新
部 長 の 弁
部 長 米 田 治
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| 職業柄、学生諸君と接触することが多いが、ここ数年前と比較しても、最近の彼等の言動にはいろいろと考えさせられることがあまりにもあり過ぎる。大学に入学してくるような人物ならば……というよりは20才前後ともなれば、当然身につけてしかるべき素養というべきか、人間的能力というべきか、そういうものがあまりにもなさすぎる。
例えば、先日学生が提出したレポートの中に恐ろしく読みづらいものがあった。何も論旨が支離滅裂というのではないが、400字詰め原稿用紙15枚ばかりのこのレポートには段落が1箇所もない。句読点の箇所の桝目1文字分あけが守られておらず、始から終わりまで洩れなくべったりと、原稿用紙の桝目に文字が充填されている。これなら枚数の節約になり、省エネという時代の要請に合致するかもしれない。然しその読みにくさは抜群である。少しは読む側の身になって書いたらどうだ……と言いたくなる。
だが問題はもっと外にある。段落、句読点による句切のないこの文章を読んでいると、一体このレポートの作者は、段階を追っての論理的展開による論証という、文章を書く際の最も基本的ルールをどう考えているのか、全く意識していないのではないか疑いたくなってくる。
最近行われた大学院の修士論文の面接試問において、論文の趣旨を簡潔に要領よく説明するよう求めたところ、くだくだした個々の事実をならべ立てただけの、冗長な説明を10分余りも喋り続けた大学院生が、全員5名中4名までいたのには全く驚かされた。
それぞれ大作の修士論文を書いたのであるから、何か語りたいことはあるのだろうが、直截で要点をついた論理的表現になってこない。それは丁度、無意味なまでに無内容な、ただ単なる音声としての言葉を1時間も2時間も発声し続ける、ラジオのディスクジョッキとやら称する番組を想起させた。これでは面接試問の大前提である論理的対話が成立しない。
更にもう1つ、少なくとも私の経験した限りにおいて、学生諸君のいわゆるコンパも様変わりしているようだ。設営される会場についてはさておくとして、コンパそのものの持ち方も何となく始まって何となく終る。その間ただ飲みかつ食らい、がやがやと喋りかつ騒ぐ、それだけである。以前の学生の場合、もう少し秩序というか節目とでも言うか、そういうものがあったように思う。
これらの実例をすべての学生に普遍化する積りは毛頭ない。大多数の学生諸君のレポートの文章は、段落、句読点できちんと区切られているのは勿論だし、それ以外の例に関しても同断である。ただ部分的にしろ、今までの常識的基準では全く考えられない異質的なものが、学生諸君の言動において出現したことを問題にしているに過ぎない。だからといって事柄が重大でないというわけでは無い。段落も句読点による句切も無い、始から終わりまでべったりと原稿用紙の桝目が文字で埋めつくされているようなレポートは、今までの学生にはなかったように思う。大学で教えられなくとも、大学に到るまでの一個の人間として社会的精神的成長の過程において、文章とはこう書くものだということを―それは論理的にものを考え、かつ語るとは、社会に於いて人と付き合ったり、行為したりすることはこういうことなのだということでもあるのだが―誰から教えられたというわけでもなく、自然に身につけるようになってきたものだった。それが社会的訓練というものであり、社会にはこのような社会的機能が働いていたものなのだ。このようにして身につけた素質、能力が少し大げさかもしれないが、「人間とは社会的動物である」とのアリストテレスの定義の意味ではあるまいか、そうだとすれば、こうした実例が表現している事態は、広くて深い基盤を有する深刻な問題を蔵していると見なければなるまい。
以上、学生に関する最近の見聞から若干の感想を連ねてみたが、こうした事態にどう対処すべきかは、極めて困難な問題であることはいうまでもない。しかし何にせよ、全人間的な意味における―というのは知育、体育、徳育の全領域を含むという意味であるが―社会的訓練の場としての大学のあり方を、十二分に機能させることが肝要なのである。我々の軟式庭球部もこのような場として活動的なものになってほしい。
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そ
れ で も 全 日 本 制 覇 を 狙 う
監 督 内 藤 享
佑
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| 1部への復帰も、六大学優勝も、関東、東日本、全日本での活躍も、我々に終極の目標たる全日本制覇に向かって、一歩一歩進む行程にあるものであってそれら自体が本来の目標ではない。我が慶応義塾体育会軟式庭球部は兎にも角にも、「全日本制覇!」を胸に秘めて、本気になって取りに行かねばならぬ。そして、その為の戦略と戦術を縛りに縛って、実行しよう。そうすることによって、1部への復帰も現実のものとなる筈。と昨年の本誌で私の持論を繰り返した。
極めて遺憾とするところであるが、現実には、57年春季関東リーグ戦で、全日本へのその第1歩とも言える1部への復帰を果たすどころか、逆に、我が部史上初の3部転落を経験してしまい、同年秋の同リーグ戦でも2部への復帰を果たせぬまま年を越し、58年度を迎えるところとなってしまったが…………
ここでも私は叫び続ける……「それでも全日本制覇を狙おう」と。(けっして誉められるものではないが)負けることだってあるのだ。決してくよくよせず、これを全日本制覇への道での過渡的な現象の一つであり、これをしてよい経験、教訓として受け留め、有効に生かして行くことにしようではないか!一片の、3部であることの二流意識、負け犬的意義を持ってはならぬ。当然、大いに反省はしつつも、「我が部史上3部経験者は俺達だけだ。俺達は誰も知らない苦い味を知っているのだ。それを生かして強くなるのだ。」ぐらいの感覚で、この際、この機会に、もう一度原点に立って足元を固めて、3部転落を良薬として(3部転落を可とするものではないが)目標達成の為、有効に生かそうではないか。
その為に、O・B側からのバックアップ体制の再検討が行われ、一層の充実が計られつつある。
(1) コーチング・スタッフ制度……5年ほど前、当時糸川前監督の補佐機関として、村井君(昭36卒)、山本連君(昭41卒)らと語らって中堅、若手O・B諸君による、技術・精神(マナー)・運営の三位一体の指導、支援体制が結成され今日に至るが、5年間の年月の間には、同コーチング・スタッフ諸氏の勤務、家庭、肉体的、等々の諸条件、環境に変化が起こるのは当然で、去る57年末、再検討が行われ、その後卒業、社会に出られたO・B諸君から多数の参加を得て、大幅に顔ぶれが変わり、今年1月第1回決起ミーティングが、おなじみのゼネ石渋谷寮で催され、コーチ・支援方針等の検討、確認が行われた。一歩進んだコーチング活動が期待されています。
(2) 厳しい入試条件下で、部員の量(数)の増大(厚くなれば質も自然に向上するもの)が重要な課題であり、本塾高校生部員を大学部員の卵として、人材供給源として、注目し育てるべきことが強調されて久しいところでありますが、浜田現高校監督の孤軍奮闘に加えて若手の西村佳司君(昭57卒)に同校助監督を引き受けていただき、その充実化と成果が期待されているところであります。
(3) 更に、広く外部よりの経験生の本塾への勧誘、即ちスカウト体制についても、その強化、組織化の必要性が叫ばれてきましたが、その組織的、且ダイナミックな活動を実現するため、伊藤章子さん(昭44卒)に事務局の運営をお願いすることになりました。O・B諸氏におかれましては御多用中のところとは存じますが、よろしく御支援、御協力のほどお願いいたします。
扨、以上O・Bよりの種々バックアップ体制につき述べてきましたが、矢張り実際に練習をし、試合に臨み、勝つのは現役学生部員自身であって、O・B等のバックアップよりも、何よりも大切なものは、現役部員諸君の精神だ。灘主将、村田(洋)主務を中心に燃えに燃えて「全日本制覇」を目指して邁進してほしい。その「全日本」への道程に2部へ、そして1部への復帰も、当然の結果として果たせる筈だ。“当然の結果”と言えるような精進の内容を期待する。
もう1度くり返す……我が慶応義塾体育会軟式庭球部は、その歴史的産物としても、現況、即ち現在の実力から言っても、「いかにして2部に復帰するか!」に悩むべき存在であってはならぬ。やはり、「それでも全日本を狙う」べき存在たることを片時も忘れては成らぬ、「全日本」への道の途中に、2部、1部への復帰があることを部員全員が真に感じていなければならぬ。「2部へ昇格」などという、二流の目標が目標の全てとなり(試合の臨んでは、常に1戦1戦を大切にし、夫々ベストを尽くし勝ち抜いてゆくべき事とは別の意味で)、それが意識の大部分を占めるようになったとしたら、我が部は本当に二流になってしまう。私はその可能性を恐れる。2部、1部への復帰さえも遠いものとなってしまう恐れがある。一流たる我が部が全国制覇への道の途中での、心ならずも経験した道草を良薬として、やはり、「それでも全日本制覇を狙おう。」ではないか。その過程で2部、そして1部への復帰を一刻も早く実現しよう。
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特
別 企 画 …こ の 人 に 聞 く …
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お
で ん 屋 の お っ か さ ん と コ ー チ
昭
3 6 卒 村 井 靖 |
朝日新聞夕刊のコラム「今日の問題」に、50年間一筋におでん屋をやって来た築地のおっかさんが店じまいした話が載っていた。
このおっかさんは不美誉というそろそろ80才になる人である。我々が未だ生まれていない昭和の初期から50年間、おっかさんらしいやり方を貫いてきた。
不美誉のおっかさんは、大きな特徴が2つあった。1つは、朝、起きると今日は店に来る客に何を食べさせてあげようかとあれこら考える。「今日は、旬の竹の子を作ってやろう」「フキも美味しい時節だ」「野沢菜のオシンコも食べさせてやろう」という具合に。そして仕入れは必ず自分でやり、夕方まで心をこめて料理する。不美誉の「味」を大切にするからだ。そして店がはじまると、「今日はフキがおいしいから食べなさい。」「次はタケノコ」と、不美誉のおっかさんが主導権を握る。これが楽しみであり、このおっかさんのペースを容認する客が集まる。
2つ目は、高いレベルの「厳しさ」と「心配り」である。この店の常連客は例外なく、不美誉のおっかさんに叱られたり、躾けられたり、励まされたりした思い出や経験を持っている。即ち、もう 一人の「おっかさん」の存在なのだ。
この「おっかさん」が5月の末、50年を一つの名残として店を閉じた。
我々凡人は、つい、誰かに任してでも店を残せば良いのにと思う。しかし不美誉のおっかさんは違った。50年間、自分なりのやり方でやり通したあとは、潔よく店をしめてしまった。
実はこのおっかさんに、私は親子2代で世話になった。私の父は大酒のみで苦労が絶えなかった。そんな父の名コーチであり恩人が不美誉のおっかさんであった。私との出会いは、20年程前、父に連れていかれた時にはじまる。その時、おっかさんは、『息子よ、お父さんは、お前さんを一人前にするためにずい分と苦労してきたんだ。孝行を忘れちゃあいけないよ』と私の目をじっと見つめて話してくれた。変哲のない言葉であったが、以来、おっかさんの店を訪れるたびに、その一言が重さを増してきた。何故なら、会えば必ず問われる。『お父さんは元気にやってる?』に対して、おっかさんは、それに答える私の返事のトーンで、私がどの程度孝行しているかを見抜くセンスを持っていたからだ。
親子3代でコーチしてもらいたいと言うのが私の夢であったが、おっかさんの潔ぎよい勇退の前に、その夢は破れてしまった。
× × × × ×
今年の我が部の目標は、なにがなんでも2部昇格を果たすことにある。春のシーズンが終わり、これまで、学生も新しく編成されたコーチングスタッフ(別図)も、従来以上に努力している。なのに結果は低迷している。なぜだろう。
コーチングスタッフにおいては、春の合宿の前や関東リーグの前に、時間をかけて、選手1人 1人の良い点、悪い点を分析し合い、コーチ陣共通の選手個々の改善点をつくりあげ、指導にあたっている。主将の灘も部をよくまとめ牽引車として頑張っている。しかし、勝てない。敗因のほとんどが、本番で実力を出しきれないところにある。
私は思う、これは1人1人の主体性の問題であると、前述した不美誉のおっかさんに見る「自分の味」で50年間勝負する主体性であると。
すべてに恵まれ過ぎていて、自分がやるべきことの認識が甘く、自分の味や強味を前面に出すことをさけ臆病になっているのではないかと。
世の中一見豊に見えるが、その裏側では激烈な競争が繰り広げられている。
個人も企業も主体性を発揮しなくてはすぐに飲み込まれてしまう。
4年間のテニス生活は、将来どんな競争社会にも耐え得るしたたかな主体性を磨く場だ。甘えや臆病は許されない。
学生もコーチも今一度原点に帰ってそれぞれの主体性を考え直す時に直面していると思う。
(ゼネラル石油)
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58年度コーチングスタッフ
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顧問 |
水 戸 |
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内藤(享)監督
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鎌 田 |
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糸 川 |
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技術ヘッドコーチ |
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総務ヘッドコーチ
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マナーヘッドコ−チ |
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内
藤 (尚) |
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山 本
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村 井 |
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| 後 衛 |
前 衛
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女 子
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高 校
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鎌 田 |
浜 名
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| 宮 本 |
中 津
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深 澤
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浜 名
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片 岡
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山 田
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植 松 |
西 村 |
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小林(完)
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阿 蘇 |
夏 原
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赤 井
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丸 山
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小林(学)
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久 米
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夏 原
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高 梨
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個
性 的 で 強 い 選 手 に
昭 4 7 卒 中 津 渉 |
| 「個性的なプレイヤーになり、勝負に強い選手になれ。いわゆるうまいが強くない選手にはなるな。」アジア大会に出場された西村信寛先輩の1970年の春合宿での言葉です。
ウインブルドンを5連覇したボルグは17歳でスウェーデンのデ杯選手に選ばれました。その時 スウェーデン庭球協会の役員、コーチの全員がボルグのグリップ・スウィングを変えるように指導しました。彼の打法は当時正しいと考えられていた打法からは外れている変則的な打法です。しかし、彼は同じ打法を続け、庭球史に残る選手になっています。塾の選手も「自分はこれで大学のテニスを勝ち抜く」という技術を毎日の練習の中から身につけて欲しいと思います。
塾の新入部員は長い受験勉強を経て入学してくるので体力が極端に落ち込んでいます。最初の1年間は体力回復が第一で、ハードな練習ができるのは秋以降になります。4年になれば就職を控えて精神的余裕がなくなるので技術の向上を図れる練習期間は実質的に2年間しかありません。学生庭球界で頭角を現すためには、この2年間で自分の個性を最大限に磨かねばなりません。
「自分が全日本をとるための技術は何か」「自分が正選手になって、リーグ戦で勝ち点を得る技術は何か」を常に考え、その技術を完全にマスターすることに全ての時間を費やさねばなりません。
他人と同じ練習を漫然とした目的意識で続けている限り現状を打破することはできません。自分で考えて、自分で決めて、自分で実行して、結果を自分に問わねばなりません。
現在の部には、この通りの意識で練習に励んでいる部員もおりますが、一握りの上級生、レギュラーではなく、全員が「個性的で強い選手」となり、我が部が関東リーグ1部に返り咲くことを願って止みません。
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豊
富 に か え て
関東学生軟式庭球連盟理事長 岸
上 隆 一
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「僭越ながら自己紹介させていただきます。奈良県立奈良高等学校出身、法学部法学科1年、岸上隆一です。ポジションは前衛です。宜敷くお願いいたします。」といっていた頃から既に3年余が過ぎ、今度は“甚だ”僭越ながら、関東学生軟式庭球連盟理事長という役に就くことになりました。というわけで今回わざわざ私のためにスペースをとって戴いた次第であります。(決して編集者のI君に余白埋めの為に強要された訳ではありません。)しかしながら学連というところは知る人ぞ知る完全な年功序列の世界でありますので、“理事長”と言ってもそのポスト争いが激しいわけでもなく、4年生になると自然にそうなってしまうと言う程度のものなのです。ですから内情を知らない人に「理事長さんですか。それはご立派ですね。」などと言われますと、自分はそんなに過大評価されてよいのだろうかと真剣に考えてしまいます。とはいえ、この役を戴いて以来自分でも変わったなと思うことがいくつかあります。
まず、学連の仕事というのはミスが許されないのは当然のことながら、うまくいって当たり前という性格のものです。それによって自分の行動に多少慎重さが出てくるようになったことは確かですし、細かいところまでこだわるような神経質さも併せて出てきたように思います。特に理事長などになってしまうと、一応仕事の責任を全て負うことになり、たとえ下級生のミスでも前述のような仕事の性質からその責任は理事長の監督下ですから自然と口やかましくなってしまうみたいです。クラブの主将なども同じような立場だと思いますが、そういう人達はある程度憎まれ役にならなければならないのでしょう。しかし、リーダーシップをとり過ぎてもやはりうまくいかないものです。4年になって意気込んで全て自分でやろうとすると他の人間は動かなくなり、かえって行き詰ってしまうものです。リーダーとなるべき人には、他の人間をうまく動かすことができる能力が必要なのだと最近やっと身にしみて感じるようになりました。
もう1つ学連に入って感じたことがあります。それは自分のものさしが非常に小さかったと言うことです。私は、それまでどちらかといえば自分の事しか考えなかった方ですが、そんなことは当然の事ながらタブーです。関東だけで登録人口は3千余人いますから、中には私などがとても考えつかないような奇行をする人がいますが、その人にとってみればその行為も正当なものなのでしょう。またそのように考えてみればそうとれなくもない場合には、それを頭ごなしに否定することもできません。多少意味合いは違いますが、こんなこともありました。
ある有名選手と試合会場で話している時に、彼が「選手あっての学連なんだから云々………」ということを言いました。それまでその逆が本当だと信じていた私は、一瞬カチンときましたが、よく考えてみると“鶏と卵”みたいなものでどちらが正しいのかわからなくなってしまい自己中心的な考え方をしていたのだなと反省させられました。このように始終反省ばかりしている毎日でさらに残り 1年もっと反省しなければならないのかと思うと気が重いのですが、それだけ鍛えられるのだと信じて頑張っていこうと考えています。
これまで私は日吉のコートにほとんど行くことができず、先輩諸氏、後輩諸君とも一緒にコートで汗を流す機会も少なく、あまり塾のためには貢献できませんでしたが、長い伝統を誇り、学生軟庭界をリードしてゆかなければならないはずの本塾の中から、少しずつでもその行政面に関わる人間を増やしていって欲しいと、今痛切に感じております。
最後に後輩諸君にそのことを提言しまして終わりにかえさせて戴きたいと思います。
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自 覚
早稲田大学軟式庭球部 主
務 岩 本 康 治 |
自分がこの大学に入ってよかったなあ!と思う瞬間が誰にでもあると思うし、自分の大学を誇りに思う、そんな時も多々あると思います。この感覚は1,2年の諸君にははっきりわかりかねると思いますが、じきに体験することであろうと思います。
私の場合いはワセダであり、慶應の皆さんの場合はケイオウです。
そこで私は思うのです。運動部ひいては、軟式庭球部にいたればこそ、この感覚が他の人よりも強く、諸先輩の場合は、強く、長く感じると。なぜなら、我々は学校の名を、伝統を背負ってテニスをしているからです。また卒業してからも、学校の看板、部の看板を背負って、社会で生きていくからです。
我々は、もっともっと激しく、厳しくテニスの技を磨き、自己の肉体を鍛錬すると同時に、立派な人間となるべく、自己も精神をも鍛えていかなければならないのです。私は、ワセダで主に精神面、生活面の管理を口うるさくしていますが、要は個人の自覚です。慶應の皆さんと共に、技と心を磨き、学生日本一を目指そうではありませんか。
話題は変わりますが、私のゼミの教授に聞いたことです。慶応大学の三田の山上には、戦後、戦没学生を悼み、朝倉文夫氏が彫刻し、小泉信三塾長が書いた平和来という碑があり、そこには、
丘の上の平和なる日々に
征きて帰らぬ人々を想う
と書かれているそうですね、慶應って大学は素晴しいですね。
最後に、こんな拙稿を慶大軟式庭球部部報に載せていただきまして大変恐縮いたしております。
慶大軟式庭球部の今後のますますの御発展と諸先輩の御多幸を心からお祈り申し上げます。
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