私とテニス
三田軟式庭球倶楽部会長
倉 橋 富 治 |
|
三田軟式庭球部誌が発行以来欠年なく連綿として二十年に近い回数を迎えるので、その喜びを込めてテニスの思い出を綴って見ましょう。本稿は本誌の一九六三年十一号に載せたものですが、部員諸君も一巡しておりますし、且テニス日本の古き歴史とその経過なども或程度分ると思い、興味を覚えるのです。
私は明治三十三年十月の出生ですから本年は正に六十八才何ケ月ということになりますが、そこで過ぎしことども、取りわけ吾がテニスを改めて振り返って見ると仲々にほほ笑ましく懐しさを禁じ得ません。
私は栃木県南部、関東平野が山にかかる裾野を東西に走る両毛線の町に生れました。この町の小学校、県立中学校を卒へて慶応義塾へ入学しましたが、テニスは小学校へ入る前から初めました、というのも兄、姉が夫々中学校や高等女学校に在学して皆テニスをやるので、その相手をしたりして自然に覚えたのです。で毎日の様に近所の子供達と近くの空地や小学校庭などで随分熱心にやったものです。今考えて見ると、当時は丁度日本にテニスが輸入されて非常な勢で普及した時期で、人口二、三万程度の田舎町でも各学校共テニスを採り入れて熱心にやりました。シーズン中は先生を先頭にして近隣の小学校とよく対抗戦をやったりして、先生共々大変な熱の入れ様であった。そんなわけで子供達も学校での十分の休み時間にも木の板のラケットを使い、狭い片隅を利用してペタンペタンと打合ったものです。
又家へ帰れぱ倉庫の白壁相手にやるというわけで、正規なコーチとて受けないが子供なりに打つことは相当上達したのです。
中学に入ってからは正科であった剣道と両天秤で熱心にやったので、小学校時代にはヒョロ長く病弱な体も見違える様に丈夫にたくましく成長しました。中学には野球部もあったが、隣の町の中学と試合の折大喧嘩とまで発展して了ったので、その後対外試合は禁止され爾後振わなかった。その他陸上競技やフットボール等は組織的と迄はゆかず又柔道は無かった。こういう環境なので自然剣道とテニスに打込んだ様な次第、而し唯打つという丈で試合の馳引という様な研究は零であった。
慶応義塾に入ったものの庭球部は己に硬球に変り軟庭は無かったので、先づ剣道部に入ったが、新入生歓迎大会に最上級の成績でパスしたものの、その後感情を害する不愉快な事があって止めて終った。
忘れもしないこの頃一ツ橋高等商業と早稲田大学の軟庭の試合を早稲田コートに見に行って居るので、東京高師と共に当時これ等の学校は未だ軟庭であって独り塾のみが硬式に転向して居たのである。こういう状況下に軟庭を愛するクラスの同好の人達でクラブを作り、彼方此方のコートを借りたり渡り歩いたりして居る内に遂に目黒クラブに定着し、ここで大活躍を開始したのです。そしてこの頃を期に(大正十一年頃)塾生の腕達者が続々と目黒クラブに集って来たのです。たまたま東京の八大クラプを中心として初めて東京軟式庭球連盟が結成され、次第に発展して漸次全国的組織となったのであります。
かくて東京軟式庭球連盟として前述八大クラブの定期リーグ戦を春秋二回行なうこととなり、この試合に於て最強と定評があったのは金門クラブと我が目黒クラブであって、常に何れかが優勝して居りました。春のリーグ戦でしたが、塾生の部員が主力となって居る目黒クラブが猛威を振い、天下無敵を誇る金門を見事撃砕して感極った情景を今も尚昨日の如く想起するのです。当日は巣鴨の金門のコートに乗り込んで強風の中で戦った。金門のトップは不敗の鬼といわれた林(今朝)・富沢組と目黒は畑・長手組(二人共塾生)の激突、塾生組捨身の突撃に流石の林・富沢組も次ぎ次ぎと意表を衝かれ、三ゲームオール大接戦の末敗退して金門は太き一本の支柱を失いました。当時の試合方法は二組敗れは勇退するつぷし式で七組の対抗戦でした。最後の試合は金門の大将(日本一の定評であった)北折・中川組対目黒は倉橋・田村(共に塾生)組、勝敗の決はこの一戦にかかっているので、両軍極度の緊張裡に応援も殺気を感ずる程でしたが、目黒組必死の猛撃により四ー二で目黒に凱歌が上って春の優勝をかち取ったのでした。金門クラブというのはマル菱ボールを製造しており、之が宣伝の為に日本中の強豪選手を招聘し集めている半プロ的強豪クラブでした。尚この時代にはよく地方の市や町にオープンの大会が開かれたのでチョイチョイ出場し、時に土地の学校の先生と組んだりして五、六回程優勝した事がありました。中でも秩父電鉄の長瀞開発PRの為長瀞大会が催され、東京の強豪を初めとして関東東北の猛者が揃って出場した関東随一のビックトーナメントでした。第一回の優勝者は名だたる金門クラブの岩崎・田中組、第二回の大会に私と田村君と出場し決勝で金門の林・富沢組に四ー二で快勝して大優勝旗と金メダルを頂戴した事もありました。
|
部報に寄せて
三田軟式庭球倶楽部副会長 森文雄 |
新しく部報を発行するから原稿を書いて呉れと女子部員の矢島さん(お父さんが医学部出身で中野区医師会長)から依頼がありすげなくお断りも出来ず、それに最近部に対して御無沙汰しているので拙文をも顧みず一言書くことにしました。書くとなるとあれこれ書き度いことがあるが、頁に制限があるので過日新宿三田会(新宿の交詢社とも言われ、毎月一回昼食会をやってよもやまの話をする)にデビスカップで大活躍をされた大先輩熊谷一弥さんを招いて「何故日本はデビスカップ戦に弱くなった?」という題で話をして頂きました。話を要約すると、日本人は近年交通機関の発達に伴って腰から下が弱くなったことを強調されました。熊谷さんは中学時代? 往復四里の道を通学されたとか。要するに歩くことが少なくなったことに原因があると。技術としては決して外国選手に劣ると思わないが、長い試合になると腰から下の疲れが目立って頑張りがきかないと。試験勉強式に試合が近づいて猛練習をしただけでは勝てるものではない。私は一年を通じて腰から下の強化が何のスポーツに限らず必要であることを再認識しました。テニスの話につけ加えて、日本人に未だ未だ有望なのは水泳とマラソンの二種目がある。水泳はフンドシ一本あれば水は何処にもある、マラソンは足袋だけあれば何時でも何処でも練習が出来るからと。さすがにアベペのように跣足ででもとは言われませんでした。硬式テニスは費用の点で田舎では無理だし、さて都会となると交通機関の発達でコートはあっても一年を通じての脚の運動が望めないという結論ではないでしょうか。熊谷先輩のお話が部員の皆さんに少しで参考になれば幸です。
紙面に余裕がありそうなので年寄りの寝言を書かせてもらいます。先日卒業生の送別会に出席したら全員茅出度く卒業されて就職も定まったと聞いて心からお喜びを申上げ、且つ在部中の御奮闘を感謝して参りました。
卒業試験をボイコットする大学があちこちに見られる時勢に、やっぱり慶応だけは!と嬉しく思いました。そして何んなに経済界が変っても、庭球部の部員だった者は就職に困るようなことは絶対にないと私は前々から自信を持っています。ということは頭が悪かったり精神のよくない者がまともにテニスがやれる筈が無いからです。学生のあり方といえぱ、最近の学生の活動にはあきれて物が言えません。
全学連とかいう連中の。学校当局の頭も変になっているらしいし、文部省は勿論佐藤内閣の大臣連中、国会議員と称する連中の頭も少なからず変じゃないかと思われます。気の毒なのは同じ青年でありながら公務員ということで、石を投げつけられたり殴られたりして間が悪いと片輪になって一生働けなくなる警察官です。アルバイト料をもらって乱暴がしたかったら、志願して北鮮か北ベトナムでも行ったらと思います。年寄の考え方を笑って下さい。最後に只一言慶応義塾の学生であり卒業生であることに誇りを持つことだけは忘れずにいて欲しいと思います。
|
練習の意義
総監督 岩 井 三 郎 |
春の練習始めに久振りに日吉に行った、新入部員約十名を迎へ選手層が厚くなり、全般を通じ特に擢ん出た選手は見られないが、元気な練習振りで誠に嬉しく思った次第です。
図破抜けた選手が居る事も必要だが、部全体が一丸となったレベル向上が強くなる事の最大の要素と思う。糸川監督の良き指導の下に在って、何も申上げる事はなく、今年は大いに諸君に期待を掛けて居る、強いて評すれぱ前衛、後衛を問わず球に厚味が乏しい、打球に「パン」と言う音は聞えるが、深味のある底力の強い「ズシン」とした響がない、腰の切れ、肩の回転が悪い、相手が同じレベルかそれ以下の時はよいが、それ以上の場合は結局球持ちの良さ、ミスの少ない方が勝つ、一寸見て判らないがこうした基本的要素の微細の点がリーグ一部、二部の差と成って現われる。
唯強い球を打ち、強烈なポレー、スマッシュの練習をなしても、これが安定感のある応用のきく正しいホームに入った厚味のあるものでなければ無意味である。唯夢中で練習に引づられた練習である、一寸ホームの注意などすると「ハイ判りました、有難とう御座いました」と頭を下げる誠に礼儀正しい、しかしテニスはそんな簡単なものではない、コーチされて直ぐに「ハイ判りました」と言う事は何も判っていない証拠である。言われた事に対し直ぐ疑問を生じ反撥があってしかるべきである、その上反復実行して、体得により始めて納得する筈である。
高校テニスの延長であってはならない大学のテニスをやって貰い度い、そしてその水準に達した時は試合運びの上手、下手で勝負は決まる、これは勿論前述した様な球持ちの良さ、打球の厚味が物を言うが、更にその時のゲームの様相により自分の次の打球を強打すべきか、上げるか、思い切るか、色々な策はあると思うが、その中の最高の方法を考え出す事である。しかも飛んで来るボールに対し一秒否その何分の一かで決めなければならない、思考して実行するには違いないがその様な余裕はない、その過程が瞬時に纒まった反射神経ー一つの感である、人間には五感の外に感はない、これは私に言わせれば各人の練習努力と知的経験に基く感覚の冴である。天分ではなく努力である、無駄を省き意欲的な練習の累積によってのみ始めて克ち得る事の出来る境地である。
堅い事ぱかり述べたが一寸話を変える、近頃、青年の船と言って学生や青年層の体験を深めるためさくら丸が東洋各地を訪問している、諸君の中にも行き度いと希う人が居ると思うが、部生活をしていてはその暇もない、そこで一寸御知らせする、私は元来旅行好きで仕事の関係もあり日本国内はほとんど歩き廻った、海外に出て見たいと思っても二十日以上空ける余暇もない、そこで昨年船をホテル代りにしながら香港、マニラ方面を乗船した儘で廻って見た、十二日間である。短い旅行だが毎日パーティや映画会等があり、食事も良く、私の場合アメリカの定期客船を利用したが、米国人、支那人、フィリッピン人等各国人が入り交り、全くの治外法権の中に置かれた船と言う一つの社会で暮らす独特の旅情を満喫出来た。又東洋で白人の支配下に在る香港やマニラの在り方も色々な意味で一見の価値はある、観光的には香港の夜景は美事であり、マニラ郊外のタール湖の景色は雄大だ。テニスは何処でもやっているが、特権階級のスポーツと迄見られる位ハイクラス視されており、人間の格付けともなっている、ゴルフはグット下がりミー・ハア族を交えた大衆スポーツである。横道にそれたが、この様な小海外旅行船賃エコノミークラス(学生諸君ならばこれで充分)で七万位、これに小使い一万円もあれば事足りる、国内を歩くのと大差はない、テニスに勝って休みを利用し、グループで行く事も良いと思う。
|
近 況
理事長 豊 田 隆 郎
|
|
学校を卒業して丸十五年が過ぎ去り、いよいよ十六年目に足をふみ入れました。卒業以来の私の年輪は、そのままそっくり部報の年輪でもあります。今年も無事部報が刊行される運びとなり心から喜ぶと同時に、御担当の皆さんに厚く御礼を申上げたいと思っております。
併し、げに「ふるさとは遠くにありて想うものー」です。学生時代の生活のあれこれ、特に軟庭の生活の想い出に限りない愛情と懐かしみを感じていながら、現実のサラリーマン十六年生の毎日の中では、これらの感慨はまさに遠くにあるものにすぎません。どうやら理事長失格のようです。
毎日毎日忙しい日が続いております。忙しいことにすっかり馴れっこになっています。それどころか束縛が束縛でなくなり、かっての「しなければならないこと」がむしろ「したいこと」にすりかわっています。ずい分と飼育されたものです。
私は現在重電機に関する企画的仕事を担当しております。八時半に出社して、MISだのMICだのVAだのMITIだの常務会だの何とか委員会だのの丸の内的ボキャブラリーに取りかこまれて忽ち夕方は六時半頃になります。二週間に一度、あるいは三週間に二度位の頻度でゴルフに行くチャンスがめぐって来ます。九分九厘間違いなくチョコレートを取られる方にまわりますので、会費以外に常にニ、三千円の金を用意し、翌日から二、三日は昼めしをうどんで済ませます。
稀に、甚しく稀に、「つれあい」を車に乗せてデパートのお得意様招待会なぞへ参ります。そんな時は芝生の上で棒を振る時と違って、ものの十五分も歩かないうちに腰と頭がじんじんと痛くなります。
先輩・現役の方々とお会いする機会は、まことに少なくなってしまいました。岩井さんとはお会いします。そのほか橋本・糸川の両君、又岡井君とは時々会うことが出来ます。上野君とは商売の関係でおつき合いがあります。却って同年代の方々と久しく顔を合わせておりません。皆さん夫々元気にやっておられる事と存じます。
私の事務所は今丸の内朝日生命館にあります。交通至便でありますので、どうぞ近所にお越しの節はお立寄り下さい。
現役の皆さんにはご無沙汰ばかりで、ちっともためになるような批評も教訓も差上げることが出来ません。今年の原稿はこれでどうかかんべんして下さい。
|
今年の課題
糸 川 雅 也 |
|
春休みと共にテニスシーズンの開幕となり、和歌山で女子合宿が、続いて宝塚では男子合宿が諸先輩の暖かい御指導と御援助のもとに行われました。私は会社勤めの為残念乍らフルには合宿に参加出来ませんでしたが、どうにか皆の元気な練習ぶりを見に行くことが出来ました。
何といっても合宿での一番の楽しみは、今年の諸君はどの位やるだろうか、誰が伸びそうか、新入生はどうだろうということを実際にこの目で確かめることです。ひいき目でなしに今年のチームは素質では近年で一番充実しているように思われます。あとは各人が練習時はもとより普段の生活においてもテニスに徹して精進するならば、必ず良い結果が出るという確信を得ました。
そこで今回は各人に対する私のアドヴァイスを書く事にしました。短かいスペースですので言尽くせない点がありますが、それはコートで補うとして、どうか素直に受けとって下さい。
小林(邦) 主将の重責を乗り越え思い切ったプレーをすること。一本抜かれたら二本取り返す気魄が必要。
高田(明) 勝気なテニスは非常に良いが、もっと目を大きく明けてラケットの真中にボールを当てるように心掛けること。
鳥 井 「今年は学速一遅い球で勝負する」と言っているが大賛成。ロビング良し、シュート良しの自分のテニスを作りあげること。
芝 崎 ボールの落下点へもっと早く動き、横着をしないで打つこと。強力なサービスに磨きをかけサービスサイドを絶対ものにすること。
黒河内 球は速いがコースが甘く大雑把すぎる。緻密に計算した粘り強いテニスを完成してもらい度い。サービスにリズムを。
須 釜 正クロスでのバックハンドはもっと慎重に相手前衛を避けること。左利きに有利な陣形をぺアーの前衛とよく話合うこと。
林 ふところが深いから相手前衛は動き難い筈である。徹頭徹尾強気に行くこと。
吉 野 ボールの質は素晴らしいのだから自信を持つことが第一。精神的にも粘り強い後衛になってもらいたい。今年が一流になるかの分かれ目。
高 山 動きは良いのだから最後迄ボールに食い付いていく根性と集中力が必要。バックのレシーブを慎重に。もう一息。
富 永 前衛の動き方を研究すること。構えを大きくそしてリラックスに。
小林(武) ボレーの際ラケットの面が良い。レシーブが無雑作すぎる。相手への牽制と駆引が必要。
川 越 ミスしてもくさらず堂々とした態度が欲しい。長身を生かしたサービスを徹底的に練習し覚えること。
小 宮 打ち易い位置へ早く動くこと。腰を安定させて打点を高く。
高田(一)基本練習は文句なし。自信をもって大型選手になってもらいたい。レシーブを工夫すること。
慈 幸 ファイトは一流。肩の力を抜いて柔らかさをもたないと融通性あるテニスが出来ない。
石 田 グリップと打球方向、打点の関係を研究し早く自分のテニスを確立すること。一本一本をもっと大切に。
大 橋 昨年の全早慶でみせたような積極的プレーを忘れずに。
上 田 勝負根性を生かす為に人一倍の練習をつんで欲しい。ボレーを厚く、フラットに。
初 村 ボレー、スマッシング共非常に良いのでレシーブが確実になれば素晴らしい前衛になれる。
弓 場 打ち方に無理がなく身体は柔らかいし力があるので大いに期待出来る。あせらずに基本をしっかり身に付けて欲しい。
伊地知 ウェスタングリップの特長を生かしたサイドプレッシングは十分通用する。サービスにバネを付けるよう練習すること。
中 津 ストローク、動き共非常にセンスが良い。今後は体力をつけ力強いテニスをするよう努力して欲しい。
加 藤 前衛は技術以外に度胸と相手の心理を読む頭が必要である。そういう勉強も怠らずに。
増 田 基本がしっかりしているので将来が楽しみである。練習に励んで名選手に成長して欲しい。
以上ポイントだけを書きましたが、これはほんの一部のヒントに過ぎないので、更に自分自身で工夫して一歩でも向上するよう不断の努力を続けて欲しいと思います。
|
高校監督就任に思う
高校監督 浜 名 邦
雄 |
本年度より、深沢さんの後を継いで、高校監督をお引き受けする事になった。
私のテニス生活も、塾高時代より始まり軟式庭球部での数々の体験を経て、想い出多い楽しい学生生活を送り、多くの収穫をテニスより得て来た。尚今も余暇の大半を、日吉のコートに注ぎ込んでいる状態である。
現役の高校生諸君にも、テニスを通じて私と同じ位、あるいはもっともっと、素晴しい学生生活を過して貰いたいと思う。私の力が、少しでもそのお役に立てぱと思い、この大任をお引受けした。
言うまでもなく、体育会軟式庭球部は、テニスが強くなりたい、体を鍛え、精神を磨きたいという目的を持った者の集団である。その目的を達成する為には、力を合せ、厳しい訓練を積む以外にない。
体育会の根本の姿は、練習、試合で体を鍛え、お互いに励まし合いながら、人格を磨いて行く、というところに有る。この事は高校生の間では、否、大学生の間でさえも、認識されていない様である。テニスをやる前に、先ず、この事を念頭に置いて、毎日の練習に励まないならば、部は単なるテニス愛好会と化し、体育会部員としての、意義も資格も無いものとなり、コートに立つ時間さえも、貴重な時間の浪費となる。
しかし、幸い、我が部員は、激烈な入学試験を経験し、これを突破して来た、100年の伝統を持つ慶応義塾の学生である。各々が塾生としての誇りを持ち、自分の生活における、テニスの、あるいは、体育会の存在というものを、もっと真剣に考えるならば、絶対にやって出来ない事ではないと思う。
一人一人が自覚し、厳しい規律と、激しい練習とを、進んで求める様になった時、大学に負けない部が出来るであろうし、強い塾高が生れ、高校あるいは大学で、全国制覇をしてやろうという、気骨有る高校生が出て来るであろう、その時まで私は頑張りたい。
(解説)
本年度より創設された、東京クラブ対抗に、我々の三田クラブも、どん尻の5部より参加した。5チームで編成する為、駒不足が懸念されたが、そこは、テニス気狂い揃いの当クラブの事、難なくチームを作り参加、5部では決勝で朝日生命と星を分け、4部では、同じく決勝で朝日生命と対戦し、堂々これを降し、3部に駒を進めている。出場選手は、糸川さんの怪カボレー、村井さんの連係プレー、連のミドルプレーシング、浜名のアタック等、学生時代よりの持味を存分に発揮し、終始、和気あいあいと非常に愉快なゲームであった。
春の3部リーグ戦は、5月3日、日比谷公園に於いて行なわる。先輩諸氏のご声援をお願いする。
尚、出場こ希望の方は、糸川さん、又は、浜名までご連絡下さい。 (浜名記)
春季五部クラブ対抗トーナメント 八月 (於日比谷コート)
一回戦
三田クラブ C−1 早大理工クラブ
二回戦
三田クラブ 不戦勝 世田谷区役所
三回戦
三田クラブ C−1 中大附属高OB
四回戦
三田クラブ C−1 伊藤忠商事
五回戦
三田クラブ C−1 日本学園高OB
決勝
三田クラブ (降雨引分) 朝日生命
林(小哲)・林(大哲)1−C 日下部・佐藤
原・浜名 3−C 西村・山田
鈴木・糸川 C−3 中山・小林
林・深沢 降雨の為中止
荻野・青木 〃
以上の結果、4部昇格
秋季四部クラブ対抗トーナメント 十月十日 (於日比谷コート)
一回戦
三田クラブ B−2 横河電機
二回戦
三田クラブ B−2 竹早クラブ
三回戦
三田クラブ C−1 伊藤忠商事
決勝
三田クラブ C−1 朝日生命
鈴木・糸川 C−2 中山・小林
村井・深沢 C−1 久保川・永井
植松・青木 2−C 日下部
原・浜名 C−3 西村・山田
伊東・林 不戦勝
以上の結果、3部昇格
尚、以上の他に、出場者は、由利、矢倉、岩城である。
|
現役諸君に望む
大久保勉 |
|
| Reaction-time 23/100秒。これは正常なる一般男子の平均値で
ある。スポーツの世界、軟庭球では、15/100 秒が一流プレイヤーの平均値である。私の記録は、23/100秒。一瞬、計器が狂っているのではないかと思う程、ずば抜けて、私のreactionは遅かった。しかし、いささか、スポーツマンとは言い難くも、正確に日本民族の平均的男性であることが科学的に証明されたのであるから、喜ぶべき次第かもしれない。現役諸君の多くは、こんな私を見ていて、心秘かに、又、赤裸々に優越感に浸っていたに違いない。でも、私から見れば、ニタニタ笑っている諸君の中にも平均的人間がたくさんいる。軟式庭球は、陸上競技の短距離等とは異って、平均的人間が出来るスポーツである。
体育の通信簿、常に、「3」のニブイ、この私が、なぜテニスを続けたかというと、使い古された言葉であるが、やはり、テニスが"好き”だったからとしか言えない。現役諸君も、例外なく"好き"だからこそ、テニスをやっているのである。だが、諸君は、少し"好き”の度合が弱く、態度が曖昧過ぎると思う。
ここで俗っぽい例を特徴とする私の超感覚的理論(!?)を登場させる。テニスマンとテニスとは、男と女の関係に非常に似ている。ある日、彼は偶然に、ある女に会った。いい感じである。魅力を振りまく彼女を引っ掛けてか、引っ掛けられてか、彼は電話をかけて会う。新鮮な対象に、自己を適応させようと一生懸命になるのは、人間の常である。彼は夢中で彼女に接した。彼女もひたむきな彼に誠意をもって応えた。彼は時間を割けば割いただけの満足をいつも得られた。貴重な青春に花を添えてくれた彼女の出現に、彼は幸せだった。夢を描き、より高い理想の理想を信じる。そして充実した生活の後には、必ず倦怠が訪れる。やがて彼は身近かな彼女の存在を感じ、だんだん幻滅する。彼女に対して感情的に自己主張を始めた。彼女にしてもそうである。いつまでも全人格的女性である筈がない。女性である以上、彼よりもはるかに無分別に、無茶を強いるに違いない。行きたくもない「日比谷公園」に朝早くから、いかにも恋人然とした服装で散歩を付き
合わさせられ、挙句のはて、彼女から、今日の貴方は堕落しがないとお説教され、普段が大切だとどなられた。生意気な。自然と喧嘩が多くなる。顔を見るのも嫌になる。彼女とどうして付き合っているのか、彼は考える。ここが最大のヤマだ。考えれば考える程、彼は自分が解からなくなる。もし彼が、聡明ならば彼女とすぐに別れるだろう。このチャンスを逃す筈がない。残念(?)なことに、彼は愚鈍だったので、時が立つに連れ、どうでもよくなり、逆に彼女が懐しくもなった。意を決して、再会した。お互いに理屈抜きの愛着を感じた。誰もいない黄昏時、黙って向かい合ったら、涙が浮んでこぼれた。所謂「両想い」というヤツだ。"好きだ。”
こういう具合に、数十回、数百回と、私も繰り返して、10年間のテニス生活を終えた。テニスしかやらず、テニスしか出来ない。
テニスには向き不向きはない。現役諸君は、最大のヤマを例外なく、乗り越えたのだから、自信をもってひとつこと、テニスに青春をかけると共に、もっともっと、テニスを"好き"になって欲しい。明日は映画か、ハイキングか。あの店で食事、いつもの店でコーヒー。最初はこんな話をしようとか、etc。ホントに"好き”なら、どんどん「工夫」して下さい。"好き”を卒業した諸君(二、三名)、遠慮せずに今度は"愛"しちゃえ。彼女の本質の「研究」だ。論文がまとまったら、本を出す。その印税を結婚費用に当てる。これはあくまでもエリートの筋書。我々は、潔
く「心中」しよう。何も考えてはいけない。ただ、彼女のことを思い、縦横無尽に振る舞おう。そのバイタリティーが「心中」を、再び"好き"に導いてくれる。
「好きこそ、物の上手なれ」という諺を、思い出しつつペンを置く。
糸川監督をはじめ、色々と御指導下さりました諸先輩に、心から感謝しております。ありがとうございました。日吉のコートで頑張る、小林主将以下、現役諸君の悔いのない活躍を祈る。
(東京海上火災勤務)
|
総決算=出発
菅 原 信 弘 |
|
夢多き青春時代はすぎさった。この三月二十二日に終りをつげた。私は強くこの厳然たる事実を感じざるをえない。それはわが青春は充実しておった。悔いがないと感じられなかったことから生れていることは間違いない。成程すばらしい青春だったといいきれる人はいないかもしれない。誰しもあれをもう少し、これをもっとやれば良かったと思うことだろう。だがそういう人間が日本に限らず世界において大多数あるいはすべてをしめていることとわがすぎさりし青春が実に悔いのあるものであったということとは、密接な関連があるにしても今の私においては全く別の問題題なのだ。私というこの小さな人間がいくら頑張っても素晴らしき青春になしえない何物かが存在するであろう。けれどもわが青春にとっての問題はそこにはない。そこまで到達しえずに終ったが故の後悔が私をとらえているのである。そこにあるのは自己不信だけなのである。精一杯やって己れの限界を超えて存在するものにぶつかった人間の前にたちふさがるのは人間不信、世界に対
する不信であろうと考える。仮に段階をつけるとすれば、人間不信、世界不信の方が自己不信より一歩も二歩も先の段階といえよう。その意味においてわが青春は自己不信の段階にとどまったといえるのである。こう考えてみるとまた自己不信が強くなってくるが、なんともしようのない事実なのである。
ところで青春とは何であろうということになるのだが、その定義は必要あるまい。人それぞれいろんな過し方があるのだから。 それでは私の求めた青春とは何であったろう。実のところはっきりこれだといいきれるものはなかったといっていい。しかし今になって感じることは、青春とはこれからの人生というか人間の生き方というものを手さぐりでつかもうとする時なのではあるまいかということである。大らかなそれでいて厳しさをもった人間になるための一つの段階としての青春、そんな青春を過したかった。
そのような青春を求める人がおったら、勉強は、哲学は、遊びはそしてテニスはどんなふうにとらえてゆけばよいのかということをじっくり考え、時には仲間同志で意見を交換しまたたたかわせてみることが必要なのではあるまいか。教えられたり押しつけられたりするのではなく各自がめざめることが必要であろうと思う。人間の一生なんて短い。早く気がつくにこしたことはない。
残念乍ら私は鈍かった。
わが夢多き青春は終った。だが青春はある。人生がある。今後の人生において私の大きくて速度の遅い歯車を一周り小型の歯車にかみあわせる日々が待ちうけていると信じている。
最後に近況を報告します。工場での仕事を終えたのちナイターでテニスを楽しんでおります。思ったより身が入り不思議に思える位です。試合場で現役諸君、諸先輩にお会いできる日を励みに頑張っております。
四年間を通じて糸川監督はじめ諸先輩、合宿所のおばさんには大変お世話になりました。紙上をかりて厚く御礼申し上げます。
現役諸君の力一杯の健闘をお祈りするとともに部の発展を願ってやみません。
(日本電装勤務)
|
大学の詩
野 田 武 美 |
|
男子たる者は自分の人生を一編の詩にすることが大事であると言われる。人生が、そのまま比類のない詩編だとすれば、四年間に経る最後の学生々活はそのうちの連を成していると思われる。
そして、その大部分が体育会軟式庭球部という架設されていたレールの上を超特急で、あるいは鈍行で、更には途中下車までして種々の事象を経験し、また見てきたことが中心となっていることは論をまたない。春、夏、秋、そして冬、また、桜、白い雲、紅葉、そして木枯と月去り、星は移り、それにつれて車窓の景色は各々四回づつ変化し、全ては過去へと余韻を残して流れていった。
喜びもあれば、怒り、哀Lみ、そして楽しみもあった。
部外者として第三者的見地から、私を常に冷静に見つめ、激励し、忠告し、そして胸襟を開いて語り合ってくれた親友を得た喜びや、四年間レギュラーとして、これという貢献を何ら為し得ず、三田会委員としても満足のいく仕事のできなかった自分自身の至らなさに対しての怒り、更には、日常の不勉強のために、いつも学年末の試験で感じた悲哀、そして、あまりにも数多く列挙の暇がない程の楽しさのなかで最高のクリーン・ヒットと言えば、可憐で美しい花を見出したことに尽きる等の喜怒哀楽は、それら自体が心の中で美しい詩を形成している。
さて、喜びや、楽しみは軟式庭球部の生活とは別の、言わば、途中下車のところに多く存在したけれども、私は自分で賭けた体育会生活の四年間を後悔しているのではない。何故なら、体育会生活を味わったからこそ、離れてみると周りのものに新鮮さを感じ、いつもなら見過ごしてしまうかも知れない事象をも捕えることができたと思っているからである。
今後の人生に、どんなに激しい波乱が待ちうけていようとも努力して素晴しい一編の詩を必ず作りあげて行くつもりです。
最後になりましたが、四年間の在部中、いろいろ御指導下さいました諸先輩、同輩に心から感謝するとともに、これからも宜しくお願い申し上げます。また現役諸君の御健闘を祈ります。
(万有製薬株式会社勤務)
|
庭球部を卒業するにあたって
林 利 根 男 |
| 長い間、先輩、後輩及び同輩のお世話になりましたが、とにかく、なんとか無事に卒業することになりました。さて高等学校時代に夢のようにあこがれていた慶応義塾軟式庭球部に入部し、いつの間にか、四年の月日が経ってしまったいま、振りかえってみますと、大学生活、殊に部での生活が大変楽しいものであったにもかかわらず、私自身は、何一つ、これという誇るべき業績を残していなかったことに気がつき、残念な気がしないでもありません。学校での学業のことはこの際、一応別として庭球部での生活を反省してみますと、私も中学に入学して以来「趣味は」と聞かれて「テニス」と答え初めてから、既に十年以上も経っている訳ですが、胸を張って自慢するだけの戦績をあげることが出来ませんでした。いかに大器晩成と、みずからを慰めてみても、もう少し技術的に成長出来なかったのは、やはり毎日の練習が足りなかったという根本的なことと、自ら試合に勝つべき努力を積極的に求めなかったためと反省しております。然し大学生活を含めて今迄テニスが私に与えた影響は非常に大きいものであり、他のいかなるものよりも多大な成果をもたらしてくれたと信じております。
さて私が今選手生活を振り返ってみて、後輩諸君に一言申し上げられることは、試合において実力が大切なことは申す迄もありませんが、他(校)の選手の実力を正確に評価出来るようになるということも試合に勝つ上で大事であるということであります。
一流選手は相手の実力を評価しつつ、自分で作戦をたてて試合を進めていくことが出来るということです。残念ながら私は他人の実力を評価出来るようになる少し手前で卒業することになってしまいましたが、今後社会に出てもテニスを続けるつもりでおりますし又大器晩成の夢を捨ててもおりませんのでどうやら壮年の頃に自慢すべき立派な戦績を上げることが出来るのではないかと思います。最後に後輩諸君、テニスに学業に悔いのない塾生活を送られんことを祈ります。
(住江織物勤務)
|
顔 と 顔
松 浦 公 子 |
鏡に映った一つの顔
くろい くろい 一つの顔
私の好きな あの太陽が
私の顔を こんなに 変えた・・・・
なんて きれいな 私の肌
もっともっと くろく なろう
誰にも負けずに くろく なろう
水に揺れてる一つの顔
くろい くろい 一つの顔
ラインが 上手に 引けますように
真直ぐ ひもが 張れますように
今日の乱打は 何分かしら
ボレーを やらせて もらえるかな
レシーブ うまく 返るといいけど・・・・・
星を見上げる一つの顔
くろい くろい 一つの顔
私って どうして こうなのかしら
なんて あまえんぼの私なの!
ファイトは 一体 どうしたの!
私を怒鳴った 上級生が
なんだか とっても 頼もしい
窓に映った一つの顔
くろい くろい 一つの顔
汗で テカった その顔に
大きな眼玉が ぐるぐる 動く
今日の私は あれでよかった
それにしても 悔やしいな
あと一本で 勝てたのに
ガラスに映った一つの顔
くろい くろい 一つの顔
ついて行けない と 言い出す子
何も言わずに 黙って 見てる子
一体 私は どうすれば・・・・・
私は 間違って いるのかも・・・・・
いえ、違う。私はこれで いい筈だ。
皆を見つめる一つの顔
くろい くろい 一つの顔
あの子の背中が あんなに揺れて
あの子の足は もう フラフラ
それでも 私は大きく 叫ぶ
ファイト!!ファイト!!
私は叫ぶ
鏡に映った一つの顔
くろさの脱けた 一つの顔
水に揺れてた あの顔も
星を見上げた あの顔も
どこかに そっと しまっておこう
鏡に映ったこの顔を
大切に 私は 歩いて 行こう
|
思 い 出
中 野 祥 子 |
|
桜も散り始め、若葉の萌える季節となりました。何だか学生時代がもう遠くへ行ってしまったような感もしますが、青空のみえる日にはテニスコートが思い出されるこの頃です。もう戻ることのない日々の懐しさと共に、四年間の生活への満足感も得られます。何といってもこの四年間で一番時間を費やしたものはテニスであったということは間違いありません。そしてテニスに時間をかけるということに対して何度疑問をもったかわかりません。しかし今振り返ってみると、この部生活でいろいろなことにぶつかり、悩み、考え、それをきりぬけてきたからこそ初めて部生活を送ったといえるのではないかと思えます。また、テニスで時間を制約されていたからこそ、やりたいことも最小限は出来、規則正しい生活、充実した生活が送れたとも思います。
テニスを始める前までは大して運動といえる運動もしていなかつた私に、時折、ふっとテニスがしたいなと思わせてくれるだけの力がきっとテニス部生活につながってくるのではないかという気がしてきます。
私がこの四年間で精一杯吸収したこともこれからの人生にとってはほんの小さなものでしよう。が、スポーツには欠くことの出来ない健全な精神をいつまでも失わないようにしたいと思います。
最後に諸先輩の皆様の四年間の御指導、心から感謝しております。本当にありがとうございました。
|