1960年(昭和34年度)・第8号部報

                    忙中閑            内藤 享佑・昭和34年卒業
                    合宿雑記        鈴木昌子

 

 
   
 

忙中閑                
                   昭34年卒業  内藤享佑

 大晦日もさし迫ったある日、新しくできた合宿所に泊り込んで貴重なる日曜日をテニスに捧げようと決心し、その作戦を練った。

合宿所に入っている奴の話を聞いてみると、部員の大半は冬休みで規制しているから、布団も畳も余っているという。布団もある、畳もある、コート状況もよし、天気はよさそうだ。カモはいる〔実はコチラがカモらしいのだが一応この位のタンカを切っておかないとクセになる〕そして気力十分とあっては出かけざるを得ない。

土曜日の会社がひけて、少しボサボサして時間を使ってから、夜の8時ごろ合宿所に辿りついたが、野郎共一人もいない。合宿所のオバサンは「こんなことはほんとうにめったにないんですよ・・・」とさすがいいオバサンだ。やがて彼らも帰って来て食後の団欒となったが馬鹿話もきりがないので〔まともな話が出ている間は余り口を開かない彼らもひとたび落つる方へ話が傾くや、その話題の豊富なること実に驚くばかりである。〕明日を期して適当な時間に床に入ることにした。

日曜にしては早い時間に床から這い出し、朝メシをすませてから、追い追い集まってきた現役諸君や、日曜日だというのにわざわざ日吉くんだりまでラケットを捲いで来たアレが少々オカシイのではないかとさえ思われる〔僕もその一人かもしれないが・・・〕O・Bの皆さんと一緒に筵を上げたり、ローラーをかけたりしてコート整理を楽しんだ。ギーギーとローラーを引いている時,次から次へと浮かんでくる学生時代の楽しかった事、辛かった事など一連の思い出にあたかも酔ったかの如くであった。午後になると御仕事の方は適当にスッポカシテ来たといわれる岩井監督も現れて一緒にボールを追い、ラケットを振り回しながら、大晦日を数日後にひかえた師走の空の下に極楽があろうとはシャバの人は夢にも知らないだろうと思うと、この様な合宿所や、コートやテニス仲間を持ったことが、うれしくてうれしくて気が付いた時には岩井監督の言葉を借りるならばそれこそコッキンときそうであった。

みんなでテーブルを囲んでオバサンに作って貰った晩メシを食いながら、またしてもかつての現役時代を、合宿生活を思い出して、サラリーマンとなってからもこうして身近なところでその気分に浸れる幸福さをさいにんしきするのであった。そして、会社に於いてはほんのシッポであることも、給料の安いことも、うるさい上役のことも、そして女の子が僕に冷たいことも、みんな頭から離れ去って、楽園の雰囲気に浸り、少なくとも今こうして課長の視線を窺いながらこの原稿を書いている姿を想像することは出来なかった。安上がりで、健康的でこれ以上のものは、この世に存在しないであろうとさえ感じられるのであった。

 

 

 

 

 

 

 

合宿雑記                
               女子部主務 文4 鈴木 昌子
 明石へ一緒に連れて行ってもらえない女子部員達を前にして、しきりに明石のコートの素晴しさをしゃべる糸川キャプテンはまさにいじわる爺さんそのものである。しかし沼津のコートだって、実際合宿を終ってみると悪くなかった。否、すてきだった。松林があり、そのむこうに春の海がうねり、石坂洋次郎的と誰かが云った西高の校舎の彼方に富士を望み・・・。申し分のない環境であった。

 そして申し分のない差し入れがあったのである。あんなに絶えず何か食べ物の差し入れされた合宿は初めてである。(まだ三度目ですけれども)部員が、自分で持って来たもの、家から送って来たもの、数度にわたる小野先輩、山本先輩、更に沼津三田会からのもの。あのみかんはおいしかった。小野さんにいただいたピーナッツ入りのおせんべの味は忘れられない。最高だったのは糸川さんのロールケーキ。この時いじわる爺さん、やや点をかせいだのだった。

コーチャーはというと、徹底的に前衛ばかり集まったものである。小野先輩、山本先輩、越前さん、内藤さん、橋本さん、糸川さん、水内さん、小林さん、丸山さん、伊藤君、古山君、渡辺君・・・。最後の一日教えて下さった半田さん、伊藤君のみ後衛。そもそもこの合宿は前衛強化を目的の一つにかかげていたから前衛にとってはチャンスだった。今考えてみればもっともっとコーチャーにくい下がり、持っていらっしゃるものを吸収するべきだった。合宿前にはなかったものを各自一つは身につけたことと思うが。コーチャーの方々は後衛としても立派な方々だったから、後衛にとっても不足はなかった。毎日乱打に始まり、前衛基本練習、特殊練習、サーヴ、レシーヴ、つぶし、フォーメーション、ゲーム等、雨の降った一日を除いて6日間の充実した練習だった。合宿の経過を簡単に記すと

3月15日〔火〕 快晴 11時36分沼津駅着。即旅館に向い、少し休んだ後コートに行き練習を始めたが、あられが降り出し中止となる。

3月16日〔水〕 快晴 一日充分な練習。コート2面。昼食は海岸で。午後は、西高部員練習のため1面のみ使用。

3月17日〔木〕 快晴 韮山より山口、川口の2嬢みえ西高部員も交えて練習試合。

3月18日〔金〕 快晴 昼休みに照井先生おいでになり、午後の練習をごらんになった。

3月19日〔土〕 晴 風強し 夜山本先輩がおみえになりお話をうかがう。

3月20日〔日〕 晴 昨夜おいで下さった越前、内藤の2先輩のコーチによって 特に前衛の基本練習に重点をおいた。

3月21日〔月〕 残念! 一日中雨。仕方なく部屋でトランプ等をして過す。

3月22日〔火〕 強風 午後3時頃まで練習し、6時40分の汽車にて帰京。

 合宿の4日目朝、コーチに来て下さった小林さんから照井先生がおいでになることを聞いてドキンとした。そして松林の中に先生のお姿を見つけ、両手に下げていらっしゃるものを見つけてニヤリとした。冷凍の苺と桃だったのである。早速皆でとびついた。先生が本当にいらっしゃるとは思わなかったからいささか慌てたけれど、大してお叱りを受けることもなく、夕食を一緒に召し上がってお帰りになった。それにしても砂浜がなくて助かった。お相撲をとろうとおっしゃらなかったから。

 起床は7時で消灯は10時だったが、9時間でもまだ眠り足りない部員が大部分であった。午前中3時間、午後3時間半の練習で体は綿のように疲れているし、又自分なりの気疲れも重なっているためである。又そのせいかどうか知らないが、寝言の話がしばしば朝をにぎわした。くわしい話は公開しないことにする。当人達ににらまれるといけないから。

 しかし、よく運動し、よく食べ、よく眠った。はじめ12時すぎないと眠れないなんて云っていた部員も、合宿の終わる頃には枕に頭をつけると即眠っていたようである。そして皆の食慾はすごかった。1日3食付550円の宿賃に副食物も比例していたけれど、御飯は食べ放題でしかもすごく上手に炊けていたから、何やかやと持参の食物を並べては幾度もおかわりしていた。3日目に海岸でお握りを食べた時、N嬢が6つ食べたのを追ってY嬢はお水とふりかけでタイ記録を作った。その翌日S嬢とM嬢は6つ半の記録をたてた。

 合宿とか遠征に行くと何か流行する歌がきっとあるものである。この合宿では「5つの銅貨」がそれだった。数人の南方系人種が絶えず歌っていた、というよりも音を出していた。某日真夜中の歌もたしかに「5つの銅貨」の一節だったのである。

 最後になってしまったけれど、合宿中コーチして下さった先輩の方々、現役部員の方々、それに照井先生、本当にありがとうございました。よく走って下さいました。随分お気にさわる事もあったでしょうによく我慢して下さいました。これでまだ私達が6大学で3位以上になれなかったら申し訳ないと思います。一生懸命練習いたします。今後も女子部をお忘れなくご指導下さいませ。

 それから差し入れを度々ありがとうございました。これからもどうぞよろしくお願い致します。

合宿は無事に終わった。そして皆進歩した。その成果は、技術的にも精神的にも、春の6大学、関東リーグの試合に現れることだろう。但しそれはこの後練習を怠らないという前提のもとに於いてである。練習しよう。強くなるためにはそれより他に方法はない。練習しよう。この覚悟でもって、このしまらない文章を最後に締めくくることにする。


 

 
   
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