「練 習 方 法」
主将 灘 武 志 |
先日、私は京大のアメリカンフットボール部が、あの強豪日大を破り、遂には社会人bPのレナウンまで下し、日本一の座についたことを新聞で知りました。新聞には、この勝利の裏には、綿密な 計算された練習、様々なスカウトの努力、練習外での選手をつなぐdiscussionなど部員1人1人が アメリカンフットボールに真剣に取り組んだ結果であると書いてありました。
このニュースは、我々慶應軟式庭球部にもやればできるんだと言う可能性を与えてくれると同時に成功するためには、大変な努力が必要なんだということを教えてくれたと思います。
ここで私は、我が部の練習方法について少し考えてみたいと思います。まず、軟式庭球というスポーツが、団体競技でなく、しかし、個人競技でもないという一種変わった競技であると私が思う前提に立って考えた場合、あまりにも我が部は団体練習が多いのじゃないかと思うのです。勿論、団体練習でなければ出来ない練習もありますが、もっと個人の創造性をフルに活用した練習をさせるべきだと思います。何故、私がこのように個人練習をすすめるかといいますと、私の経験上、何かヒントを?んだと感じる時の大半は個人練習の最中であると言う点、それと自分自身で計画を練るため練習が受動的でなく能動的となり積極性が生まれてくる点、又計画性を持って練習をするため、毎日の成果を少しずつでも感じることが出来る点、個人の能力、長所、短所などに適応できる点などが考えられるからです。これらのことは、団体練習では、不可能とは言いませんが、効果的とはいえないと思います。
では、どのようにして個人練習を取り入れていけばよいのかという問題に入ります。我が部の平均使用可能なコート数を2面とした場合、1面のクロスとストレートを乱打用に使い、逆クロスをサービスとレシーブにあてる。特に逆クロスは、レシーブ側主体とする。もう1面の使い方は、ストレートを3つ使って、1.前衛ボレー、2.前衛スマッシュ(セカンドレシーブ)、3.後衛サービスの打ち合いに使ったらどうでしょうか。ここで前衛ボレーは、サイドを使ったほうが感覚的にいいと思います。このようなコースを自分で自由に選んで1時間ほどでも毎日はいれたら良いのだと思います。これで、ある程度自分の重点とする練習が可能です。
去年、私も部員たちに個人メニューを課しましたが、もっと本格的に増やすべきだと思います。 以上、私の考えた練習法を1つ上げてみましたが、いずれにせよ、今年こそは末森首相を中心に2部復帰を達成してもらいたいと思う次第です。
(新日本無線就職)
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無 題
主務 村 田 洋 生
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| 昨年は、大学生活において最も思い出深い年であった。特に我が部の主務をさせていただいたのは思い出であると同時に貴重な体験であった。一昨年秋よりこの重責に就いたが、当初は主務の仕事の右も左もわからず、暗中模索しながら猪突猛進したために、随分まわりくどいことをしてきたように思うが、夢中になって仕事をしているうちに、自分なりに主務としての信条ができ、それが大変この1年間の部生活に役立ってきたように思う。
その信条とは?
先ず第1に、主務とは裏方に徹する地味な存在として考えていたが、実際に仕事をしていると、学連でも体育会でも遠征先その他でも常に主務として行動する時は、相手は自分を慶応義塾体育会軟式庭球部のもう1つの顔として接している、ということを強く感じた。
当たり前のことではあるが、このことは自分に責任感というものを強く意識させた。
第2には、いろいろアドバイスしてくださった内藤監督が、「仕事に対して常にpositiveであれ。決してnegativeになるな。」と言われたが、仕事に対する率直な姿勢として非常に印象に残っている。社会に出ても、決して頭でダメと判断して動かないのでは新たな創造は生まれてこない。結果としてダメであっても、その課程で積極的に追求していく姿勢こそ創造の第1歩があるのではないだろうか。
さらに第3には、『葉隠』の1節である。
「今というときがいざというときである。いざというときはいまである。そのいまと、いざというときを2つに分けて考えているから、いざというときに間に合わない。………」
この1節は卓見である。『葉隠』とは江戸時代の武士道を書いた物であり、「武士道とは死ぬことを見つけたり。」などとかなり時代の相違を感じさせる書であるが、いざ、と、いま、の語呂合わせで、見事に言い当てている。呑気な性格の私には、自分を規律する上で的を射たものとして、常々心に留めている言葉である。
このように1年間の主務経験の中で、得られた信条は、これからの社会人としての生活でも大きな支えとなるであろう。
最後に、米田先生、内藤監督をはじめOBの皆様、4年間御指導いただきましてありがとうございました。
(東京生命就職)
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楽しい試合と 楽しい練習
副将 桑 野 生 位
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| 私が大学3年の6月に、我が慶大軟庭部は関東リーグ3部に降格しました。このことを思い出すたびに、そして、この入替戦に臨む慶大軟庭部全体の状況を思い出すたびに、私の口より発する言葉はすべて“愚痴”になってしまいますので、2部復帰さらに1部昇格を果たせなかった無念の思いと伴に、ここでは敢えて省略させていただきます。
さて、この試合を応援に来てくださった赤井さんの、この試合に関する率直な感想の中に、「相手は、1番の大将が負けてしまったにもかかわらず、その後に出場した選手達は、実にのびのびと楽しそうに試合を続けていた。逆に、うちのチームは、あの試合の最中、常に雰囲気が暗かった。技術的な事よりも何よりも、その辺にうちが負けた主な原因があるのではないか。」若干言葉に相違はあっても、このような内容のことが述べられていたように思います。
つぎに、我が慶大軟庭部が3部に降格して以来、常に順位に於いて一つ上位を保っている国学院大学軟庭部に関する事ですが、彼らは実に楽しそうに試合をやります。特に、場面が切迫すればする程、あたかも祭りをしているかのごとく全員が騒ぎ出します。出場している選手は、その祭りの中に融け込んでしまって、のびのびと真剣に試合を消化していきます。ここで、前述の赤井さんの言葉とも共通して、我が慶大軟庭部は、少なくともあの筑波大学との入替戦以来、のびのびと楽しそうに試合をやる相手に対しては、常に(順位において)負け続けていることに気がつくはずです。
では、なぜ私たちは彼等に勝てないのでしょうか、なぜ私たちの雰囲気は、彼等のそれに比べて暗いのでしょうか。以下に、私の独断と偏見に満ちた、まったく1人よがりの意見を書かせていただきます。
何と言っても1番いけないのは、全員が“勝たなければいけない、絶対に敗けてはいけないのだ。”と、必用以上に思い込んでいることです。軟庭のようなメンタルな部分の占める割合の高い競技において、このように思い込んでしまう事は、敗けるための必用十分条件であると思います。これでは、自分のチームがリードしている時ですら、マッチポイントを握っている時でさえも、精神的に相手よりも優位にあるとは思えません。いわんやリードされている時をや。
試合に敗ける事はそんなに怖い事ではない。怖いのは実力を出せずに敗けることなんだ。一生懸命やって、やれる事をすべてやって、実力を全部出し切って敗けるのであれば、それは仕方がない事なんだ。勝負は、どんなに頑張っても、一方が勝てば、他方は敗けるしかないんだ。精一杯やってその結果敗けるのであれば、いいじゃないか。……このように考えれば、少しは気が楽になって、少なくとも出場している選手の雰囲気は明るくなってくると思います。ちなみの私は、学さんや平田(ゴジラ)さんなどと組んでいただいた時の“勝たねばいかん”という嵐のようなプレッシャーを、このような考えによってやわらげました。
もう1つ言っておきたい事は、もっとみんなは試合を楽しまなければいけないと思います。公式戦においては、これが死ぬほど難しいという事は、私自身かなりよくわかっているつもりですが、敢えて言いたいのです。考えようによっては、関東リーグなどの大会は、普通は一緒にテニスのできない、関東中の無類のテニス好きが、日頃の練習の成果をためしに集まるという大会であり、また、名前も顔も知らないけれども、テニスという糸で固くつながっている仲間に会えるという、素晴しい大会であると思います。ですから、ただ単に勝ち負けを問題にするのではなく、そういう仲間たちとの友好を深めるために、楽しくテニスをするという面が少しはあってもよいはずです。公式戦に於いても、クラブ内の試合にしても、日ごろの練習の成果をためすという点において、試合は本来楽しいものであると思います。しかし、その前の段階の“練習”は、成果を上げることを目的としている以上、非常にシビアなものであるはずです。うちの場合は、今のところちょうど逆で、練習が楽しくて、そのために、試合、特に公式戦が非常にシビアなのではないでしょうか。
最後になりましたが、OBの方々、同輩の諸君、今まで本当にありがとうございました。私自身、クラブに関して何も思い残すことはありません。一生懸命やれました。さあ、これからも、精一杯頑張っていきましょう。
(興和火災就職)
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「な ん と な ー く」
渡 辺 光 祥
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酒をこよなく愛し、ひたすらパチンコを打ち、かたくなに女を買わず、健全かつ、充実した4年間でありました。今、思うと、よくまー1つのことに夢中になれたと思っています。ブクブクの体で入部、コート3週のランニングについていけなかったあの頃、テーピングしなければダメだった足首、注射打ってた肩、酒焼けした顔、写真見ると様々な思い出が湧いてきます。
4年の時には、わがまま言わせてもらって、南米に半年行かしてもらったし、皆様には感謝のしっぱなしでした。
皆さんにとって私は、いい後輩でしたか?
皆さんにとって私は、いい同輩でしたか?
皆さんにとって私は、いい先輩でしたか?
「この頃フッと考えるのです。こんなことを、これからもう少しマシな人間になろうっと。」 ヘタヘタって呼ばれた僕らの代だけど、1人も退部することなく、4年間過ごせて、良かったよね。これからもヨロシク同輩よ。
技術指導なんてできないけど、「どうせやるなら明るく、楽しく」僕でさえ、まぐれで関東8本なるんだから、後輩よ、インカレ狙えますよ。本当よ。
皆様に感謝するとともに、1つのお願い。心の片隅に、「おー、あんなアホがいたなー」って、留めておいて頂ければ幸いです。
本当にありがとうございました。
(日本ゼヨン就職)
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トラキチの見た 慶大軟庭部
岸 上 隆 一
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| 我が愛する阪神タイガースは、この20年というもの優勝という言葉に全く縁がありません。それだけではなく、現在のプロ野球12球団のうちで日本一になったことのないのは、我が阪神タイガースだけだそうです。そういった意味を含めてか否かは想像しかねますが、我が阪神タイガースは1月 14日、12球団の先陣を切って甲子園キャンプに突入しました。今年こそは私のようなトラキチが10月に大騒ぎできるような結果を出して欲しいと思いますが、冷静に考えてみるとまあ例年と同じことになるのではないかという気がします。
阪神ファンは概してそんなもので、口ではいつも、「今年こそは優勝いただきや。」などと言っているくせに、本心では「ヤッパリ今年も駄目やろな。」というのが、半分以上であります。皆様ご存知のように、タイガースは毎シーズンとも、1度は首位を脅かす(それだけ)のですが、必ず気がついた時には脱落しています。そして、シーズン終わり近くなって、優勝が決まりかけた頃になると頑張りだし、帳尻を合わせるのです。そんな訳ですから、阪神ファンは自然と“アンチ巨人”の1面のほうが注目されてしまうのです。しかし、阪神ファンはタイガースを見捨てません。開幕前の予想では、必ずと言っていいほど“台風の目”的存在となるといわれているのに期待に反するのは、タイガースの選手が他の球団の選手に劣るからではなく、ひとえに負け慣れてしまったからです。本当は強いのです。ただ緊張感、使命感が足りないだけなのです。
こんなことを考えていると、なぜだか慶大軟庭部とタイガースが私の中で重なってしまっていることに気がつきます。確かに我が部は、私の知っているこの4年間は負けが多すぎました。それも、いいところまでいっての逆転負けとか、大事なところでのポカ負けといった最も悔しい負け方が多かったように思います。しかし、我が部もタイガースと同様に、決して弱い訳ではないのです。練習時間だって他校に劣りませんし、テニスをする環境にしても学連の中ではトップレベルにあると私は思います。では何故勝てないのだろうか。それは、軟式庭球というものがそういう競技だからです。つまり、言い換えれば、軟式庭球はメンタルな部分の作用によって勝負が決する競技なのです。そういった意味で、我が部は負け慣れしまっている。すなわち勝負への執着心、各自の使命感などが他校に比べて少し足りないのではないでしょうか。慶応義塾のような伝統校が、関東の3部にいたままでいい訳がありません。むしろ本塾はリーダーシップをとるべき立場にいなくてはならないのです。私は、後輩諸君が、私たちが果たしえなかったその責任を必ずや成し遂げてくれることを信じています。
ところでどなたか、阪神タイガースの優勝と慶大軟庭部の1部復帰、どちらが早いか私と賭けませんか。もちろん私は……後者にかけます。
(富士通就職)
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あ た り 前 の 事
石 井 克 明
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現役選手を引退してから、もう半年以上になる。その間、就職活動・後期試験・旅行以外はほとんど印象に残るものはない。毎日がなにげなく過ぎてしまっている。現役の頃は、毎朝7時30分に起き、日吉で汗をかくという、それなりに満足できる生活があった。が、この頃は、昼間で寝、後は
ウダウダとした毎日である。毎朝、日吉まで行くのもしんどかったが、何もしない毎日のほうがもっと苦痛である。何かしようとは思う灘が、自分から何か始めることはなかなかおっくうであった。 よく“毎日毎日を一生懸命に生きろ”という。これ程、難しく、又できたら素晴しいことはないと思う。“良く遊び、良く学べ”も同様である。遊びも十分に有意義なことである。充実した遊びができる人は、良く学ぶことができると思う。充実していれば、物事の転換もすばやくできると思う。しかし、毎日を有意義に生きることは不可能であろう。が、それに近づこうと努めることが大事だと思うし、結果として後で振り返ってみれば、良き時代となっているであろう。
私も今春から社会人。もう完全に1人の大人である。なにをしてもすべて自分に責任がかかってくる。だからこそ、なおさら、毎日毎日を力1杯生き、良く遊んで、学ぼうと思っている。あまりにあたり前のことだが、あたり前の事程、いざ実行してみると難しいし、又、あたり前の事は人にいわれても聞き逃すことが多い。現役諸君も自分で(他人がどう思おうと)満足いく毎日を送ってほしい。
(リコー就職)
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無 題
長 南 陽 一
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大学を卒業して早3ヶ月、ほとんど毎日が午前様で目の前の書類と睡眠不足に悩まされております。今にして思えば、あの夏のストローク練習、15本打ち等が懐かしく感じられるのですから不思議なものです。
毎年卒業されていく諸先輩の文章を読んできましたがついにこの私にまで順番がまわってきて、今さらながら時のたつのは早いものだと感じております。
「会社人間」になりつつある私から現役諸君に言えることはただ1つ、「誰の為でもない、自分が好きでやっているテニスなのだから、目標を持ってメイッパイ頑張れ」です。ごくありきたりではあるが、学生の時にはなかなか実感としてわからないものです。
久しく軟式のラケットを握っていませんがもう1度、あの前衛アタックやトップ打ちの快感を味わいたいです。私も3,4年の時はペアも決まり又、気合もはいって、一生のうちでも2度とあるかなと思う程充実した生活が送れました。リーグ前のレギュラー決めや、天ピンの5番勝負等、あのアツイ試合をやれるチャンスはもうないと思うと、いささかクラクなりますが、自分は塾で軟庭をやったんだという事を誇りに思います。
誠に学生の4年間というものは長いようで短く、ついだらだらと過ごしがちですが現役の皆さん、自分のやる事を見付けて(もちろんテニス)とことん追求してください。とりとめのないことを書きましたが、慶応義塾体育会軟式庭球部の2部復帰を確信して送る言葉とさせていただきます。内藤監督始め諸先輩、現役諸君、本当に有難うございました。
(伊藤忠商事就職)
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「偉 そ う な 原 稿」
清 野 亘 司
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人生におけるチャンスとは、無限に、しかも身近に存在するものである。しかし、そのチャンスを自分の物にし生かしていくには、それなりの方法を持ち合わせていなければならない。
その方法とは、チャンスを見抜く眼力を持ち合わせることである。チャンスを?まえる手段を持ち合わせることである。それによってチャンスを?み、人生における成功につなげることが出来るのである。
では、チャンスを見抜き?まえるためには、何をなすことが必用なのか。それには、人生において明確な望みを持ち、目的を持つことが必要なのである。又何事においても、そのチャンスを?まえる眼力と手段を手に入れようとする事においてのみではないが、微々たる積み上げ、つまり普段の努力の積み重ねが、最高の結果を得る為の最高の過程となるはずである。
ここまで書けば、皆さん、僕が何を言いたいかをわかっていただけたと思います。つまり、テニスで相手に勝つためには、練習すれば良いのです。裏返せば、勝つためには、練習するしか方法がないのです。頭では理解していても、身体の動かない、そう、往年の清野選手のような人も、1度でいいから徹底的に練習してごらんなさい。それまでよりは2つぐらいは多く勝てるはずですから。あの練習嫌いの僕が言っているのですから、普通の人なら3つか4つ勝てるかもしれませんよ。とにかく身体を動かすことです。寝ているだけでは勝てませんよ。
しかし、大学4年間の練習だけでは、満足のゆく結果を期待するのは難しいかもしれません。でも、やるべきことを十二分にやれば必ず道は拓けるはずだし、そう信じながら生きることが大切なのです。
最後に、皆さん、4年間本当にありがとうございました。卒業後も飲み続けることを御約束しながらペンをおきます。
(山形ナショナル電機就職)
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学 生 テ ニ ス を 終 え て
女子部主将 佐々木 博 子
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体育会軟式庭球部を卒業し、私の青春時代の大半を占めていた“学生テニス”を離れた時、やっと終わりなのだとホッとした次の瞬間には、もうあれほどの緊張も感動も味わうことがなくなってしまうという淋しさを、強く感じたように思います。
何度もやめようと思った下級生のころを思い出すと、軟弱な私が、よく10年もテニスを続けて来られたものです。よほどテニスがすきなのだと、友人によく言われましたが、毎日の練習にあけくれながら、テニスが大好きだと実感できるほど余裕があったら、私ももっと強くなれたかもしれません。それでも私がテニスを続けられた理由は、周りの人達の激励はもちろんですが、もう1つ、私自身が、テニスをしている時の自分を、いちばん好きだったからだと思います。テニスをしている時だけは、驚く程、自分に対して正直で、純粋で、他のひにくれた自分とは、別人の様になれたからです。試合のプレッシャーと戦う時も、とにかく何とかして勝ちたいという素直な気持ちで、ボールを打ち、その後、残酷に出てくる勝ち負けという結果を受けとめることのできる自分。こんな自分を、私はいちばん好きでした。自分に自身を持てず、自己嫌悪ばかりの私にとって、テニスをしている自分は、大きな支えだったのだと思います。
自分の全部をさらけ出して物事にむかってゆけば、それだけ、失敗した時の挫折も大きいけれど、目標に向かって、失敗を恐れずに“自分に忠実”でいることの出来た時代。それが私の学生テニスだったように、今、思います。
どうしても勝ちたかった試合は、勝たなければならなかった試合……数えきれない後悔を残したまま卒業しますが、同じくらい多くのものを得ることのできた4年間でした。
これからも、後ろで皆なが歌う“若き血”にアツくなって、コートに立ったときの気持ちを忘れずに、いつまでも、気持ちだけは若く、体だけは、たくましい私でいようと努力する覚悟です。
先輩、後輩の皆さん、同期の皆な、4年間本当にありがとうございました。
(キャノン就職)
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「卒 業 に あ た り」
棚 橋 真 紀
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毎年の部報の「卒業生の言葉」を貴重なものと受け留めず流し読みしかしていなかった私が、実際に書く立場になると非常に感慨深い気持ちになると共に、幾多の教訓を誌面を通じて教えて頂いた諸先輩方に大変に恥じる思いで一杯であります。
4年間の体育会生活で生憎と後輩諸君に伝授できるテニス技術を持ち合わせることは残念ながらできませんでしたが、最後に1つこの事を後輩諸君の頭の中に入れておいてもらいたいと思います。
「経過は大事だ。然し結果が全てだ。」
勝負を問われる体育会において、我々は常勝を要求され、負けてしまえばその試合がいかに惜敗であろうともまわりの評価はゼロであるということです。逆に言えばそういった切迫感を持っていなければならないとも言えましょう。スピードスケートの黒岩選手があれほどまでにもてはやされ期待されながらも、本番で後輩の北沢選手がメダリストになれば、一転してスターが入れ替わってしまうのは、その最たるものではないでしょうか。当日のリンクコンディション、本人の調子は何の言い訳にもならず、ましてや言い訳などは許されないのであります。だからといって1発勝負に臨めというのではさらさらなく、「勝」という結果を得るための経過、つまり事前準備を本当に怠らずにやったのか、最後まで詰めて考え練習に厳しく取り組んできたのか、試合でどれ程までに発揮できたのか、を部員1人1人が見直し考えなければならないと言いたいのです。あくまでも結果がすべての勝負の世界、結果で評価が決まるということを認識し、それに対する完全なスキのない事前準備を心掛けて欲しいと思います。
現在我が体育会軟式庭球部は今1歩というところまで行きながらも接戦の末惜敗、低迷を繰り返している状況といえましょう。「経過は大事だ。しかし結果が全てだ。」1日も速く現状を打破し、大いなる飛躍を期待します。
末筆になりましたが、監督を始め、O・B諸氏の皆様、本当に4年間有難うございました。
(富士銀行就職)
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