1979年・報第26号
   

特 別 企 画 T
体育会昇格30周年記念式典

はじめに
 昭和二十四年春に我が軟式庭球部が慶応義塾体育会昇格を果たして以来、本年で満三十年を迎えた。この慶事を皆で祝福との気運が高まりここに記念パーティを催した。式典におけるあいさつを次に掲げる。

 豊田隆郎(三田軟式庭球倶楽部理事長)
 理事長の豊田です。先ほどより何年ぶりかで珍しい先輩のお歴々とお会いして多少興奮状態にありまして、満足なご挨拶など出来ないとは思いますが、今回の記念行事の世話役という立場から一言ご挨拶やらご報告をさせて頂きます。申し上げるまでもございませんが、私ども幹事一同で計画しました本日のパーティにかくも多数の先輩諸氏がご参加下しまして誠にありがとうございます。また我が塾の軟庭部が常々ひとかたならぬお世話を頂いているご来賓の方々のご列席もこのパーティにまさに花を添える形となったこと、この上ありません。代表致しましてお礼申し上げます。
 さて本日このような会合が催されるに至りましたが、これは体育会昇格三十年即ち、満三十年の御祝いをすることは勿論なんですが、その他にも私共の気持ちと申しますか目的というものもあったのです。どういうことかと申しますと、体育会のそうそうたる部の中での歴史は浅いほうであります。しかしながら、軟庭の歴史をたどっていきますと、塾はその草分け的存在でありまして、その頃に活躍され、日本の軟庭界発展に大きく寄与された先輩が塾に沢山おられ、そしてまだまだご健在であるということです。かたや体育会昇格後の波乱万丈であった三十年間の歴史を築かれた先輩もいらっしゃる。そこでこの際、それら二つをつなげてみてここに一貫した形での歴史の区切りといったものをつけてみたい。という狙いもあったわけです。このような経過で今日パーティ、明日は日吉でテニス大会という運びと相なりました。この他に記念誌の発行もございまして、これについては先日来より皆様に資金面での我が儘なお願いを申し上げておる次第ではありますが、大分見通しが明るくなってきており、大変ありがたいことと思っております。それから私が今回の記念行事の推進委員長を仰せ付かっておるわけなんですが、これらの行事もすべて内藤(享)君、村井君をはじめとする若手の先輩諸氏の限りない熱意をもって進められてきたことをご報告させて頂きます。私個人としましてもこれらの方々に深く感謝しておる次第です。最後に三田倶楽部の現状でありますが、現在総勢三百三十八名で、そのうち女子は五十五名いらっしゃる。また、昭和二十四年以前に卒業された方は二十名ですので、九十%以上は体育会の空気を吸われたことになります。また会員の約三分の一が地方に在住されており、その中に十五名の海外駐在者を含んでおります。このような状況で約百八十名もの多数のご来場を見ましたことは誠に喜ばしいことと言わざるを得ません。これを機会により一層相互の連絡を密にしまして、充実した三田倶楽部に軟庭部にしてまいりたいと心新たにしておる次第でございます。どうか今宵一席存分にご歓談尽くされるようお願い申し上げまして私の開会に辞と致します。どうもありがとうございました。

 佐野勝男(慶応義塾大学軟式庭球部部長)
 我が軟式庭球部が正式に体育会の部として認められましたのは、昭和二十四年のことなんですが、その後三十年を経まして本日ここに多数のご来賓並びに先輩諸氏ご参加のもと記念式典を催せたのは、大変喜ぶべきことと思っております。先程、豊田さんからお話がありましたが、軟式庭球の歴史は非常に古く、また塾出身で硬式で名を馳せられた方々も皆軟式の出身だと聞くに及んで約八十年から九十年の歴史を持つものと考えられます。約百八十名もの先輩諸氏が文字通り全国津々浦々からご来場下さり感謝に耐えません。そもそも体育会の部と申しますのはそういった先輩の熱意と指導によって成り立っているものと考えます。若き日に白球を追ってコート狭しと走り回った想い出や、その練習を通じて培われた先輩後輩などの人間的絆がその人の成長に大きな役割を果たすところに体育会たる所以があると考えます。現役諸君もその志を大いにくんで頂きたい。そして勝つこと一点に絞って猛練習に励んで頂きたい、かように願うわけです。大変簡単ではございますが、挨拶に替えさせて頂きます。

金子芳雄(慶応義塾体育会理事)
 本日は体育会昇格三十周年の大変ご立派な会を開かれ誠におめでとうございます。心からお祝い申し上げます。ところで同好会的なクラブから体育会に入るというのは、実は、大変なことなのであります。また体育会に昇格したらしたで、その創設期にある部を運営していくことも大変苦労が多く、岩井さん等の努力は計り知れないものがあったと思います。そして本日、そういうご苦労が実ったのでございましょう。総勢三百三十何名かのうち実に百八十名ものお歴々の参加を得たと。これは、過半数なのですね。大平総理が聞いたらさぞうらやましがるじゃないでしょうか。その他に来賓の方々や現役部員という人びとを数えると、過半数をはるかに越えた絶対多数の大パーティが開かれております。このことは現在の軟式庭球部というよりもOB団体の益々のご隆盛を物語っていると同時に、体育会を総括する立場から私自身その数の威力に圧倒されそうな感を覚えます。私が体育会理事になりまして六、七年になりますが、軟式庭球部には私の最も尊敬する監督の一人である糸川さんがおられ、実によくご指導なさっておられます。また最近部長に就任されました佐野先生も家がコートに近いということもありますが、部員と非常に親密に接しておられると聞き嬉しく思っております。どうか本日ご出席の皆様、また心ならずもおいでになれなかった先輩方が今後とも益々このお二方をもり立てられ、現役諸君が立派な塾生として、」また体育会の部員として卒業出来るようご指導の程切にお願い申し上げまして私のお祝いの言葉と致します。

松永富雄(稲門クラブ副会長)
 只今ご紹介に預かりました稲門クラブの松永でございます。本日は会長の和田が所要で出られませんので私が名古屋から駆け付けて参りました。このような盛大な会に招待されましたこと誠に感謝しております。私ども早稲田におきましても戦後やはり慶応と同じような経緯を辿って体育局に承認されました。それはちょうど私が入学して二年目のことだったと記憶しております。もう大分前に亡くなられました板野さんは目黒倶楽部に籍を置かれ、先程ご祝辞をいただきました岩井さんであるとか小林珍彦さん達と非常に懇意にされておられましたが、この板野さんが体育局入会に実に骨を折って下さり、そして入会後も我々の育成指導に非常に貢献して下さいました。全早慶戦が始まったのもこの戦後間もない頃ですし、リーグ戦として早慶東リーグというのもありました。私は卒業後ずっと名古屋と広島におりましたので、全早慶戦には一度も顔を出しておりません。こういうことを言うのはおこがましいんですが、最近の早慶両校の弱体ぶりは誠に遺憾に思われます。かって、全日本で覇を争った姿が見られないことは実にさびしいことです。もっともこれは戦後の社会環境によるものと私も充分認識はしておりますが、やはりもうこれくらいの年になりますと生活のバックボーンとして力強いものを求めてやみません。願わくば今一度現役諸君が奮起して覇者を王者を目指して頂きたいと思う次第でございます。我々の大先輩である安倍先生は当時テニスコートと学校と自宅の間しか歩かなかった。それ以外のところへは一度も行かなかったというぐらいテニスと学問に励まれたというような歴史もあります。それぐらいの意気込みで今後益々発展されることを祈りまして簡単ながらご挨拶と致します。

照井伊豆(全体育会主事)
 本日は軟式庭球部体育会加盟30周年記念式典にお招き頂きましてまことにありがとうございます。私、照井伊豆と申します。まずお願いがあるんですが、岩井さんは前々から硬式に凝っている。佐野部長も硬式に凝ってるんです。こりゃどうしても軟式をおやりになって汗をかいて頂かないと軟式庭球部は強くならない。ぜひこれをお願いしたい。《盛大な拍手》想い出としましては前のテニスコートは今の日吉記念館のところに五面あったんですが、実に風通しの良いコートでした。それが三十三年にとりつぶされたので、下田運動場に四面作ろうって言ったら、岩井さんに猛反対をくいまして、五面が四面になるなんてとんでもない話だと。それじゃ今の工学部の敷地で前にも増して風が吹いたらテニスどころじゃない所にしようかって言ったら、岩井さんもとうとうあきらめて、それで今のところへ落ち着いたわけなんです。私はこの新しいコートのすぐ隣りに住んで居りましたものですから、しょっちゅうみなさんの御活躍と申しますか、御活躍というほどじゃありませんが《笑い》テニスをやっておられるのを見ておりました。家に居て一番よく聞こえたのは鈴木君のあの“スマン、スマン”という変な声です。それから女子の諸君はテニスやっとるんだか泥棒やっとるんだかわからない、 “ゴメン、ゴメン”だとか、”オネガイね“とかそればかり言ってさっぱりテニスの方は………………とまあそういう印象を強く持っております。とにかく家が近くだったということもありますが軟式庭球部の皆さんとは非常に懇意にさせて頂いております。今年は女子の太田君、田川君、長門君、高橋君らを呼びまして一杯やりました。それからあとで今度は本安君と中西君が来てくれた。そのあとで出田君が坊ちゃん連れて遊びに来てくれて実に嬉しかった。まあ話はこの辺にしておいて愈愈乾杯に移りますが、原さんの千曲錦、これは何級ですか?《笑い》特級ですか。千曲錦は二級酒がおいしいんですよ。これは私、大いに宣伝してます。それから佐藤さんの初孫、私は初孫飲まないけれど、あそこの銀嶺がとてもおいしいんです。今度暑いときに是非とも銀嶺を御寄付頂きたい。《笑い》ではみなさん杯を挙げまして、軟式庭球部の繁栄とみなさんの御健康を祝したいと思います。乾杯!!

 こののち、現在の軟式庭球部の近況並びに現役紹介各代の方々の紹介が行はれ、会は和やかな雰囲気ですすんだ。そして最後に「若き血」、「塾歌」を斉唱し、大阪の鎮目俊之大先輩の音頭による万歳三唱があって盛会裡のうちに幕をとじた。

 

 

 

全慶応軟式庭球選手権大会


 パーティの翌日、全慶応軟式庭球選手権大会(世良田杯改め)は、約百五十名にものぼる先輩諸氏の参加を見て盛大に催されました。和やかな秋晴れの一日をテニス大会で大いに楽しまれたことと思います。裏方として運営した立場から、当日の模様を再現して見ました。

 八時半に開会式を始める予定なのに全然集まらない。パーティ後、恐らく二次会、三次会と活躍されたからでしょう、という声でしばらく待機。九時前、皆さん眠そうな顔でようやく集まってこられた。急いでプレーボール。本部席には届けられた商品の山。昼頃に豪勢な弁当が到着した。おまけに生ビールまで……….晴れてよかったとつくづく思った。午後には岩井会長も来られ、教え子のプレーぶりを目を細めてご観覧。「相変らず西村君はうまいなあ」とご満悦の様子。ほぼ予定通りの進行で四時過ぎには全部終了した。閉会式では、見事“松茸”を獲得された佐野部長に皆羨望の眼差し、最後の「丘の上」斉唱では全員が肩を組んでの大エール。思いは遠い学生時代に。そして塾軟式庭球部と三田倶楽部の限りなき発展に。
トーナメント表はこちら
戦  評
《女子の部》
現役の清水の力量が飛び抜けており、久しぶりにラケットを振られた女子先輩には少々気の毒だった。しかし、コート一杯に走られる姿はどこまでも美しい。女子はいつまでも軟庭部の花である。伴さん、白石さんの笑顔が印象的だった。


《Bトーナメント》
優勝した中村、小林組の技量が卓越していた。特に中村正さんの確実なサーヴィスとストローク、そしてなによりもすばらしいのは抜群のスタミナである。興和火災ペアの大木、加藤組の若さをもってしても、中村さんのスタミナはそれを上回った感さえあった。準優勝の関根さんも日頃からよくテニスをやっておられる様子で、ポーチに行く時の足が実に軽やかだった。その他、田中・小熊組,大石・高橋組といった懐かしいペアが登場したがいずれも初戦で姿を消したのは惜しまれた。田中さんは二十年ぶりのテニスだとか。「もう一試合やれば本調子だよ」という声もちらほら。

 伊藤・清水C−3近藤・佐野
殆んどがジュースの大接戦。両後衛とも球もちがいいので前衛は滅多に触れず、ラリーの応酬で好試合だった。


《Aトーナメント》
初戦で第一シードの赤井・丸山組と山本・大久保組が敗れるという大波乱。一回戦から白熱した試合が展開された。現役が強みを発揮する中で好試合が続出した。

 西ヶ谷・林C−1伊地知・丹崎
スコア以上に内容は白熱した。丹崎選手の果敢なポーチが再三見られ、観客席から大拍手。オープニングを飾るにふさわしい好試合であった。
 吉野・小林(邦)C−3内藤・越前
後衛がつないで前衛が決めるという軟庭の模範試合。うまい試合運びを見せる内藤組に対して吉野選手の強打がわずかに勝った感じ。越前さんのポーチはまさにどんぴしゃりでした。
 平田・白石C−3石田(幸)・高山
最も見応えのある試合だった。フルゲームで六つのジュースである。ゲームカウント3−1とし、5G目も3ー0で平田組三本のマッチを握ったが、どうしても取れず遂にファイナルにもつれこむ。進境著しい平田組も石田(幸)選手の粘りと高山選手の堅守の前にタジラジであった。
ベスト8に残ったのは、OB三チーム、現役五チームである。

 西村(佳)・町田C−1吉野・小林
 西川・大賀C−1三宮・高梨
西村(佳)組は石田(康)・浜名組を後半の大逆転で破っての進出である。波に乗っていたこともあり、また吉野組にやや疲れが見えていたこともあって、すんなりベスト4へ。
 小林(学)・渡辺C−2松木・山本
松木選手の懐の深い打法は渡辺の触れぬところで、必然的に小林の高い打点から放つシュートを山本選手がおさえにいくという展開となる。それが功を奏して一時松本組がリードしたが、小林の打球は厳しさを加え、また山本選手にやや気負いが見られ、タイミングはぴったり合っていたもののチップすることが多く、小林組が逆転勝ち
 西村(信) ・糸川C−1平田・白石
平田組の攻めの甘さをつく西村(信)選手の配球は心憎いばかり。ジュースが三つで競っていたが、西村組のコンビネーションがよく、好機に糸川選手の怪力ボレーが出て完勝した。
 準決勝 西川・大賀D−1西村・町田
     木林・渡辺D−1西村・糸川

時間的に余裕があったので準決勝より9回ゲームとする。第一試合は地力に勝る四年ペアが。ミスが多い若いペアにつけいるスキを与えず圧勝した。第二試合は1G目、西村(信)選手がラリーからうまく前衛の逆をついて渡辺三本連続ミス。すんなり取るかと思われたが、小林組二本返して3−2となる。ここで西村選手に痛恨のダブルフォールト。この1G目が山だった。小林はこの1G目を取ったことで落ち着き、以後糸川選手に一本も取らせない完璧の出来であった。
 決 勝 小林・渡辺D−2西川・大賀
四年ペアと明日の慶応を背負って立つ現役の対戦となったが、松木・山本組、西村・糸川組など強豪を降してきた自身からか、余裕すら感じられる小林組であった。西川組も後半粘ったが、最初のビハインドが大きく2Gを得るにとどまった。


                           (文責  浜名 邦雄)

 

 記念式典ならびにテニス大会寄贈品

・清酒千曲錦       千曲錦酒造(原成人様)
・清酒初孫        東北銘醸(佐藤俊二様)
・ネット三張り      柳本商店(柳本公典様)
・ブレザー二着      三越(石曾根邦一郎様他)
・トランプ多数その他   ゼネラル石油(藤岡嗣倫様他)
・電卓二個        キャノン(近藤英夫様他)
・ヘルスメーター二個   久保田鉄工(糸川雅也様他)
・スカート二着      オンワード樫山(川田郁也様)
・コートシート十枚    三菱油化(小林邦威様)
・サインペン多数     ぺんてる(浦野光二様)
・LPレコード二枚    三栄企画(本安治子様)
・化粧品多数       カネボウ化粧品(黒河内英文様)
・生鮮食料品       丸共(大橋博様)
・バスタオル六本     高輪プリンスホテル(丹崎健一様)
・スコッチウイスキー       〃       〃
・ラケット二本      カワサキラケット様
・スポーツタオル六本   昭和ゴム様
・ソックス六本        〃

 

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