角力界で「稽古横綱」という言葉がある。平生の稽古の時は滅法強いが本場所となるとどう言うものか負けてばかりいる力士のことだ相である。
テニスの選手に限らず運動選手には必ずこんな例が多いのである。練習の時は誰にも負けない程の力を発揮するのであるが、いざ本試合になると別人の如く実力を十分発揮できない不運な選手がある。「本場所のためのけいこ」「試合のための練習」でありながら肝心の本番になると実力が十分発揮できないことは本人にとって誠に残念なことに違いない。この様な不幸はどうしたら除去出来るものであろうか。おそらく練習中のトレーニングの方法に検討や本人の勝利の意欲の向上ないし気力の充実といった精神面の鍛錬も必要であろうし、更に不断に実戦同様な気持ちで練習に臨むことが必要であろう。基本的な技術を実戦に応用できる力の養成が必要となってくるのである。
近頃の子供は二宮尊徳の像を見て「夕方歩きながら本を読むのは目に毒だから感心できない」と批判し、「もつれた糸は苦労して解きほぐすより切ってしまった方が時間と労力の経済だ」と言い切る。この考え方はまことに合理的である。
話は古いが昨秋のオリンピックの成績について世上種々の批判が加えられ不成績の原因は選手たちを「温室育ち」にしたことにあると結論されたことは耳新しいことである。晴れの舞台での種々の悪条件に打勝つことが出来なかったのである。真の実力は悪条件を克服出来るものでなければなれない。もつれた糸は苦労して解きほぐすような練習、昔は薪を背負って書を読むような練習、こう言う血の滲むような練習が重要視されてこなければならない。
他人と競技して勝つためには人一倍の努力が要請される。心技両方兼備の選手となるためには所謂ハード・トレーニングに依らなければ解決できないであろう。
ハード・トレーニングと言っても徒に無駄な時間を費やし肉体的疲労を加えるだけのものであってはならない。学生という身分である以上練習時間にも自ら制約があろうし肉体的にも個人差があろう。与えられた余暇をいかに有効に活用するか。合理的能率的な練習方法が考案されねばならない。日頃の撓みないコツコツとした努力が積み重なってハード・トレーニングという頂上にまで到達するような仕上げが必要である。
先ず第1にどんな訓練にも耐えられる基本的な肉体の育成に努力が向けられなければならない。これは個人差はあるにしても努力次第で弱点は幾分は矯正出来るものでありその機会は、日常何時でも恵まれており方法も多種多様簡単である。
第2に技術面であるが、これも漫然とラケットを振るだけでなく、一定の目標に向かって行うのでなければ効果はない、その効果はタイムやスケールで計ることが出来ない不便はあるが、ストロークにしてもスマッシュにしても、実戦に際して自信を持って打てるようになればしめたものである。
第3に精神面の訓練であるが、これはなかなか難しい事であるが、日頃の心がけがいざという時に如実に現れてくるのが例であることからして、平生の練習の時から実戦と同様な気分を醸成することに無関心であってはならないことである。自分が苦しい時は相手も同様苦しいのであり、自分が上がっている時は相手も同程度の精神状態である。その心理状態を早く看破する事が必要であるが、その苦痛に堪えられる強固な精神と最後まで頑張り通すという心がけを常に把持しなければならない。修練と経験を重ねることによって精神面の向上は期待できよう。
第4に安易な気持ちであってはならない。何事によらずそう容易く上達できるものではないのである。
選手の人間性乃至自主性を尊重することが選手を甘やかし「温室育ち」にする事になってはいけない。
如何なるコンディションの上でも平気に堂々と試合が出来るようにならなければならない。ハード・トレーニングの意義もここにおいて理解され、結実を見ることになろう。
若い選手諸君の健闘を心から祈って筆を擱く。
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