1956年部報・第4号

 〜卒業生の言葉〜

合宿の思い出                       
                          太田 太喜男

 

 消灯時間はとっくに過ぎたが、余り蒸し暑いのでなかなか寝つかれない。寝返りを打つと隣のI君、M君も矢張り眠れぬのか声をかけた。

「オイ、眠ったのか?」

「こう暑くては眠れやしないよ。皆は寝たらしいけど。」

「障子の所へ涼みに出ないか。」

 こうしてI君とM君と私の3人は、そっとウチワを使いながら涼んでいた。そのうち誰からともなく、外のタタキの上に腰を下ろし夜空を眺める。傍らへ女の子が坐ってればグッと快適なんだが。何しろ禁酒、禁欲の合宿生活では望めぬことだ。然しその前日、昼休みに誰かが“森の中に泉あり”と報せた。血気盛んなオノコばかりだからいろいろの情報を集めるのがウマイ奴も居るものだ。

 合宿所がお寺なので、風呂は銭湯まで行かねばならない。この銭湯なるものが仲々オツなもので、男女湯の間に板の仕切りはあっても所々に穴があいているので、お互いにナガメル事が出来る仕組みとなっている。然し、塾の軟式庭球部は紳士として自他共に認めているのでノゾイタ者はいなかった………と思う。その銭湯へ行く途中、少し広い通りが左右に走りそれを左に曲がってものの3,4分も行くと、イワユル“泉”の真中に到着するのである。

 閑話休題、3人共タタキの上で涼んでいたんだが、それだけでは物足りなく考えている時、脳裏にヒラメイタのは、“森の中に泉あり”である。こういう事の相談は決定するのが早い。絶好のチャンスとばかりウチワはタタキの隅っこに隠して、キャプテンを始め全員に判らぬ様抜け出した。勿論、“許可なき外出は禁ず”であるからバレたらそれこそ大変な目に会うのは必定。胸をとどろかせながらやがて到着。仲々ヨキ泉である。その時I君はパジャマスタイル、M君はパンツ1枚の上に帯なしの浴衣スタイル、私はネマキスタイルとアラレもない姿。それでも泉の中では………カット……

 11時過ぎになったので合宿所まで帰ってくると、確かに開けて出た筈の障子が閉まっており、隠しておいたウチワも消えて無くなっている。変だナと思いながらM君が閉まった障子の隙間から中の様子をウカガウと、キャプテンの「オイ、もう11時半だな。」という声がする。そこで慌てたのは3人。

「オイ、バレたぞ。かくかくしかじかだ。」

「どうしよう」

「弱ったナ」

 出かける時と違って、アオナにシオの3人は墓の真ん中で蚊の猛襲を受けながらの対策、丁度3人から余り離れていない墓石の陰ではアヴェックらしき2人が、ガサゴソ、ボソボソとやっているんだが今の3人にとってはそれ所の騒ぎじゃない。皆、深刻な顔で黙り込んで頭を抱え込む始末。

3人運命を共にしようと言うI君の提案をM君と私が却下して、最終決定が出された。

 I君は来年度の部の必要人物だから退部さすわけにはいかぬので、M君と私が退部覚悟して障子をサッと開けるからI君丈が開けると同時にフトンの中へ滑り込み、M君と私はどうせ覚悟の上だからゆっくり入ろうと言う事になった。然しM君と私もアワヨクバ退部なんかせずに済ませたいという気があるから障子を30分位かかって1人やっとは入れる位開けて、先ずI君をフトンの中へ滑り込ませ、残った2人も寝ている部員の様子を気にしながら無事フトンへ横たわったのである。横になってからも暫くは寝つかれなかったが、泉でのことを考えているうちに何時の間にか夢路へ誘い込まれた。もうかれこれ1時半くらいに時計の針は進んでいた。

 さてその翌朝、目が覚めるなり3人ともキャプテンの顔色をウカガッタんだが、昨夜の出来事は何も知らないという様な顔付きだった。これには後日談があるんだが長くなるので止めておく。全くスリルとサスペンスに満ちた合宿ではあった。

         ×     ×     ×

 短かった4年間でしたが、得難い先輩、得難い友を得た私にとっては誠に有意義な4年間でした。此れも軟庭部のお蔭だと感謝しております。学生生活に於いて大事な事は、学問に励むばかりでなく、私のようにヨキ友を得る事だと思っております。後輩諸君も出来る丈その様に努め、同時に私達の時代に成し遂げ得なかった1部昇格を実現し、果ては全日本の覇権をも得られんことを祈っております。

 ヒップ ヒップ フレー  ケイオウ  オウ オウ オウ!

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感ずる儘に


 
                        石堂 和夫

 

 冒頭に、卒業に際して諸先輩及び現役諸君に心から感謝の意を表します。私の大学生活を回顧してみると、「テニス」と「遊んだ」の2語に尽きるのです。1年の6月に入部を許され、大学の部生活の何たるかを知らず、只漠然と入部した私は、大學の部の練習の厳しさ、又団体生活の厳しさに驚き、又勉強と運動のジレンマに悩ませられたのです。そして部活動について行けず、よく練習もサボり、諸先輩からも度々お叱りを戴きました。併し、何とかやっている中に部生活の何たるかを知り、学校での勉強以上のものをも、其の中に見出し得たのです。

 今、卒業の時に当り良く4年間やって来たものだと自分でも感心し、喜んでいる次第です。之も偏に先輩の御指導と御鞭撻と、友人又現役諸君のお蔭です。苦しかった時は止めてしまおうかとさえ思い、併しいや此処で止めたら部生活に於ける敗北者であると、自らを戒めてやってきたのです。楽しい時は合宿の帰り、皆で連れだって地方を廻ったり、日吉の練習の帰り無い金をはたいて餃子を食べ乍ら議論を闘わしたりし、今思い出すと楽しい事も、辛い事も皆なつかしいものとして彷彿と脳裏に浮かび出て来るのです。此の思い出の為にさえ部生活に入って良かったと言い得るのです。それ程尊い、中々得ようとしても得られぬ4年間の庭球部生活であったのです。私は入部以来体育会の一員として他の塾生以上にプライドを以って行動してきました。部の生活というものは、他の社会以上の強固な意志、研究心、体力を必要とし、厳しい戒律によって縛られているのです。その部で最後まで部員であった事に依り、自信を大いに植えつけられるのです。社会に出るに当り、社会の他者にひけ目を感ずる事無く、俺だってそれ以上にやれるんだと言う自信が、今までの経験から皆有るのでは無いでしょうか下級生で運動部の真の姿を解されず、悩んでいる人は私の此の文を読んで少しでも参考になり、之からより一層テニスに打ち込まれたれ幸いと思います。

 盛大な送別会を開いてくださった時、いよいよ学生生活ともサラバだと言う感がひとしお強く僕の胸を打ち、又1,2年の諸君が最後に“丘の上”“蛍の光”等を、我々去り行く者の為に唱和して下さった時、未だ卒業したく無いとさえ思いました。学生は、若さと自由の時間だけが生命なのです。其の、生命をテニスに打ち込んで立派なスポーマンシップと、何ものにも屈しない自信を得てください。

 大変お粗末な文で何が書いてあるか解らない方もあるかと思いますが、これをもって諸先輩へのお礼と現役諸君への激励の言葉とさして戴きます。

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