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春になると三田の山でも新陳代謝が行われる。三田山上に新人として迎えられたのも、つい昨日の様な気のしている中に、旧人として押し出され、社会への第1歩を踏み出す事となった。
部生活に終わりをつげ社会への第1歩を踏み出すに当り所感や反省等を記してみる。
国民にはそれぞれ国民性があり、学校にはそれぞれ校風がある。塾には福沢先生以来の塾風がある。同様に体育会各部にはそれぞれ部風とも言うべきものがあると思う。体育会の伝統の古い部には永らく先輩より受け継がれ、部員一同を指導している部風があるであろうが、伝統の浅い我が軟庭部には部生活を指導すべき堅実な部風がまだ確立されて居らない。軟庭部は人間に例えれば未だ自己に目覚めない少年にあると思う。対外成績の良し悪しはともかくとして部員1人1人に体育会精神を理解せしめ堅実な部風をかもし出す事が軟庭部発展の基礎ではなかろうか。
新しく生まれた部の部風なるものは、部員が一体となって創り出すものであるのは勿論であるが、その前提条件として塾体育会の一部である事を忘れてはならない。過日部員総会にて部の性格について色々と意見が述べられたが、我々の部は我々のものであると共に、否それ以前に体育会所属の部なることを忘れてはならない。
かかる理屈はさておき、部員としてなすべき事は1にも2にも練習である。たゞ練習あるのみ。私は部生活を通じて何度試合に負けて涙をのんだか知れない。併しそれ以上に負けた原因たる所謂練習不足苦しい練習の不足に考へ及ぶ時、何とも言へない淋しさを感ずる。試合に敗れて始めて苦しい練習に泣かなかった愚かさを知るのである。部生活を省みてどうにか満足?のゆく試合をしたのは1,2度とは非常に寂しく感ずる。それにつけても照井先生の言われた「軟庭には本当にテニスの好きな者が居ないのではないか」と言う言葉が想い出される。部員諸君の真摯な努力を望む。
今春14名もの多くの部員が学窓を去った。しかもこの大半がレギュラーとして活躍して来た。しかも新入生から既成選手を望む事も出来ないのは残念である。他校に於いてはレギュラーの卒業は1人か2人で、而も優秀なる新人を数多く迎え、その穴を埋めて尚余りある様子である。之を思うと今年度の前途は更に苦しいものであろう。併しこの事実は考え方によっては悲観すべきものではない。自己の力を発揮すべきときと、努力すべき良き目標を得たからである。今までは大部分の試合を14名の卒業生にまかせきりで居たのが、いよいよ自分の力で担ってゆく時が来たのである。真剣な練習苦しい練習、この努力が何ものにも増して尊いものとなるである。
外部より新人を望むことが不可能となった現在、学内で新人を養成せねば絶対に他校と対抗しえなくなってしまうであろう。高校軟庭部の充実は最も重要な課題である。昨年度に於いても、その重要性が叫ばれて居たにも拘らず、実際には残念ながら多くをなし得なかった。それには対外試合の多すぎる事等色々原因はあったが、今年度は他の事を多少犠牲にしても指導に当らねばならないと思う。昨年度も時には行った事であるが、大学と高校との混合試合も日々行うことも一策であろう。
学窓を去って、過ぎし日の部生活を思い浮かべる時、合宿練習、遠征に於ける辛さも総てが懐かしい。1年生の頃ネットを包んだ大きな風呂敷をかついでコートへ通った時の事、縁起をかついで試合の前夜“しるこ”をくいに行った日々、合宿での駆け足でもどしそうになった時の事、主将として関西に遠征した時の事等総てが懐かしい想い出である。苦しい事が多ければ多い程、懐かしい想い出となって残るものではないだろうか。
最後にこの数年間色々御指導御鞭撻下さった、石丸・照井・河村先生始め諸先輩方に深く感謝の意を表すると共に、現役諸君の御健闘を祈って筆を置く。
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