此れ程無気力に只ぼんやりと、為すことなく過ごさねばならない春をここ数年間私は知らなかった。春と言えば、常に新しい覚悟と希望を全身に漲らして、1日1日を追われる如くに張り切って過ごして来たものだ。時には自己に自由な時の持てないことを嘆き苦痛にさえ思ったことすらあったものだ。それがこうして、何もすることを持っていない自分を久し振りに発見した時、自由を楽しめる筈なのに、皆と、一緒に合宿にも行けず、別に用のないことを怨めしく、嘗って以上の苦痛をさえ感じている。
自分は最早や好きな時に好きなだけのテニスをやることすら出来ない身となって了ったのだ。こうなると、過去に於ける愉しかった思い出、いや苦しかった事、困った事、不愉快な思いをした事等、全てが浄化され懐かしく思い出されて来るのだ。今の自分には過去が楽しきことのみとして蘇って来る。
4年間の部生活によって私は実に良い勉強をさせて頂いたと感謝している。部にあって私は先ず“考えること”を体得した。而してその“考えること”は自分1人の利害損得に就いてのものではなく、常に部全体に亘って考える事を自然に身に付けて来たのである。
今、自分は何を如何になすべきか。これを決定するに、即ち「時」、「場所」、「身分」を考えねばならないだろう。斯くして決定されたものには全力を挙げてその貫徹に突進すべきだ。
今まで私は自分勝手の考えから、無意識のうちに他を苦しめ、全体に迷惑をかけてはいないだろうか。ふと為した言動が究極に於いて1人よがりの個人のみに妥当なもので、部全体を考えた場合にはそれ程役に立たなかったのではないだろうか。斯くあってはなるまい。
今、自分は他人の欠点、短所、失敗をのみ見つめているのではないだろうか、誰にでも又長所あり、賞すべきものは持っているのだ。他人の長所を認めてそれを活用するならば自己の為にもなり、又部のプラスにもなる筈だ。兎角人間は他人の失敗を咎めがちであるが、これはよくない事である。
一方に、自分自身とて欠点も多いが長所も持っているはずである。自己を再認識し、持てる長所を最大限に伸ばすべく努力せねばならない。
斯くして、物事は“此れ位でいいだろう”の気持ちが最も忌むべきである。中途半端は寧ろマイナスである。常に高き理想を抱き而してそれに到達せんがために渾身の努力を尽くすべきであり、それにはもう1歩、今半歩の向上を求める“意欲”が失われてはならない。全力を尽くすこと。此れは絶対にマイナスを齎さないと確信できる。
斯く懐古している私は、今以て自分は何を為し得たであろうかに思い当たる。自分1人で全てを為して来たかの如くに考えていた多くの事々が、全く先輩諸氏の御指導と部員諸君の協力によって始めて為し得たものであること、就中、私が主将の大任を賜って以来、思い出される試合、合宿練習、その全てが先輩諸氏あって始めて為されて来たことであったと、突如到達し愕然としたことである。
不肖私が過去1年間、大過なく全うしえたことに就いて今更ながら皆様方に厚く御礼申し上げるとともに、今後三田会の1員として自分はより良き先輩たらんことに努めたいと念じる次第です。
過日、勇躍して旅立って言った諸君は、合宿にて如何に過ごし練習しているであろうか。昨春平塚合宿に於ける“袋叩きの件”“「頭右ぎ」後の怪電話の件”“派出所に呼び出さるる事”など昨日の如くに思い出されて苦笑を禁じえない。
現役諸君よ、苦しい時にもユーモアを忘れることなく、楽しくそして有意義な合宿練習又部生活を送って呉れるように。部生活は、今日、私がそう感じているように、きっと諸君等の人生にも偉大なプラスを齎してくれることとなるだろう。苦いことのみ言い且つ書いてきた私も、今度からは個々の思い出など愉しく書きたいと思っている。
|