1956年部報・第4号

 〜卒業生の言葉〜

卒業にあたって                       
                          松本 健太郎

 

 何か書かねばならないとなると一寸戸惑ってしまう。と言うのは4年間の部生活の間、色々と思い出がありすぎて何を書いたらよいかと選択に困る。合宿の思い出、遠征のことなど。……

 とにかく“卒業”と言う言葉は一種の哀愁を含んで居り何となくセンチにならざるを得ない。何だか切り離されてしまう様な気がする。それだけに慶応という学校に愛着を感ずると同時に軟式庭球部というものに一層の離れがたい感情を抱かせる。本当に4年間なんて早いものだ。何することもなく過ぎてしまった自分の部生活を思い浮べ、あの時はこうして置けば良かった、あの時はこうすべきであったと思っても後の祭り、常に最善を尽くし得なかった自分の心構えの不十分を反省して今更のように後悔の念を禁じえない。

 去年の夏合宿の時、呉先輩の言われた言葉に「無心」と言う言葉があった。禅の言葉で、無我夢中ということであるらしい。口で言ってしまえば簡単なことであるが、テニスに於いても常に無我夢中でこれに打ち込むことは非常に難しい。しかし少なくともテニスをしている間はこの気持ちが必要であり、又向上への近道なのである。一心にテニスに打ち込むことが出来れば自分ではわからなくても技術の向上もあり自然に美しき闘志も湧いてくるものだ。又「撓心」と言う言葉がある。自惚れや不満を抱くことである。こんな状態になった時はすでに技術も止まり、人間的にも退歩しているものだ。スポーツマンにとってこれ程恐ろしいものはない。しかし1番陥り易いものである。ある程度の技術を身につけて来ると自然に自惚れや不満が出てくるのが常である。こんな時に自分を反省し、他人と和して行くことが出来る様に心掛けねばならないと思う。そうすれば更に技術を向上することも出来るし人間的成長も得られると思う。そして「空心」に到達する。剣の奥義は  “無想”である。無我の境である。テニスに於いても然り。

 何だか訳のわからぬ事を書いてしまったが部員の1人1人がこう言った気持ちになってお互いに協力しあって真剣な練習に励まれたならば、きっと近き将来に全国制覇出来る時が来ると信じて止みません。

幸い、今年は色々な条件に恵まれていると思います。更に心に鞭打って精進あらんことを祈ります。

 良き先輩、後輩に恵まれた庭球部の生活ともお別れですが、この間に流れる愛情は永遠のものです。私も出来得る限り日吉のコートに出て行って部員諸君と一緒に練習に励みたいと思って居ります。

軟式庭球部に幸あれ!

 

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惜 別


 
                        岩本 輝治

 

 松長いようで短かった4年間の学生生活、というよりも軟式庭球部生活を終了しました。数々の思い出は走馬燈の様に頭の中を去来いたしますが、静かに過ぎ去りし日を思い、今日を考える時、これが生まれて初めて経験する本当の感慨無量と言うものではないかと思います。

 私が始めてラケットを握ったのは、昭和21年の春も終わりに近い終戦後の、ラケット、ボール、ネット全てに不自由をしていた頃でした。以来10年間の学生生活はテニスの生活と言ってもさしつかえない様な生活でした。私の身辺の出来事のどの1つを取って見ても、どれ1つとして常にテニスに関係していないものはなかった様です。この間の楽しかった事、苦しかった事の数々はとても書きつくす事は出来ません。

 入部当時は上級生の言われる通り、無我夢中の毎日でした。しかしながらいつの間にか部に引きつけられ、その生活は僕にとってなくてはならないものになっていました。次から次へと来る困難、苦悩に会い、その1つ1つを乗り越えるひたむきな真剣な行為行動によって、何か精神的なものを得て苦しみの中に楽しみを感じる様になり、軟式庭球部の中に溶け込んで行き、部員としての自覚をはっきりと持つようになり、非常な愛着を感じたのでした。体育会の全ての部が持つ規律の厳正、如何なる苦難にも耐え抜く精神力、唯一すじに目標に邁進する今気力、フェアプレーの精神等々自然に長い間に培われた偉大なる力を得ることができました。これ等は一般の学生が普通に学校へ行き勉強をし映画にマージャンにダンスに熱中している間はけっして得る事の出来ないものであり、私は非常に感謝しています。

 昨年は部が大きく成長した大切な年であったと思います。その時にあっての松本主将、松田副将、太田、新倉、石堂、田処の諸君の部に対する熱意は一応その目的に非常に近い成果をあげたと考えています。これは部員諸君が良く松本主将以下に協力した事によるものでした。この大切なときにマネージャーの大役を受けながら私は、私の微力と、その責をやり通す体を持たなかった為に、私は私なりに目的を持ってその責についたにもかかわらず何の成果も上げ得ず、諸先輩及び部員諸君の御期待に適えず、かえって種々御迷惑をおかけいたしました事に対しましては、自責の念で一杯です。本当に申し訳ありませんでした。

 にもかかわらず、この4年間に受けたその恩は測り知れざるもので、河村部長先生、並びに先輩諸兄の御懇切なる御指導、御厚意、部員諸君の私に対する御友情に深く感謝いたします。本当に有難う御座いました。

 さて長い間同じ目標を目ざし、苦しみ、喜びを共にして来た部員諸君ともいよいよお別れかと思うと、卒業すると言う、普通の人にとっては大きな喜びも、懐かしい庭球部、日吉のコートとお別れする淋しさの方がずっと大きい事をつくづく感じます。

慶応義塾体育会軟式庭球部が輝かしき栄光の道を進まんことを希いつつ。…………。

 

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