勝 負
副将 平田 真司 |
よく勝負強いやつだとか、今のゲームは試合に勝っていたけど勝負に負けたなどという言葉を耳にします。ここでは私が大学生活4年間を通じて感じた勝負ということについて自分なりに書いてみたいと思います。
先ず最初に勝負をするからには勝たなければなりません。それは負けるのが嫌だからです。負けると悔しいからです。勝つと喜びがあるからです。これは軟式庭球に限らず、パチンコやマージャンでも同じだと思います。だから勝つために人は練習します。練習もただ漫然としていたのではやはり上達は望めません。しっかりとした目標をたてそれに向かって能率的な練習をしなければなりません。さてこの目標の立て方ですが、よく「欠点を直すより長所を伸ばせ」と言われます。しかし上位にいくためには、ましてやインカレを取るためにはスキがあったらそこをつけ込まれてしまいます。だから欠点をなくし、かつ自分のテニスの個性をつくるような目標を立てるのが私はベストだと思います。
され次は少し技術的な面について書いてみたいと思います。まずゲームが重要です。つまり、いくらストローク力があり、足が速くても(必要なことである)それがゲームで生きなければ話になりません。特に前衛は動きが勝負です。ゲームを経験しなければ上達しません。だから普段から気の入ったゲームをすればゲーム運びもうまくなるでしょう。ではゲームの中でどうしたら自分のペースをつかむことができるでしょうか。私は先に攻めることだと思います。やみくもに打つだけではなく中ロブ、後衛の前に深いロブを上げるのも先に攻めることです。それでは先に攻めるにはどうしたらよいでしょうか。抽象的になりますが、相手の打ったボールを自分のものにすることだと思います。そのためには体をボールのところへ速く運び、打ち込まれたときもひざを柔らかく前衛をけん制して打てばよいと思います。
とりとめもないことを書いてしまいましたが結局のところ、負けても次は勝つんだというチャレンジ精神を持ち続けることだと思います。好きなことをやっているんだから、やっていても楽しいです。好きなことだからこそ真剣に、そして勝負に勝つよう闘志を燃やしてやってほしいと思います。
今まで書いてきたことは、そうなんです、君へのアドバイスなのです。卒業する私の考えがもっともだと思ったら、心の片隅に書き留めておいてください。そして1日でも早く2部に復帰できるように頑張ってください。最後になりましたが、監督及びOBの皆様、どうも4年間有難うございました。
(資生堂就職)
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ボ
ク の 小 学 校 時 代
主務 菅 沼 章 文
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| 部報の原稿を書こうと思いペンと原稿用紙を前にしたが、まるで筆が進まない。題がいけない! 「自分の4年間をふりかえって」だって、まだ、本当に卒業していないのに……卒業して初めてテニスの重み、4年間の重みがわかると思うんですけれども……、よって、自分の性格形成に大きな役割を果たしたと思われる小学校時代のことをここで書きたいと思います。
私がいった小学校は武蔵野学園小学校といい、府中市のそのまた田舎の多摩墓地付近にあります。まさに武蔵野のおもかげが残ったところです。一言でいえばド田舎。その緑の中をランドセルを背おって毎日かよっていたのです。時に青空学校(すごくいい響き!)といって授業をつぶして、多摩墓地の公園まで、みんな揃って遊びに行く様な、のどかな学校だったのです。放課後は野球を毎日やったり、野いちごとりに出かけたり健康そのもの。夏は岩井の海まで1週間の臨海学校に出かけ、最上級生になると、妙高山まで遠征し登山にいそしんだのでした。まさに理想の小学校の様に思はれます。
ところが、こんな所にも悪の巣は、しっかり育ったのでした。私どもは、当時10円パチンコがはやっており、となり町はいうまでもなく、吉祥寺などのひらけた町にでかけ熱中したのです。私のパチンコ好きはこのとき目覚めたのです。その他、ピンボールなど小学校のときはよくやりました。しかし、なぜか中学校に入学してからは、まるで興味を示さなくなりました。とにかく楽しい小学校生活でした。
今思うと、なにも考えずに遊べたことは、たいへん自分にとってよかったと思います。できるなら、もう1度緑にかこまれた小学校へ行きたい!などとバカなことを考えたりもします。自分も社会人になっても、もう1度日吉のコートで白球をおいたいと真剣に思うと思います。その時こそ本当に体育会でテニスをやってよかったと思う時だと思います。その日がくるのも近いでしょう。
では、現役諸君体に気をつけて練習に専念してください。又OB諸氏の皆様、いろいろと御指導ありがとうございました。では皆様サヨウナラ。
(本田技研就職)
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あ
る 春 の 日 の こ と
高 梨 憲 爾
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| 卒業式も終ったある日、私はつれづれなるまま部屋にごろんと横になっていた。外は久しぶりに好天気、桜のつぼみもいっきにほころびそうな日和である。私は天井を見つめながら、「部屋のかたづけをしなければならないなあ。読みたい本もあるなあ。そうそう、部報の原稿を書くのを忘れていた。」などと考えをめぐらしていた。しかし、暖かい陽ざしにつかまってしまっている体は、けだるさを理由に行動をおこすのをためらっていた。そして知らぬまに、「今日1日はゆっくりしよう」とかってに決めこんでいた。
わいわい、がやがや、外の方が俄かに賑やかになった。「なんだろう」私はそう思って、上半身をやっとのこと起こし、窓を開け外をのぞいてみた。小学生らしい男の子が5,6人ゴムボールで野球をしている。正確にはハンドベースボールと言うそうで、バットの代わりにげんこつでボールを打つのである。私はふと興味をおぼえて、しばらくながめることにした。みんな順ぐりにバッターとなってボールを打っている。なかなか遠くまで飛ばす子もいる。そのうち、体の一番小柄な1,2年生ぐらいの子がバッターとなった。年少のせいかなかなかボールが当たらない。1回、2回……3回目にやっと打てた。ピッチャー前のボテボテである。でもその子はベースに向かって懸命に走った。結果はアウト。しかし、その子の顔には不満は見えず、むしろボールが当たったことを喜んでいるようだった。私はその光景を見て、不思議なことに何かを教えられた気がした。本来ならみそっかすであるべきその少年が、チームの端くれの球ひろい的存在でありながら、年長の少年達にこごとを言われながらも、自分の与えられた場で懸命に頑張っている。その姿に何かを感ぜずにはいられなかった。
私は4年間テニスをしていて、はたして自分の立場をわきまえていただろうか。何もしないのに、何もできないのに、回りに対して羨望と不満ばかり抱いていなかっただろうか。試合に出るチャンスに恵まれても、喜びと誇りをもって試合に臨んでいただろうか。チームという組織においては、1人のプレーヤーの影には多くの人々の努力があり、大きな期待がかかっている。だからプレーヤーは、試合中に容易に屈して、影の努力を無駄にし、期待を裏切りことのないよう最善を尽くさねばならない。
また影の努力に回る者も、自分の努力に応えるべくプレーヤーは努力しているのであり、加えてチームの1員である以上必要な存在にちがいないのだから、努力を怠ってはならない。したがってどのような立場にあろうとも、その立場において最高の努力をする。そしてそのなかから喜びを得ようとする。そういった気持ちを忘れてはならないのだ。私はその少年の懸命な姿を見て、今までの自分を恥じるとともに、新たな決意を抱かずにはいられなかった。
暖かい春の日のことだった。外はまだまだにぎやかさを保っていた。私はけだるさに代る何かが、体の中に湧いてくるのを感じていた。そしてつと立ち上がると、部屋のかたづけに取り掛かった。
(川崎区役所就職)
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目に見えるものと、目に見えないもの
林 茂 雄 |
世の中には目に見えるものと目に見えないものとがある。我々はあまりにも眼に見えるものに支配されすぎている。現実の生活に於いてもそれはまさに実感されるものである。目に見える現象面だけが現実であるとされる。それが重視されればされるだけ対極の目に見えないものがないがしろにされる。そのことがますます深く深く拡がっているのが現代の状況である。哲学史的に見れば、ニーチェ以前、プラントのイデア、カントの物自体という不可視のものに真の価値が置かれ、永遠のものとされた。しかしニーチェによって永遠と現実との価値転換がなされて以来、西洋形而上学は終結し、それが今日まで流れつづけている。そして伝説と神話が現代という時代から逃げ去った。
伝説や神話とは何だろうか? それは人々が、否、人々の心が集まる故郷である。そこでは人々が集い、真に語り合うことのできる世界がある。目に見えないものが媒介する真の共同体があった。 ディオニュソスが熱い大気を躍動させる場があった。然し現代ではその故郷、世界を喪失している。では我々はいかにその場所を確保することができようか。もはやそれは取り戻すことのできぬ宝と なってしまったのであろうか。
我々はテニスの世界においてそれを取り戻す。テニスという媒介を通してその故郷に足を踏み入れることができる。伝説と神話を持たぬ我々はテニスという世界において集い、真に語り合う。それを通して真の共同体に住まうことができる。テニスそのものがそれを成就するのではない。テニスは我々の奥深く眠っていたディオニュソスの精神を、眼に見えないものを甦らせるのである。それが先のことを成就するのである。眼に見えないものが生み出すその場所は安逸な世界ではない。なぜならそれは真に対話的な世界であるからである。対話とはこの場合語り合うということではなく、人格相互に対決のことである。そのことによって我々は自らを脱皮し生成するのである。それは現象的世界にはなかなか現れてこない。しかしテニスを通して必ず蓄積されてゆくものである。そしてそれは関係を生み出す。これこそ我が伝統の時代、神話の時代に持っていたものである。そして現代に於いて見失われたものである。テニスによって甦った眼に見えないものは、関係という賜物を我々に返してくれる。それは決して利害や打算が顔を出す領域ではない。それは極めて純粋な聖域である。関係によって我々は互いに結びつき語り合うことが出来る。そして自ら自身を開示し、対話を行う相手の開示された人格を受け入れる。その瞬間は永遠である。その時人間は始めて生き生きとし、自由を覚えるのである。
眼に見えるものばかりが脚光を浴びる現今、我々はテニスをと通じて眼に見えないものを甦らせ、対話を回復し、関係を取り戻さなければならない。それがテニスをすることの意義であり使命である。それはまことに厳しい道であろう。しかし我々はそれを打ち立てねばならない。
社会に出るにあたって、先のことを私自身の中でどのように考えているかを最後に残しておきたいと思う。
眼に見えるもの、たとえば金銭、財産、地位、看書だけをたくさんもった人間よりも、見えないもの、信仰、理想、情熱、心情などを豊にもった人間になりたい。これは夢であろうか? その答えは世間が決めるのではなく、私の未来が答えてくれるであろう。
しかし、雪をたくさん手に持った子供に、「この雪が解けたら何になる?」と問いかけた時、「春になる!」と楽しそうに答えるその子供の無垢な心が、眼に見えないもっとも大切なものが、世間の厚い壁を破るのはいつのことであろうか。隠れた美しいものが美しいと認められる時代がくるのは一体いつのことであろうか。
捨つる身の日々拾ふいのちかな (「自叙伝」河 上 肇)
(国立秩父学園就職)
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軟 庭 部 の 4 年 間
吉 田 省 三
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大学での4年間は、私にとって軟庭部での4年間だった。これまでを振り返ると、様々なことが鮮明に浮かびあがってくる。試合に勝ったこと、負けたこと、苦しかった練習……全ていい思い出になっている。軟庭を続けることができたという満足感もある。軟庭部での経験はこれからの人生の大きなプラスになってくれるものと思う。しかし、自分がプレーヤーとして大成しなかったことが悔やまれる。自分としては一生懸命だった。練習も良くやった。気力もあった。でも、そんな気持ちだけが先走りして、空回りしていたことが多かった。遠回りしていた4年間だった。後輩諸君を見ていると、私と同じように遠回りしている者が多いように思われる。自分なりの勝ち方がわかっていない。また、長所をどのように生かし、短所をどうカバーすればよいのか知らない。
貴重な時間を使ってテニスをやっているのだから、私のように遠回りしないよう、考えるテニスを心がけて欲しい。
(毎日放送就職)
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