全国制覇への道を短かゝらしめんと志したのです。
× ×
其の端緒となったのは、去年7月の長野県岩村田に於ける合宿でした。その合宿は東日本選手権と全日本選手権とにはさまれた慌しくも苛烈な合宿でしたが、その同じ軒?に岩井英夫監督の外、往年の塾のみならず全国的な名選手山本義路先輩と国見和宏先輩の御参加を得たのです。私達はコートに在って球を追う以外に両先輩が交々語られる昔話を愉快に聴き、そしてそれによって大きな刺激を受けました。
「勝つ」という事の基盤にあるところの精神的な強さ、即ち勝利者がその勝利を得る為に必ず培はねばならない精神の面からの強さ……これが先輩の繰返し話された絶対的な結論でした。斗志だとか技術だとか、或いはコーチだとか、それらのすべてを含めて而もそれを超えたもの、その大きな広い心の安定が勝利への圧倒的な強みを発揮すると強調されるのです。
私たちはそれの至る道として、その精神を育む沃地として、先輩の方々の一致協力を願ふ機関を先ず確立する様助言を受けました。之が昨秋11月16日の三田軟式庭球倶楽部創立総会の運びに至ったのです。
× ×
丁度、昨年度の全早慶戦は早稲田が当番校でした。私達にとってやりにくい事此の上ないのは第一に此の事でした。というのは、お忙しい先輩の方々を多く集めて創立総会を催すのに此の早慶戦が唯一の格好な機会であったからで、主として会場たるコートに就き、早稲田側が試合終了後の懇親会の便を考えるのに対して、我々の方は総会の会場や、先輩の交通の便を考慮したかったからなのです。そして何度かにわたる交渉の結果、我々の我儘を通させて貰って、その場所を都心の日比谷公園コートにする事が出来ました。そこは早稲田と慶応の、好敵手としての伝統的な仲の良さがなせるわざでせう。早稲田の当事者に感謝します。
さてその次にぶつかった難問は、通信費や交通費にも事欠く程の資金難でした。何分部の財政自体が少しの余裕も許さない状態ですので、その方からの支弁を全く期待するわけに行かず、結局部員の誰彼の自己負担や、父兄からの小額づつの借金を仰ぐより外道がありませんでした。経験浅い私達の要領の好し悪しが交通費の高によって決まって行く様な気もするし、どうにも此の面の苦慮が正に「心配」に違いありません。金の多寡によって、総会乃至は三田倶楽部そのものの望むべき活躍が制約されんえばならないという事は、それがあまりにも当然過ぎる事であるだけに、一人しゃくに障ったのも寧ろ滑稽な経験でした。
第3番目に当面したのは、名簿の不備による連絡の不徹底でした。高橋先輩の調べられた名前、或いは石曽根主将の持って居た名簿等を照らし合わせても、確実に判るのは僅々30名程度。何十年も続いたクラブ時代からの歴史を思った時、その数の少なさに却って驚いた様な始末です。山本義路先輩等から古い卒業生の方々をお聞きするやら致しましたが、結局は私達だけでは広範囲を踏査するすべもなく、之は後日相当の日数をかけて芋づる式に訪ね歩く外はないという事になって、一先づ知りうるだけの先輩をお招きする事にしたのです。一度学校を卒業して多忙な実社会に入ってしまったら、常に能動的な連絡機関が活発に働きかけない限り、相互の連携はいつしか忘れるともなしにおろそかになって行ってしまう事を知り、その面に於ける三田倶楽部の重大な使命を更めて感じた次第です。
茲におわびせねばならないのは、医学部出身の先輩の名簿を整備する暇がなく、森先輩、山岸先輩等、わづか2・3人の方にしか御連絡できなかった事です。創立総会席上に重ねて強調された如く、此の三田軟式庭球倶楽部が三田・四谷をうって一丸とする協力体であるという事からして、今後四谷医学部の方との連繋をより一層強化することが必要であり、同じ慶応の名に連なる者としてのこれからの人達の施策を切に望む所です。
× ×
以上の様な経過をたどって愈々11月16日、創立総会の日を迎える事になりましたが、その時の全早慶懇親会に早稲田の板野監督が述べられた激励の辞……いや、或いは勝者の歓呼……は皮肉とも何とも、総会を控えた時が時だけに切歯扼腕したことでした。そして板野監督の「先輩頑張れ」「現役ぼやぼやするな」の言葉を背にして総会会場へと向かったのです。
総会の模様は多言を要しますまい。規約の制定に多少の曲折を経た後、あとは飲み、且つ語らひそして又歌い、テニスへの情熱と部への愛着を通した愉快な和気の一夕でした。
それはここに至る責任者としての私にとって実の此の上ない慰安の杯であったのです。茲に、改めて諸先輩のご尽力を心から感謝いたします。私の微力から、幾多の不備と今後なすべき問題の山積とを生じはしましたが、兎にも角にも懸案の三田軟式庭球倶楽部が発足の日を迎えるに至った事は、三田の山に根ざした伝統の力と、諸先輩或いは現役一同の御苦労の賜と歓ぶ次第です。此の上は三田倶楽部が愈々その結束を固くして会員相互の親睦を保ち、吾等の軟式庭球部に昔日の月桂冠を与えられるよう、漸新発展して行く事を切に祈るのみです。
そして……時は春……。霜雪の中から今こそ立上った若芽が此の軟式庭球部なのです。三田倶楽部という暖かい陽光の下に、伸びずには居られない意気と力を持って、来る新シーズン、そして又次のシーズンを多くの諸先輩や三田の山の同僚に立派に誇示せねばなりません。必ずやそうある事を期待します。
× ×
私は今、此の仕事を最後として学窓をあとにします。慶応入学以来の5年間を顧みた時、感慨無量たるを得ません。有る時は一心に部のために働き、或る時は上級生に迷惑をかけた我儘も発揮しました。併し、今にして私の学生時代の想い出がすべて此の「軟式庭球部」に連なって居る事をつくづくと喜んで居ります。特に最後の1年間、夏の合宿生活、奈良・京都への転戦、或いは秋の全早慶戦、日光に於ける納会、そして此の三田倶楽部誌編纂等々、尽きない想い出の数々は、私の一生を通じての生々しい貴重な体験になる事と心から有難く思って居る次第です。
卒業した後にも、私は慶応義塾体育会軟式庭球部の出身者として、其の事を多くの人に誇示します。そして吾等の軟式庭球部がその名に恥じぬ様に、実際的にも内面的にも充実したものになるよう、及ばずながらの力を添えたいと思って居ります。なにとぞ諸先輩やこれからの部の建設に当る方々も一臂の力をお藉し下さるようお願いいたします。
最後に天野貞祐先生の言葉をかりて、私自身の教訓とも致したく、茲に僭越を顧みず紙面をいただく次第です。
「運動のチームは社会の縮図、否一つの社会である。生きた全体である。各成員がそれぞれ独立な活動を営み、しかも一つの活動となる。全体の活動は各成員の活動であり、各成員の調和が全体の生命である。それ故、全体を強くする道は各自がそれぞれの持ち場に於いて全力を傾けるにある。然し又如何に全体の調和が取れていても各選手に実力がなければ強力なチームの成立するわけはない。実力のある選手が居れば必ず強力なチームが成立するとは限らぬけれども、協力者が居なくては強力な全体は成立しない。ここに個人というものの如何ともし難い重大な性格がある。全体的とか一致強力とかいうことは、個人の滅却ではなくしてその充実であるという事理が運動に於いて実によく体験会得せられる。全体的とは各成員が同一になることではない。その特殊性を放棄してしまうことではない。直接にではなくして自己の持ち場を通じて全体へ参与することである。
此の体験の如く重要な会得は人生において少ないであろうと思う。此の体験によって、我々は自己が単なる個人ではなくして全体の一員としての個人であることを会得する。他人は単なる他人ではなくして、全体に於いて自己と一である。かくして養はれる全体的体験が責任感となり、没我的精神となり、ひいてはリードに油断せず、ピンチに屈しない性格を育成することになる。凡そ我々が人生に処するに当って、之等の性格に比しうる徳が外に多く存するであろうか。順境に居て驕らず、逆境に居て卑屈にならぬ人こそ眞に勇気ある人と称すべきであろう。傲漫でもなく卑屈でもない人物にして始めて信頼するに足りるのであるが、スポーツに由ってまさにそういう徳が育成される、若しくは育成される筈だと思う。

|