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―(1)―
水ぬるみ………という季節ともなると、例年なら進級のことが気になってくるのに、今年は弁当をぶら下げてお店通いをしている。換われば変わる吾が身分に、考えると呆然となる。卒業できるか出来ないかで、もうお勤めとは気の早い会社もあるものだが、これがこれから一生を託す“オマンマの源泉”ともなると贅沢もいえない。
10日間無遅刻、無欠席。当たり前と言ってしまえばそれまでだが、私にとってはまるで地獄の責め苦もこれ程ではあるまい、と感じられる。会社では未だ実務に入れてくれず、もっぱら教習所と言う所へほうり込まれ、いろんな事を教えてもらっている。重役さんというものは、健康に関して大体同じことを言う。思うに体が丈夫であるということは、よほど大切なことに違いない。
そのほか、“頭の悪いとこは体力で補え”とか、“君たちはキリストにならにゃいかん。全ての女店員を平等に愛したまえ”、あるいは“ここ2,3年は月も見ず、花も見ずに暮らすんだ”……ともかくもっともな事を仰言る。サラリーマンというものが骨抜きにされるのも、無理はないと思う。
わずか10日間、それも全然仕事をせずにこれだけの諦めを感ずるんだから、行く先思いやられる。社会人としての感想も、さし当り此の諦めばかりで、どうということもない。おそらく将来は、この諦めが習慣となって、不満足な満足になってしまうんだろう。
―(2)―
4年間の部生活を振り返ってみると多摩川まで走って帰ってきたあの気分とそっくりだ。苦しかったけれど、ホッとして又走りたくなる。その直後は、もう2度とこんな辛いことをするものかと思うんだが、翌朝になると飽きもせず(?)顔を出してくる。好きだから出来たんだなァ、とわれ乍ら驚くんだが、それでもいろんな理由で部を辞めようとしたことも2度や3度はある。月並みだけど、辞めなくてよかった、と思う。
とり敢えず、学業成績の良くなかった理由になる。どうせ一心不乱に勉強したって、ロクな成績が取れるわけでなし、第1そんなことのできる私でもない。それよりも学生時代に、自分の若さを傾けえたものがあったということは、なによりも意義のあることだった。今はトロフィーを前にして、人並みの感激に浸っている。
―(3)―
卒業式には、とり敢えず東京へやってもらえるが、その後は何年間か銀座のネオンから遠ざからねばならない。東京に住むなんてことは一生なくなるかもしれない。東京の思い出となると、まず酒ということになる。飽きもせず酒は飲んだ。強い、弱いは別にして、よく飲んだ部類に入るだろう。銀座、新橋、渋谷、自由が丘、時には築地あたりをぶらついたこともある。それに、ダンスができないのにパーティと言えば顔を出していた。
悔いと言えば、優勝カップにビールを並々と注いで、みんなで“まわし飲み”をしたかったのに、それができなかったのが残念だ。しかし、さし当り再来年でも、同志社の定期戦でカップがこっちのものになれば、その時はあやからしてもらいたい。これは部員諸君にお願いしておく。
―(4)―
とりとめもない事を書いていると、きりがないが、頼りないのに偉そうなことばかり言ってた私が、選手として多くの試合の思い出をつくれたのは、先輩、同輩、部員諸兄の御鞭撻と、友情の賜であったと深く感謝している。部員時代に感じたあの上下一体の雰囲気は卒業すると思い出としてしか残らないが、何時までも消えることがないだろうし、また大切にとっておきたい。
今のところ、バスに乗りおくれまいとして懸命の私ではあるが、1日も早く1人前の社会人になるよう、部の経験を生かして、明るく、健康に生きて行きたいと願っている。
感謝の気持ちと共に、部員諸兄の検討と朗報を期待し、大阪より祈っている。
頼りにしてまっせ!
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