1956年部報・第4号

 〜卒業生の言葉〜

“頼りにしてまっせ……”                       
                          松田 英三郎

 

 ―(1)―

 水ぬるみ………という季節ともなると、例年なら進級のことが気になってくるのに、今年は弁当をぶら下げてお店通いをしている。換われば変わる吾が身分に、考えると呆然となる。卒業できるか出来ないかで、もうお勤めとは気の早い会社もあるものだが、これがこれから一生を託す“オマンマの源泉”ともなると贅沢もいえない。

 10日間無遅刻、無欠席。当たり前と言ってしまえばそれまでだが、私にとってはまるで地獄の責め苦もこれ程ではあるまい、と感じられる。会社では未だ実務に入れてくれず、もっぱら教習所と言う所へほうり込まれ、いろんな事を教えてもらっている。重役さんというものは、健康に関して大体同じことを言う。思うに体が丈夫であるということは、よほど大切なことに違いない。

 そのほか、“頭の悪いとこは体力で補え”とか、“君たちはキリストにならにゃいかん。全ての女店員を平等に愛したまえ”、あるいは“ここ2,3年は月も見ず、花も見ずに暮らすんだ”……ともかくもっともな事を仰言る。サラリーマンというものが骨抜きにされるのも、無理はないと思う。

 わずか10日間、それも全然仕事をせずにこれだけの諦めを感ずるんだから、行く先思いやられる。社会人としての感想も、さし当り此の諦めばかりで、どうということもない。おそらく将来は、この諦めが習慣となって、不満足な満足になってしまうんだろう。

―(2)―

 4年間の部生活を振り返ってみると多摩川まで走って帰ってきたあの気分とそっくりだ。苦しかったけれど、ホッとして又走りたくなる。その直後は、もう2度とこんな辛いことをするものかと思うんだが、翌朝になると飽きもせず(?)顔を出してくる。好きだから出来たんだなァ、とわれ乍ら驚くんだが、それでもいろんな理由で部を辞めようとしたことも2度や3度はある。月並みだけど、辞めなくてよかった、と思う。

 とり敢えず、学業成績の良くなかった理由になる。どうせ一心不乱に勉強したって、ロクな成績が取れるわけでなし、第1そんなことのできる私でもない。それよりも学生時代に、自分の若さを傾けえたものがあったということは、なによりも意義のあることだった。今はトロフィーを前にして、人並みの感激に浸っている。

―(3)―

 卒業式には、とり敢えず東京へやってもらえるが、その後は何年間か銀座のネオンから遠ざからねばならない。東京に住むなんてことは一生なくなるかもしれない。東京の思い出となると、まず酒ということになる。飽きもせず酒は飲んだ。強い、弱いは別にして、よく飲んだ部類に入るだろう。銀座、新橋、渋谷、自由が丘、時には築地あたりをぶらついたこともある。それに、ダンスができないのにパーティと言えば顔を出していた。

 悔いと言えば、優勝カップにビールを並々と注いで、みんなで“まわし飲み”をしたかったのに、それができなかったのが残念だ。しかし、さし当り再来年でも、同志社の定期戦でカップがこっちのものになれば、その時はあやからしてもらいたい。これは部員諸君にお願いしておく。

―(4)―

 とりとめもない事を書いていると、きりがないが、頼りないのに偉そうなことばかり言ってた私が、選手として多くの試合の思い出をつくれたのは、先輩、同輩、部員諸兄の御鞭撻と、友情の賜であったと深く感謝している。部員時代に感じたあの上下一体の雰囲気は卒業すると思い出としてしか残らないが、何時までも消えることがないだろうし、また大切にとっておきたい。

 今のところ、バスに乗りおくれまいとして懸命の私ではあるが、1日も早く1人前の社会人になるよう、部の経験を生かして、明るく、健康に生きて行きたいと願っている。

感謝の気持ちと共に、部員諸兄の検討と朗報を期待し、大阪より祈っている。

頼りにしてまっせ!

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学窓を去るにあたって


 
                        新倉 肇

 

 送別会の感激もさめやらぬうちに、早くも社会に一歩をしるした今、原稿用紙を前にして何を書いたらよいか……全く4年間の部生活を回顧して感慨無量である。

 何よりもまず、意志も弱く、テニスの技量も未弱な小生が4年間の部生活を送らせて頂いた事について、先輩、同輩、及び現部員諸君に対して心から感謝しております。とりわけ、部生活の実であり花である合宿練習には1年から4年まで計7回、全て参加できた事を自慢にしたい。合宿生活こそあらゆる面で影響を与えるものであり、人格の形成に役立つものはないのである。何事も最後までやり遂げてこそ意義のあるものなのである。部生活こそ最後までやり遂げなかったら無意義である。この事を特に、今落伍しかかっている部員諸君に告げたい。

 部生活によって体得された健康、ファイト、実行力、協調性……等。社会生活に於いては全て必要である。小生現在会社において講習を受けている最中であるが、社会において一番大切なものは健康と実行力だそうである。健康と実行力は、部生活を体験したものは普通の学生に比べて非常に多く持っている事は自明の理である。実行力だファイトだといっても、理論で理解してもだめなのである。常に繰り返された激しい練習の中から必然的に体得されたものなのである。

 1、2年の下積み生活の経験が、社会に出て非常に役立つのである。この時に、指図を受ける能力が養われたのである。下積みの部生活をした人は素直に指図を受けることができる。この事は、将来になって他人に指図するときになって非常に為になるのである。

 以上述べた事より大事なことは、部生活によって本当の友達が得られることである。友達ばかりでなく先輩、後輩と数多くの知り合いを得ることができることは、何者にも変えられない宝である。このように部生活の意義と言うように誰もが知っているあたりまえのことを、社会に1歩ふみだして痛烈に感じましたので敢えて筆をとる次第です。

結論、勉強なんて少し位出来なくても、部生活に徹底したほうが社会にとって有益なる人間になれるという事だと思います。

スポーツに熱中できる人には、おのれを忘れて広い目で大局を見る事ができるからだと思います。

現部員諸君が有意義に部生活を送る事を祈って筆を置きます。

 

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