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松田君が蒼白な顔をしてネットにかみついていた。「珍しいことである。」と思った。
火花を散らしてファイトが甘泉園の杜に昇華していた。コートに入ったとたんにこれがしーんとぼくの、身内に冷たい棒を通した。ファイトの根源は向う側宮内・松田組の鋭鋒と、塾側応援席の猛烈な気魄だった。もう1度「久しぶりだな。」と思った。が同時にぼくもいや応なしに、とうぜんファイとのかたまりにとびこんで行った。
言わずと知れた昨秋の入替戦の話である。負けたけれども楽しい痛快な後味だった。第1に沢山の先輩が来たこと。大阪から偶然久米君も来て、若手の先輩から倉橋会長までずらりと並んだのは心強かった。何と言っても、短時日の間にこれだけ密接な連絡がとれることは、努力によって生まれた組織力のものだ。吾々O・Bもそして恐らく現役の諸君も、このような組織力が有形無形の吾が部の「大きな財産」であることを如実に感ずるだろう。先輩は自分が現役の活動の場に顔を出すことによって何らかのプラスを与えていることを期待し、自認し度い。その意味で先輩は我儘である。だから逆に言って現役の諸君に大いに感謝している部分も多いのである。
入替戦のあの一致団結した気魄は忘れてはいけない。(……と僕自身に言いきかせる。)
先輩が沢山応援にはせ参じたことと同時に、その先輩が現役の活躍に感謝することが出来、そして将来への大きな期待と夢を持つ事が出来たあの旺盛なファイトがうれしかった。
今度の春はきっともっと素晴らしいだろう。
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春の合宿は平塚とのこと、東京から近いところにしていただいて有難い。自分が行けるか行けないかだけでなく、近いところでやれば寸暇をさいてラケットをかついで行くことの出来るO・Bがさぞや多いだろうと、それがむしろ有難い。
僕は中学校時代野球部に席を置いたことがあった。東北地方では指折りの名門と言われた山形中学だった。終戦直後で、復員したての血気盛りの先輩が暇にまかせて毎日グランドに姿を現した。ぼくらはまだほんの子供で練習というものはこういうものだと思っていたが、今から考えるとずいぶん物凄いスパルタ練習をやらされたものだった。毎日々々人数からすると部員1人に先輩2人位の割合でこづき廻され、最初50人位いた部員が遂には15人ばかりになってしまった。それでもその年、復活第1回の中等野球(現在高校)に東北代表として西宮にいけたのは、先輩のスパルタ練習のお蔭だったのだろう。それら復員先輩の就職が追々と決まってグランドに姿を見せなくなったと同時に山形中学野球部は凋落してしまった。
「平塚」というと、何となく明るい陽の当る、暖かい健康な処を印象づけられる。しかしぼくの合宿の思い出は大抵汗くささに始まって汗くささに終わった。
特にぼくが2年の時の夏、日吉のラグビー部の合宿所を借りて行った合宿は参った。10日間のうち雨は1日しか降らず、毎日々々汗にまみれてかわくひまもなく、むしぶろのような蚊の多い日吉でごろ寝だった。前住者が押入れの中に興味尽きないナントカ誌を大量に置いて行ってくれたので、ただでさえ暑苦しい夏の合宿が余計しめっぽくなって弱った。汗によごれた下シャツは我慢が出来なくなるまで着て、あとは捨ててしまった。
久しぶりでその時外食券の食事に御厄介になった。日吉の田圃に夜どおしやかましく鳴き続けていた蛙の声も思い出す。
此の合宿のコーチは露木さんだったと記憶する。先輩は殆ど何方も見えられなかったのではなかったろうか。
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昨年度(第3号)の部報に岡本(政)君が良い事を書いて居られた。
「下積みよ頑張れ、君達がいなくては部は存在しない!」である。
これを読んで同感の手を拍ったのはぼくばかりではあるまい。“Stick to my Bush”ということわざがある。生来運動神経に恵まれなくても、長い間のうちには少しは上手になるし、その人でなければ出来ない重要な仕事も部の中にはいくらでもある。部に生活し、部のためになることに意義を見出すことが必要であろう。学生時代の部生活は必ずやマイナスにならないであろうことを確信する。
今年の卒業生も三越の2名を初めとして皆一流会社へ入社が決まり、この部報が出る頃には夫々新調の背広を着て颯爽と歩き廻って居られることだろう。誌上遠くからおめでとうと申し上げる。
最近の部員諸君は皆よく勉強するようだが、ぼく等と同年代には体育会に愉快な男が多かった。決して所謂勉強の出来た連中ではなかったが、長い部生活の甲羅を経てきた彼等には何か知ら強いバックボーンがあって、たのもしかった。ある部員の某社入社試験における傑作が伝説になっている……………。
試験官(何をきいても判らないので業をにやして……)「それでは最近起こった出来事の中で君が最も重要だと思うことを1つ挙げてごらんなさい。」
某部員(これは又悪戯っぽく……)「はい、川上が100本目のホームランを打ちました。」
もう1つ、吾が部吾が友人の稀なる珍問答がある……。
試験官(助け舟の気持で)「では、最近君が読んだ本の中で1番印象に残った本を1つ挙げてください。」
某君 (即答……)「はい、35時であります。」
試験官「えっ? 君、それは25時じゃないか。」
某君 「ああそうでした。」
試験官「ではその著者の名は?」
某君 「さあ……。知りません。」
試験官「うーん。それはゲオルグだよ。ゲオルグって何国人だったかな。」
某君 「はい。ロシヤ人であります。」
試験官(又うなる)
という具合で、某君、その会社に入社してしまった。某君曰く、「面接試験の結果がよかったため」らしい。
今も張り切って勤めに精出して居られることだろう。
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学生時代の夢はずい分楽しいものだった。学生時代の夢は希望という形で果てしがない。つまり学生時代の夢は現実の自己を中心としてそれに立脚する部分が多いのである。それに比べるとサラリーマンの夢なんて実に雑駁そのものだ。サラリーマンの夢はまず希望という言葉におきかえることは出来まい。単に無責任な客観性を頭の中にえがくような場合が多いのではないか。少なくともぼくの場合は……。
テニスコートのある家に住みたい。
南面の明るい大きなテラスのある家、目の前は広い芝生であり、その先に手入れの行き届いたテニスコートがある。夏。毎朝早く起きて露を踏み乍らコートに出掛ける。相手は誰でも良い。30分、1時間、ラケットを振り廻して球を追う。朝食も、出勤も爽快なことうけあいである。春、秋。友人を招いてイミ・デ杯の争奪戦をやる。A君も招ぶ。みんな息子や娘を連れて来るのかもしれない。
……と、ことほど左様にぼくはテニスが好きだ。いやこれからもいよいよ好きになって行くことだろう。
今年1年、現役諸君の悔いのない活躍を心から祈る。
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