1955年部報・第3号

トピックス

1954年度版

○もつべきものは先輩

上田遠征の際、計らずもM・E君がキャッチした先輩は、また良き先輩であった。   その夜―それは試合前夜であった―われわれは招待を受けた。先輩ならではの歓待、出るわ出るわに俄然気を良くした現役陣、そのファイトの前には、最後に出たビールに対する良心の呵責も、遂に屈せざるを得なかったのである。−帰宿時迫る−ホテッタ顔面をカバーせんがための涙ぐましき努力―その努力は遂に報いられたもののようである。

 

○慶応とカラス

試合場へのバス、それは某女子大選手との同乗であった。車中に流れる美しい女声合唱、対抗して立った我がH・M君の独唱、それはさすがにフェミニストの選んだ歌である。  "カラス 何故鳴くの、カラスは山に・・・"我々は俄然これに同調、続いて"夕焼け小焼けで日が暮れて・・・"益々好調に女性軍を迎えて"カラスの赤ちゃんなぜなくの・・・・"
完全に圧倒しきって意気揚々コートに降り立ったのだったが。
 後日某嬢「慶応の人はカラスの歌しか知らないのかしら?」と云ったとか云わなかったとか・・・・

 

○老軟庭ファン

 全日本選手権(宇治山田)でのこと、T・M君はそのスタンドに於いて、熱心に観戦していた一老人と懇々と知己になった。事は彼が、「オッサンもテニスをやってたんですか」と老人に問いかけたに始まる。
 老人はスポーツマンであり、歌人である。やったことのないスポーツはレストフェンシング位であると歌に詠んだ。語り且つ詠み、詠み且つ語る。そして一首出来上がるごとに小さなノートを切って彼に手渡す。結局、手渡された歌は十数首にもなったが−ここのその一をご紹介しよう。
   総裁の官の御詞胸に込め
      世界に名を馳す選手となれや 

 

 

 

 

 

名物男三人
   大いに語る!

                       放談 大石 繁徳 昭和27年・政(主将)
                           黒沢 秀夫 昭和27年・文(副将)
                           高橋 昭二 昭和27年・経(主務)

 

 

 大石 いやもう、あのころの合宿といったらひどいもんだったよ、だいたい食糧事情が悪くてね、イモのシッポなんかはいってるんだからな。
 高橋 そうなんだ、酒もシロザケでな、それを何杯もやったもんだ。
 黒沢 だけど練習は良くやった、真剣だったからな。――何かい、今の連中はコートにムシロしいてるか。つらかったよあれは。しかし、何だなあ学校友達ってのは社会へ出てからいいな、殊にスポーツの仲間ってのはなあ。社会へ出てから本当の友達なんっていってもそりゃもうむりだよ。利害関係を意識してて。
――皆さんとても気があっておられるようですが。

 大石 ウン、いつも一緒だった。でもこれで良く喧嘩したんだよ、黒沢と良くやった。――ケンカっていや酒田の合宿ん時が一番すごかった、すごいとっくみ合いをやったよ。
 高橋 ほんとに俺りゃあんときどうしようかと思ったよ。こんな合宿いたってしょうがねえ、すぐ帰るなんて言いだすんだもんな。帰られちゃどうにもなんねえし困っちゃってなあ。
 黒沢 でも翌日はカラリとしていた。こんなにケンカしても、それがえみな部のことについてなんだから。
 大石 そうなんだよ。たとえばこうだ。オレはウマイ奴とばかり打てばいいっていう意見だった。だけど黒沢はそれじゃヘタな奴がのびられない。そんな法があるかって具合なんだ。この事についちゃいつもケンカした。それ程、部を愛していたというのかな、とにかく熱心だった。
 高橋 そうして最後には皆ないちゃってな。おまえも、おれもな。(笑) ――いまじゃ笑うけど、ほんと。
――この頃、面白い。チョンボなのがいなくなりましたね。一人でいいんですけど・・・・皆良く勉強する様になって来ましたよ。

 黒沢 ウンそうだな、だけどそりゃいい傾向だと思ってるよ。だいたい時代が違ってきてるしね。
 大石 そうなんだよみんな勉強しなかったからあのころは。授業へ出ないのをいばりあったこともあった。
 高橋 だけど大石は結構あれで努力家なんだよ。
 黒沢 だけど、皆が仲良くなるには、これも手伝っているよ――(と盃をかざす)やっぱり飲めなきゃ。どうだい今の部員は、皆強いか。
――大分強い者ぞろいの様です。三人の中じゃだれが一番強いんですか。
 大石 まあ同じ位だな。

 高橋 ウン同じだな。
 黒沢 とにかく皆気が合ってた。幹部きめる時だって自由ヶ丘だったか一寸一杯やりながらお前、キャプテン、お前はマネージャー、いいなといった具合に、決まるんだ。それで何の異論もないんだ。
 高橋 やっぱり皆の気持ちが一体にならなきゃ部の力は強くならない。なるたけ練習以外の時も一緒に生活するんだな、私生活をしばるくらい・・・・っていうんじゃないけども。ほら、「和」という字があるだろう、あれは禾(ノギヘン)が、カホンカ植物でそれを口にする―同じ釜のめしを食うという意味があるあるらしいんだ。同じ釜のめしを食った奴は仲がよくなる。そういう点でも合宿なんかするってのは、いいことだね。
 黒沢 そうかなるほど、ナカナカいいこと云うぞ。
――それじゃおわりに、なにか最も感激したっていうか――印象に残ったことを一つ。

 黒沢 そうだなあ、そういわれると何だけどやっぱり部に熱心のあまりケンカしたことかな、教育大に勝った時のこともその一つだな。
 高橋 感激の連続だったよ。

 大石 ケンカのこと・・・・ただただ感激の連続だなやっぱり。そうそう思い出したけど甲府の合宿の時は傑作だった、何しろすごかったよ
 黒沢 それは一寸ここじゃ云えないこともあるな。これはこの次だ。
 高橋 大石 そうそう、この次にしておこう。

 

 
部報・総目次へ
     HOME>お楽しみ>部報>1955年部報