1961年(昭和35年度)・第9号部報
                    所感       倉橋 富治・三田軟式庭球倶楽部会長
                    あれやこれや   村井 靖
   

所感            三田軟式庭球倶楽部会長  倉橋 富治 

 昭和35年度わが軟庭部の卒業生は男子23名叙し名計無慮28名と云う、未曾有の多数の若人達をその輝かしい将来を祝福しつつ社会へ歓送致しまして私達OBは計り知れない程の気強さ力強さと喜びを覚えるのであります。
 年毎に大きく増える現役部員及びOBそれ程体育会内に於ても重みを加える軟庭部の発展は、誠に欣快の至りで喜ばしき限り、池田さんの所得倍増は10年がかりですがわが軟庭では一両年で達成出来そうであります。快哉々々この調子ではコート及び合宿の倍増なども東京オリンピックの対策以上に急を要することになりはしまいかなど少々心配になりますが如何。
  さて眼を転じて一般庭球界の昨今を眺めますと、これ又数年前に比べ格段の殷賑さを加えた様でそのスケールは幅と云い深さと云いこれ又倍加されたかの観があります。 
先ず軟式庭球界を見ればアジア軟庭が毎年日韓台の間に争われるし又インドア試合等も頻繁に催され且冬季の霜解の季節にも庭球を楽しめる様設備して練習に励むなど諸々の要素が重なって庭球熱が高められた様でありまして大変結構な事であります。
硬球界に於ても同様ですが前年のデビスカップ選手の選考法の改正、選手後援の強化等スポーツ全般に相通ずることながら種々のことが重なり合って効果を現して参ったと見るべきでしょうか。
かく庭球が盛になればなる程他のスポーツに後れずわが国民体位の向上に大いなる力を致して居る次第で欣快この事であります。
本年度の塾軟庭部は渦巻きの輪が大きく拡がる如く更に更に成長する。自然選手層も重厚となりその技も多技多様面白く向上して見事な戦果となることを楽しみ度いものです。

 

 

 

 

 

 

 

 

    あれやこれや              昭和35年卒業  村井 靖

私は都々逸にとても興味を覚えた事があり思い切ってヤボな都々逸で4年間を回想してみたくなったのである。

  ♪初陣飾ろとコートに立てば
    「オイ声を出してしっかり行け」「ハイ!」
    「オイ勝敗はいいから思い切れ」「ハイ!」
    白いラインが目にしみる。

 私がはじめてレッド・ブルーのユニホームを着て慶応の選手としてコートに立った時のことである。今思い出してみてもキューと身の引き締まるような一瞬だった。そしてテニスが生活の全ての様な1年間が過ぎた。無我夢中だったわけである。

 ♪いろはのいの字は
   命のいの字
   それで勝敗〔いくさ〕は命がけ
こんな真剣な気持ちを抱いた時もあったらしい、そして強烈なライバル意識も出て来た。

  ♪あいつが勝つなら
   俺だって勝つぞ 
   どうしてあいつに負けらりょか
と、なかなか厳しい。自分でも恐ろしくなる程だ、しかしそうゆう無我夢中の時代にも笑いがあった。

  ♪貴男チョットと
   呼ばれてみると
   ズボンの尻が破れてた
あまりイカサない話だ・・・・。
そろそろ合宿や試合も慣れて来た、苦しみも多いが楽しい笑いもある男だけの生活が始まる。 東京を汽車で発つところからはじめよう。

  ♪遠い試合にホームまで送り
   「貴男頑張って来てネ」「うん」
  「貴男体に気を付けて、お手紙下さいネ」「うん」
  「君も気を付けて。すぐ帰ってくるから淋しいだろうけど我慢してくれ」「エー」
  フンしょってるのバカヤローと舌を出す。
と、こんな光景もちょいちょいお目に掛かり友達の彼女の差し入れを複雑な気持ちで摘んだものだ。さて中には行き先に思う人が待っているような運のいい男もいる。

 ♪ベルが鳴りましたテニスの恋路に
  せき立つ胸に
  エーじれったい ベルの音
しかし宿に入ってしまうと全ては終わり頭の中を眠る事と食べる事が支配する生活が始まる。

     ♪俺も食うから
      お前も食べろ
    下痢の薬はたんとある
     ♪疲れた体で
     フトンに入りゃ
    夢を見る間も惜しくなる
しかし不思議なもので長い付合だとこんな現象も起こって来る。

  ♪あいつの寝言と
   こいつの鼾
   これを聞かぬと眠れない
そうして数日たつと睡眠と食欲の他にもう一つの楽しみが増える。それは外出許可である。禁酒がちょっと残念であるが

  ♪外出許可で 
   勇んで出ると
   どうして女はこうきれい
これも不思議なものである。そして行く先は大体同じような所やはり悩ましいネオンの色に誘われるのか。

    ♪あの女(こ)がいいと
    勇んで行くと
   すでに先輩横に居る
先輩はやはり先輩だと思いながらジュースにこっそりウィスキーを入れてもらってヤケジュースでしぶしぶ帰るせつなさ・・・・
そうこうしているうちに2,3年は過ぎたまには試合の勝利にも酔う事がある。

  ♪痛いと云う程
    つねっておくれ
   夢か眞かこの勝利
こうなると勝負はやはり勝つ為にあるのかもしれない・・負けるとこうなるからである。
  ♪お前が泣くなら
     俺だって泣くよ
      どうしてマッチがきまらない
      さみしいものである・・・・

そして4年になった。すぐ就職試験である。又苦しむ。そしてそのあとにはよろこびがあり、つくづく先輩のありがたさをかみしめる“ありがたや、ありがたや”である。そして卒業・・・

  ♪教授の顔は 
    忘れても 
   どうしてテニスが忘れらりょ

こんな気持ちである。全く下らん私の回想になってしまったが、私は人一倍慶応の軟庭部を好きだった。ちょっと忘れられない、そして一つ死ぬまで愛してやろうと決心したのである。

 

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