1970年 部報第18号
 
軟式庭球部の諸君へ
                
体育会理事  石川 忠雄
諸君は慶応義塾体育会の一員としての意識と誇りとを心の奥深くもっていることと思う。体育会は、 もちろん慶応義塾の広い意味での教育の一環として存在しているのであって、慶応義塾の外にあるものではない。こんなことはわかりきったことではあるが、それにもかかわらず慶応義塾の一般の学生とは違って、諸君が諸君なりの誇りをもちうるのは、どういうわけなのであろうか。
 わたくしは、諸君が体育会のなかにあって極めて困難な課題をやり抜こうとしているところから、その誇りがうまれてきているのだと思う。前にも書いたように、君たちは慶応義塾大学の学生である。大学の本質が学問をはなれては存在しえない以上、諸君は大学が要求するだけの学業を立派にやりとげていかなければならない。しかも、他方において、それぞれのスポーツで第一級の技倆を習得するために厳しい心身の鍛錬につとめなければならない。これは、体育会の部員であるためには、どうしてもやらなければならないことなのである。
 このように学業とスポーツを両立させるということが、極めて困難な課題であるということは私もよく承知している。しかし、困難であればあるほど、それを克服しようとする努力は尊いのであり、そういった人間の姿勢と努力からはじめて自信が生れ、誇りが生れてくるのだと思う。
 私は、軟式庭球部の諸君を含めて体育会のすべての人が、このような心構えで日常の生活に対処してほしいと思う。それでこそ、諸君が体育会にいたことの意味を身につけることができるのであって、それは諸君の長い人生に大きな利益をもたらすことになると考える。努力することの重要性、困難に挑戦する闘志の意義をしっかりと考えてほしい。

 

 

 

部長就任にあたって
              部長    堀江 湛

今回、軟式庭球部の創立以来、部長として監督、先輩ともども、部の発展に努力してこられた河村教授が、学務多忙によりおやめになりましたので、私がその後を継ぐことになりました。すでに二十年という伝統にかがやくこの部の発展に私も微力ながらお力ぞえしたいと思います。
 最近、体育会の卒業者の就職はたいへんいいようです。それぞれの企業からひっぱりだこといった観があります。これは、まことに結構なことです。たしかに、私たちが、接してみても、体育会の諸君はきびきびしていますし、礼儀正しく、たいへん好感を受けます。社会が体育会の出身者を好んで求めるのも、あるいは当然のことと申せましょう。ただ、ここで考えなければならないことは、このことをまったく手ばなしで喜んでいいかということです。先日、ある金融機関の担当者と話しましたところ、その人は、体育会の出身は、外まわりの営業にたいへんよい。馬力はあるし、文句は言わないし、お客さんにもたいへん好かれる、と語っていました。つまり、使用する側からいって使いやすいということなのです。ファイトがある、お客さんから可愛いがられるということはもちろん結構なことですが、それだけではたして満足していいでしょうか。あるデパートの調査によると、体育会の出身者は、課長までは群を抜いて成績がいいという結果がでたということです。蔭日向なく頑張りますし、売り場の同僚との協調性も高く、部下の掌握もたくみで営業成績が高いというわけです。しかし、部長以上のトップ・マネージメントになると、そういう差がなくなってしまうそうです。つまり協調性とか、部下の掌握とかいったことだけでなくもっとほかの広い視野とか、将来に対する洞察力とか、さまざまな新しい出来事に対する鋭い分析や判断の能力も合わせて必要となるからです。もちろん、すぐれた経営者の中には体育会の出身者がたくさんいますが、同時に使いやすいといったことだけがとりえの先輩も時に見られるという事実は否定できません。もしそうだとしたら、体育会の出身者の就職がひじょうにいいからといって喜んでばかりはいられないと思います。
 軟式庭球部には、おそらく部の伝統がつくりあげた部のスピリットがあるにちがいありません。それは、たぶん上で述べたような自立性のない人間の育成とは正反対のものだと思います。もちろんスポーツは理屈ではありません。それは体で覚えるものですから、当然烈しい訓練が必要になります。団体訓練も必要です。いたずらに合理性という名のもとに理論ばかり振りまわしていたのではあまり実際の役にはたたないでしょう。しかし、同時にそういった体の訓練だけで能事終われりとしていたのでは将来大きく成長することはむずかしいと思います。部の活動で身につけた機敏な判断や決断の能力、リーダーシップ、仲間との協調性、不屈の精神、そういったものを十二分に活用できる高度の知識や学問的分析能力も合わせて身につけてほしいと思います。
 また、新しい学年をむかえることになりました。部の活動に、勉強におおいに頑張って昨年にまさるいい成績を残されることを願ってやみません。

 

 

 


体育会入会二十周年大会に出席して
             鎮目 俊之

昨年十二月六日丸ビルの精養軒に於て我が軟式庭球部の体育会入会二十周年祝賀会が二百名近い会員や現役の諸君を集めて真に盛大に挙行された。何年振りかで会う方、十何年目でお目にかかる方、何十年ぶりで、中には昭和八年に塾を卒業して以来初めてお会いする懐かしい面々も居られた。「お互に年をとったなあ!」「いや君は割合いに若いぜ」「君こそ立派になったよ」こんな会話が交わされて、あちらでもこちらでも固い握手、ミニスカートの現役のお嬢さん方、色とりどりの訪問着や派手なパンタロンの若い先輩のお姉さん方「あれで子供さんが二人もあるんですよ」ときかされて眼を見張る程若々しくて美しいママさん先輩、あちらのグループ、こちらのグループから歓声や矯声が起る。三十数年前の思い出が私の頭の中をかけめぐる。私はすっかり興奮してしまった。幹事の方から乾杯の音頭をとるよう突然指名されて年甲斐もなくすっかり上がって満足に音頭も取れない有様。
 年代は異っても同じ慶応の同じ軟式庭球部で同じように練習をし同じ様に母校の名誉をかけて戦って来た、これがみんな仲間なんだ、こんな楽しい会合が他にある筈はないのである。「こんな盛大な集会を年に一度位はやろうじゃないか」誰からともなく云い出された。そして皆がそれに同意していた。是非実現して欲しいものだ。
 倉橋会長、岩井総監督とならんで、私もこの席で表彰された。倉橋会長や岩井総監督の功績は当然表彰されて然るべきである。然し私にはそんな資格はない。固く辞退したが、たってとの事、一応喜んでお受けはしたものの面映ゆいような申訳けないような気が今もしている。
 現役の諸君が先輩の後を継いで恥じない様に頑張るのは当然の事で今更云う必要はないが、我々先輩も現役の諸君を後援し叱咤激励する事もまた当然の事である。そのためには先輩である三田軟式庭球倶楽部の会員諸氏の堅い団結が絶対に必要である。三田軟式庭球倶楽部が盛大になれば我が軟式庭球部も強大になり立派なチームが自ら養成されるのである。然るに三田軟式庭球倶楽部の現状は如何であろうか。私には東京の事はよくわからないが関西では年に数回の会合を開くのであるが、何時も出席する顔ぶれはきまってしまって会員の五分の一も集まらない有様である。日く仕事が忙しい、日く年代が違って話が合はないから面白くない。なる程若い諸君の仕事の忙しい事はよくわかる。然し一週間も前に幹事が通知しているし会合は殆ど夜である。一、二の例外はあっても出席しようと思えば大部分の人が出席出来る筈である。また三田会のような同窓会は同級会ではない、年代の違うのは当然のことだ。だからと云って話が合わない理由にはならない、減多に出て来ないから馴染がうすく話が合わないのである。常に出席して共同の話題を見付けるべくお互いが多少の努力をすればそこにそれみんな同好の士であり、同憂の仲間なんだ、語り合いたい事や共通の話題はいくらでもあり、直ぐに打ち解けた楽しい雰囲気になる筈である。兎に角、万難を排して三田会の会合には出席する。全員がこの心構えになって欲しい。このことこそ我が三田軟式庭球倶楽部を隆盛にし、ひいては慶応軟式庭球部の強大をもたらす事につながるのだ。
 私は二十周年大会に出席しての帰途、新幹線の列車の中でつくづくこんな感慨に耽けったのである。

 

 

 

 

新旧部長に、其の他
      総監督 岩井三郎
河村部長が隠退され堀江新部長を御迎えした。河村先生は御多忙のため余りコートには来られなかったが、昭和二十四年軟庭部に昇格と同時に部長に就任された折「軟庭部は勿論従来の体育会精神に則ったものでなけれぱならないが、新らしい新鮮味のある和気に満ちたものでなければならない」と云われた。私も全く同感と云うよりは指針を得たと云う気持で部員に接して来た。そして二十年たった現在の部は、勿論不足はあるが、部を基盤として先輩団体である三田軟庭クラブを一丸とした和気藹々とした美しい社会を形成しつつある。先生の御言葉に感謝申上げる。
 堀江新部長には現在の部を見詰めて頂き更に刷新された涼風の導入を期待申上げる次第です。

 和歌山の女子合宿に久振りに顔を出した。毎年の事ながら川野先輩に御厄介になりその教えを守って岸裏主将以下九名の部員が懸命に練習に励んで居る、頼もしい限りである。
 テニスには大別して二つの在り方がある。テニスをその時々に楽しむ遣り方と、何か目標を立て一生懸命、真面目にやるものとがある。前者は後に残るものがないが、真面目にやる人々は其処にあるものを把んで居り、テニスを離れた後々迄も共に語るに足る友であり、自己に厳しく、他人に寛大な気持の持主である。軟庭部員、三田クラブ員はこうした人々の集まりであり仲間である。

 部で巣立った人々の結婚式によく招かれる。新郎の友人は同年度の部員達によって構成されて居り、司会も大抵その中の誰かである。軟庭部の空気がそのまま披露宴に移行して和気に満ちた雰囲気の中に進められて行く、楽しい一時である。

 近頃は部員諸君の海外旅行が目立って来た。私も昭和四十年海外旅行が自由になってから東南アジアやヨーロッパに旅した。何の為に行くかと云われれば困るが、そこに在る物が、人が、空気が、地面が皆是れ外国だからと云う事になる、吾々の年令では観光が半ばになる事は否定出来ないが、これだけでも体験となり、経験となる。若い諸君は更に強い何物かを感じ取るに違いない、一寸足を延ばして海外に出る事を御薦めする。

 

 

 


合宿に参加して
                            川 野 忠 男

無事納会を終って、皆んなと宿舎の前で別れてから自宅に帰ってくると、ホットした途端に全身が倦怠くなるのが感じられた。ところが三月末迄に部報に何か寄稿するようにといわれていたのを思い出し早速ペンを握ってはみたものの、初心者の打球と同じように意の如くペンは走らない。どうせうまく書ける筈がないのだから合宿で感じたことでも綴り勘弁願うことにします。
 今春は、幸にも珍らしく雨にたたられずみっちり練習することができました。例年の通り六日半という短い期間では選手諸君とコーチ陣が一体となってどんなに努力してみても技術的に著しい進歩を期待するのは無理で、一つでもよいから今後の練習のための指針になるべきものを?んでくれることを願いながら一緒に練習をしました。唯、本年は戦力的にかなり期待がもてそうですが、四年生が四人卒業する来年度のことを考えるとどうにも心細く下級生主体の指導になったように思います。
 女子部の場合、入部してからはじめてラケットを握るか、それに近い人が多いようなので、経験者の入部を勧誘することの必要は勿論ですが、これ等の人達を如何にうまく指導するかも一つの大きなポイントになると考えられ、それについて日頃考えていることを記してみます。うまく表現できるか心配ですが。
初心者に共通していえることは、グランドストロークにしろ、スマッシュにして直接ボールを打つのがラケットであるために、ボールを飛ばす原動力を腕の力と上半身をボールの方ヘスゥエイさせること頼っているということです。これはボールをラケットに当てようという意識からすると最も自然のことと思われるのですが、このことが正しいホームを作り上げるのに大きな弊害となっているようです。
1 頭=眼の位置が大きく移動するため正しい打点の把握が困難である。
2 腰が後に残るため、重心の移動が不安定で腰の回転ができない。
3 膝が使えない(ニイアクション)
 ボールを正確に捉えるのが眼であり、正しく力強く飛ばのが、ニイアクションと腰の回転を伴った体重の移動であることを想えば、前記の腕と上半身によるスゥイングでは早急な進歩は望むべくもないのは当然で、どうしても最初から正しい指導をすべきでしょう。
 十数年間、信愛女子高校テニス部の指導をしていた間、僕が最も苦しんだことの一つはバックハンドの上達や癖を矯正するのは簡単なのに、フォアーハンドのそれがうまくできないことでした。右ききの人の場合、打球の構えに入った際、バックハンドではラケットをもった右腕、肩腰が前に出ているので時に腰を入れるという意識がなくても自然に正しいホームができ易く、従ってスゥイングが容易なのだということは判るのですが、フォアーハンドの場合でも左腰に注意しさえすれば同じ結果が得られる筈なのになぜうまくできないのだろうか?そうして漸く気付いたことは、右ききの人の殆んどが、逆に左脚がきき脚になっているということで、そのためフォアーハンドに構えた際最初から左脚加重になることが多く、スゥイングの始動力ともいうべき右脚の蹴りが使えないためだということでした。
 それから後、僕は初心者を指導するときやフォアーハンドストロークを矯正する際には次のような練習方法をとっています。まづ、完全に右脚に体重を乗せてから(時には野球の投手のように左脚を極端に地面から離させる)バックスゥイングに入る。このときラケットは後に大きく引く(或いは上げる)のではなくて腰と一緒に廻はすのだという感じを捉えさすことに注意する。次に右脚で蹴って打球に入るが、この蹴った右脚の膝をラケットと一緒にボールにぶっつける感じを体得させるのが一番肝心なポイントだと思います。これによって上半身のスゥエイを防ぐことができると同時にスムーズな体重の移動と腰の回転が容易になってくるようです。
 それから初心者にとっては、バウンドしてくるボールに対して正しい打点を捉えることだけでも大変なことで、同時にホームを教えることなど至難な術なので、最初は、前記の要領には注意しなくてはならないが、自分の左手から好きなところにボールをはなさせて方向よりも強く飛ばすことを主に実施させる。
 それでもやはり目標がある方がよいのでポレー練習時の後衛の動作でやらせるのがよいでしょう。次には、二、三歩動いた後で確実に右脚に重心を置いて停止させてから前と同じ練習を繰返す。以上の基本が大体できるようになったら一本ずつ易しいボールを送ってやり、実際にバウンドしたポールを打つことに馴れさせて乱打に入ってゆくといった順序でやるのですが、これは指導者も指導される者も全然面白くないし大変な忍耐と根気が必要です。然し現在の僕は、これがスゥイングの基本を体得させる一番近道ではないかと考えています。次にスマッシュですが・・、いや、とんでもなくえらそうなことになってしまって驚いています。合宿の間、折に触れ皆さんに話したことで改まって書く積りはなかったのですがうまくペンは運ばないし、今後新らしく入部する人達の指導に少しでも役に立てばと思っています。
 来年は和歌山で国体が開催されますのでテニスに関連したことで色々忙しくなりそうです。それに僕は壮年の部の強化選手の一員となっているので練習もしなくてはいけないし、試合にも多く参加する積りにしています。
 唯、岩井先輩ほどではありませんが、体力の衰へが目立ってきて口ほどに役に立つかと心配です。
 本年の女子部の活躍にはかなり期待しています。リーグ戦その他での吉報を待っています。
                                     (45年3月31日)

 

 

 

結 婚 披 露
                           三田会理事長   豊 田  隆 郎

春は結婚式のシーズンである。一人結婚の披露宴に招ばれるのが大好きな友人が居て、自分のを含めて出席した披露宴をすべて記録し、今まで何回出ているなどと自慢しているのがいた。私も彼程ではないが結婚披露宴のあの華やかな雰囲気が好きなほうである。
 学生時代、部に属していたおかげで若い方々の披露宴に出席させていただいて私は幸せである。勿論勤務先の会社の関係で招ばれる事も多いが、同じ会社だと個性が一定である。その点部関係等異った職業の方の場合色々と面白い経験を得る事ができる。その勤めておられる会社の偉い方々を知り、且つ雰囲気を知ると、あらためて会社業績と照らし合わせてうなづいたりする事もある。
 私の出席した披露宴で、招かれた花婿の会社の重役さんが花婿の席近くへやって来て歓談したことがあった。肩を叩かんばかりにして心底から喜んでいる風情がありありと見えたのである。その会社は二部上場会社であったが、その後増資を重ねて一部に昇格し、現在堂々二割配当を実施している。
又或る商事会社に勤めている後輩の時であったが、会社仲間で招かれた方々の中に数人の女性が混っていてびっくりしたことがある。私のそれまでの常識では、花婿の個人的な関係で女性が披露に招ぱれる例を知らなかった。併しその宴席では招かれた女性たちは全く花婿の同僚として遇され、且つ立派な同僚としての挨拶を行ったのである。言うまでもなくその進取の気象に富んだ商事会社はその後も順調な発展を続け、現在なお隆盛を誇っている。
 結婚披露に招かれるのは大変嬉しいことであるが、反面困るのは挨拶という代物である。岩井大先輩の如く数多の披露宴に出席して経験を積まれ、而も「謡」という誠に高貴にして華麗な武器をお持ちの方はちっともお困りにならないと思われるが、私なぞいつも挨拶を頼まれると弱ってしまう。とてもまだ教訓をたれる程の経験者ではなし、と言って花婿の逸話を暴露するような若さでもなし、どうも中途半端なのである。
 先日も或る花婿の紹介をするに当たって「彼はまことにフェミニストでありまして女性間につとに名が高く、・・・」とやってしまったあとすぐに誤解を生みそうな気になって冷汗をかきながら弁解めいた事を言ったりした。又花婿のスポーツマンシップを一生懸命褒め上げて、「先頃カンニング事件をおこした某大学の連中などと違って・・・・」と口をすべらしてから、花婿の父親がその某大学の出身者であったことにはっと気が付きしどろもどろした事もある。どうも品が良くウィットに富んだ所謂気の利いた挨拶というのは難しいものである。私は今や出来るだけ短い挨拶に若くはなしと思っている。
軟庭OBの結婚披露宴のハイライトは何と言っても部からのペナント贈呈である。あれはたしか大鍛治君か或いは音成君かのアイディアだったと思うが、まことに楽しい秀抜なアイディアである。私の時にはまだその取決めがなく、軟庭OBの披露に招ばれる度に羨ましくて仕方がない。あゝいうものは自分でこしらえてみても全く意味がない。自分達の名前が書き込まれて他人から貰うところに重大な意味があるのである。極端なはなし、あれを貰わんがために軟庭を卒業したんだと言われても私は不思議に思わない。
 昨年一月に川崎の片田舎に転勤して以来、毎日朝早く夜遅い生活に悩まされている。御無沙汰お詫び旁々、昨今盛況をつげる結婚式をよすがに軟庭諸兄姉のことどもを想い出して雑文を綴った次第である。

     

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