〈巻頭言〉


 本 年 度 を 回 顧 し て
                               慶應義塾体育会軟式庭球部   部 長  米 田   治
                                                     
 (文学部教授塾員)
     

僕が軟式庭球部の部長になって約6年が経過した。その間、体育会の軟庭部という組織を、身近でというより自分自身もその中にいる当事者の1人として、共同体験しながら観察することができ、貴重な人生経験をさせて貰った。そして思い当たることも多かった。そのうちの1つに、ある集団なり組織なりのもつ伝統という問題があった。
軟庭部の永きにわたる歴史よりすれば、僕が部長としてコミットしていた現在までの期間は、比較にならぬ程の短時月にすぎないし、それ故そこから得られるものを軟庭部の伝統というのは、大げさで、おこがましいかもしれない。それをおし切って敢えて伝統というなら、僕にとってその最も顕著と思われるものに、この部自身の体質ともいうべき、えもいわれぬ「精神的ひ弱さ」があった。個々の部員諸君、個々のプレーヤー1人1人をとってみれば、強い性格の人もおれば、気の強い人もいる……のに、集団としてプレーに臨む時に出現し、結果としてその試合を支配してしまう、「精神的ひ弱さ」という伝統の摩訶不思議さに、何度歯ぎしりしたかしれない。
さて本年度の秋のシーズンに於いて、男子は関東大学リーグ3部優勝、2部昇格を、また春のシーズンでの東京六大学リーグ初優勝等々を達成し、女子は特に秋には3部においてまずまずの成績をおさめたのは、周知のところで同慶の至りであるが、僕が注目したいのは、この勝利、この成績における「精神的ひ弱さ」に関わる伝統の問題である。優勝とか昇格とかは確かに喜ばしいし、目指して努力すべき目標だが、それと同様に重視すべきものに「勝ち方」、「試合っぷり」の問題があると僕は信じている。そして今度優勝、昇格等の好成績において、従来の伝統とはひと味もふた味も異なったものが、即ち「精神的力強さ」が、「最後まで勝負を棄てない粘り強さ」が見出され得た点、これを僕は最大の成果として称賛し評価したい。
それでは、「精神的ひ弱さ」という伝統の摩訶不思議な精神的呪縛から、何が開放させてくれたのか。この問いについて答えを考えるとき、思い当たるのはただ1つ、3部に長期低迷し、優勝できそうで勝負の女神に見離され、アクセク、ジタバタ苦労し、苦しい思いをかみしめながら努力したこと、答えはこれしかないように思われる。「伝統とは人為的につくられるものではなく、或るものであり、形成されるものである」、とはよく言われるところであるが、ひたすら日常的努力の貯積、このような努力の積み重ね、そうした苦しい努力の過程に於いて、ある日ふっ切れたように開かれてくるもの、身についてくるもの、これが「或るもの」としての伝統の形成であるように思われるのである。
本年度の最大の成果はこれであったと、僕は考えている。少なくともこのような新しい伝統創造に第1歩をふみ出し、そのための現実の成果をおさめ得たと考えたい。来年度も、本年度の好成績に安堵することなく、今までの低迷時代の、アクセク、ジタバタの努力を積んでほしい。そして形成されつつある新しい伝統をより確固なものにするよう、地道に努力してほしい。そうすれば結果としてよりいっそうの発展が、おのづから可能になるのではなかろうか。
最後に、長期低迷時代に部員の学生諸君と共に否それ以上に、ひたすらの努力に苦労され、学生諸君の指導に尽力された先輩諸氏、さらにそれを背後から支えてくださったより多くの先輩の方々に、感謝の意を表するとともに、新しい伝統の形成というものは、「現にその場にあるもの(現役の学生)」と、「すでにその場の活動から離れたもの(先輩諸氏)」の、全体的努力の結果であることを痛感していると、結論づけたい。

(1987・11・29)

 


C A P を 目 指 し て
                                 三田軟式庭球倶楽部
                                         理事長  昭29卒 風 間   清

62年3月7日、三田山上に於ける、三田軟式庭球倶楽部の総会に於いて、理事長に就任の御承認をいただいた折、次のような趣旨の御挨拶を申し上げ、皆様の御後援を仰ぎました。くどいようで申し訳ありませんが、部にとって大切なことなので、ぜひもう一度読んでください。
ご存知の通り三田軟式庭球倶楽部の目的は2つございます。1つは塾軟式庭球部の発展と育成に役立つこと、もう1つは会員相互の親睦を計ることであります。私たち役員に課せられた責務と、皆様の私たちに対するご期待とは、この2つの目的のために、より活発な活動を行うことにあると理解しております。
私たちは今後この活動を開始するに当って、之をCAP活動と名付けて展開して参りたいと考えております。
CAPのCはCommunication情報伝達のCであります。CAPのAはAccounting会計、計算のAであります。最後のPは、Participation参加、参画のPであります。
CとAとPを良くすることによって、Capacity能力、容量のCAPを高め、Capability可能性のCAPをひきだし、そしてCAPを目指す。このCAPは頂上という意味であります。
Communicationは任意団体の維持運営と組織の活性化にとって、欠くべからざるものと考えます。これの改善に取り組んでまいります。
Accountingの基礎をなすものは、言うまでもなく会費であります。皆様の会費はCAP活動にとりまして、言わば、エネルギーの源泉であります。会費の額の妥当性、その徴収方法、管理方法、最も効果的な使い方、予算、決算のあり方等々について洗い直しをする時期にきていると認識しております。
次にParticipationでありますが、これこそ私たちが皆様に1番望んでいることであります。三田軟式庭球倶楽部は一部の役員のためのものではありません。みんなのものであります。そして私達の心の故郷であります。会費を収めるだけという参画に止まらず、CAP活動にも大きな関心を寄せてください。いろいろな行事にも時間の許すかぎりぜひ参加して下さい。そして少なくとも年1回の総会にはぜひお顔を見せてください。今後共、みなさまの暖かいご後援とご鞭撻を心からお願い申し上げます。

この数年、「CI活動」の重要性を認識し、全社をあげて積極的にこれと取組む企業が増えているが、三田軟式庭球倶楽部の存在と活動も一握りの人々のためのものではなく、集団としての、みんなのためのものである以上、企業にとっての「CI活動」と同じようなものが、わが部にとっても必要かつ重要であると考えた。少なくとも、CIまでいかなくとも、1つの言葉によって、できれば1度聞けば忘れない言葉によって、みんなの努力や活動や関心が、1つの方向性を持つならば、きっと集団はより活性化するに違いないと考えた。そうして、3日3晩苦しみ抜いて、呷吟の末、生まれてきたのが「CAP」である。
CAPを単なる御題目や精神活動だけに終わらせないためには、CAPが「頂上」という抽象的な目標では事足りず、具体的な目標でなければならないとして、春の静岡合宿に集合した常務理事によって、CAPは2つの具体的目標に圧縮された。
(1)塾軟式庭球部が全国制覇すること。
(2) 三田軟式庭球倶楽部が塾體育會OB会の中で最良の団体になること。
誰かが言った。(1)の実現は時間の掛かる長期目標であり、(2) は比較的容易な短期目標であると。或いはそう言えるかも知れない。
では、実現容易な短期目標から考えてみよう。「もし会費がその納入期限内に80%以上納められたとしたら。」「もし出欠等の返信依頼に対する返事が70%に達したとしたら。」「もし住所変更等の連絡が、遅滞なく事務局に90%以上なされたとしたら。」この3つの「もし」を全部クリアーしたとすれば、これはもう(2)の目標が達成されたと見てよいだろう。なんだそんな程度のことなのか、と読んでそう思う方が大勢いることを期待している。何故なれば、1人1人がきちんとすれば、容易に実現できることなのだから。
一方、(1)の実現は(2)よりも遥かに遠い目標のように思える。しかし、決して「見果てぬ夢」に終わらせてはならない。できることは何でもやって実現したいと考えている。どんな問題でも、それを解決するためには、(a)当面の対策と(b)抜本的な対策を併行、同時に進める必要がある。(a)は言うまでもなく現役の強化策であり、(b)はもっと長期的視野をもった強化システムそのものである。今迄はどちらかというと、(a)に偏り過ぎたように思う。今後は(b)についても、衆知を集めて真剣に取組んでいきたいと考えている。
われらが三田軟式庭球倶楽部の活性化とCAPの実現にとって、1人1人の自覚と協力のほかに、各卒業年代から選ばれた理事の役割が極めて大切である。理事の選出は、各卒業年度の会員の互選によることとされている。同期の中で最も活動できる人を選出して欲しい。また、活動できない事情の生じた理事は、可及的速やかに代理人を立てて欲しい。そうすることで更に進歩を加速したいと願っている。理事の方々には、常々、次のように期待しお願いしている。
常務理事、理事の心得
光輝ある慶應義塾の伝統のもとに、青春の大事な1時期を過ごした者として、また、そういう優れた集団から理事に選ばれたものとして、自覚とプライドと愛塾精神をもってCAP活動に当ろう。決して代償を求めず、やってやるなどとは露ほども思わず、やらせて戴くという気持ちで事に当ろう。
そうすることが理事1人1人の力量を高め、三田軟式庭球倶楽部の諸活動を活性化させ、CAPの実現をもたらすことになる。
最後になりましたが、62年度中に賜りました皆様のご支援、ご協力に対しまして、心から厚く御礼申し上げますと共に、63年度も一層よろしくお願い申し上げます。

 

 

 


あ と 1 本 へ の 挑 戦
                          監 督   昭34卒  内藤 享佑

不覚にも、その時も、「全日本制覇」という最も大切な言葉、目標を忘れて、只々嬉しく湧き出てくる涙を拭きながら隠すのに苦労した――今期、昭和62年度納会が終わった11月29日夜、現役学生諸君に胴上げされ、空に舞った時のことである。去る11月7日、対明治との入替戦の日、会社の旅行先で密かに待っていた連絡が夜半までなく、さては(?)……と心配していた矢先、パーティー2次会の真最中に、「…勝ちました…の電話がありました」の伝言があり、思わず、はらはらと涙が止まらず近くに居た女子社員から「どうなさったのですか?」ときかれて「いや別に…煙草の煙のせいだよ、きっと…」と誤魔化しながら、昔、丁度30年前、私が現役3年生、昭和32年春季関東リーグ戦後の、私にとっては4連敗後の5度目の1部への入替戦(その時も、奇しくも、同じく対明治大戦であった)に勝って1部に復帰した時、私達現役部員とコーチ、応援に来てくださった20名を越すOB先輩と共に、汗と泥と、そして涙にまみれながら、みんなで手を取り合い、抱き合いながら喜んだ、その時のことを思い出していた時も、そうであった。
勝てそうで勝ちきれない――それが勝負というものであり、それを勝ちきるこつを得るべく血のにじむような努力、精進の機会を与えて呉れるところに、勝負の世界に生きる意義があると思う。
 思えば、長い3部生活であった。昭和57年春に3部転落以来、前季の昭和62年春季リーグ戦まで10回の関東リーグ戦で、準優勝7階の数字が示す通り、あと僅かの差をつめ、今季、秋リーグ戦でやっと、その「あと1本」を取る迄に11季かかった。この重く大切な1本を忘れないよう、取れそうで取れなかった、数多くのあの「あと1本」をたどってみたいと思う。そのうちで、少なくとも4回は、勝てた筈、優勝に手が届いていたのに!
@ 昭和58年秋、国学院大、学芸大、本塾の3校が勝負、勝組数共同率の三つ巴、結局わずか1ゲームの差で国学院大に優勝を渡した。もう1ゲーム取っておけば……国学院大または学芸大との試合で、いくつもあったゲームポイントであと1本取ってもう1ゲーム取っておけば優勝できたのに。
A 昭和59年秋、その夏インカレ団体戦で3位、その秋の関東リーグ戦では、斯界の誰でもが、自他共に、本塾の3部優勝と2部復帰を予想していた程、自信満々のリーグ戦であったが、下位の対立教大及び亜細亜大戦に、あと1本が取れず、敗れて、最終戦の対国学院大戦が1位決定戦にもならなかった、油断と屈辱。
B 昭和60年春季、山中湖での学芸大との決勝戦、第3戦は対千葉・井上組(同年インカレ個人戦ベスト8本に入った強敵)との1戦、ゲームカウント4−4のファイナルゲームで3−2とリードしたマッチポイントでの左ストレートをポーチして簡単なボレーをネットした1本、同ジュース後、右サイドでストレートのプレッシングで敵前衛をきれいに抜いて、ほとんど決まったかに見えた打球を相手後衛が走りバックでやっと返球した、いとも簡単なスマッシングを既に決まったと油断して、後向きでガッツポーズをして見逃したもう1本、いかにもくやしい、悲しい2本が今でも夢に出て来る。そして第4戦を  2−4の劣勢から挽回して取って、対戦成績を2−2とした後、最終の第5戦、明らかに実力上位の塾チームが、熱く固くなって、実力が出ないうちに敗れてしまった。塾前衛のボレー、スマッシングのミスが15本位はあった(それでも3−5の敗戦であった)。あの時の夕日に映えつつも、悲しい山中湖コートが目に浮かぶ。
C 昭和61年春、再び山中湖で。最終戦、対順天堂大との決勝戦、霧の中、対戦成績2−0と本塾の絶対優勢、リードのあと、第4戦は4−2から、第5戦は4−3から何回もあったあと1本のチャンスを逃し逆転負け、誰もが信じていた、手中にあった、優勝を逃した。下駄を履くまで勝負はわからない。   ……とはあの時のことだ。
 その「あと1本」への挑戦の歴史はこれで終わった訳ではない。勝負の世界に身をおく限り、永久に続く更に厳しい「1本」へのよき糧としてほしい。更に厳しい「1本」とは言うまでもなく「全日本制覇」への「1本」であることを再認識しよう。
 三田軟式庭球倶楽部の岩井会長、風間新理事長をはじめ役員、OB有志諸氏を中心に活性化された、三田倶楽部よりの物心に亘る御指導、御支援のお蔭で、今年度はいくつかの嬉しい戦果がありました。春の六大学初優勝、対早稲田大、同志社大の両定期戦に勝利し(両戦に買ったのは15年振り4度目)、そして秋季関東リーグ戦3部で優勝、対明治大との入替戦に勝って6年振りに2部復帰、等々、であります。しかし、団体戦での東京ベスト8本、全日本ベスト16本、個人戦での開田・宮部組の春六大学2位、梶川・川本組の東日本ベスト8本等では、先に再三繰り返した「あと1本」を取りきれず、涙した、悔いも残した好例でありました。今年度取り切れなかった、更に厳しい「その1本」を取れるよう、練習コートで汗し、涙して「全日本制覇」への厳しい坂道を半歩、1歩と前進してほしい。
三田倶楽部の先輩・OB諸氏には絶大なる御指導・御支援を賜ったことに対しまして、熱く御礼申し上げます。今後共よろしくお願いいたします。

 

 

 

O B 短 信
昭8卒 鎮 目 俊 之
塾を卒業以来、東京を離れて55年、すっかり田舎者の耄れ(オイボレ)になってしまいました。
5年前、喉頭癌で全喉頭摘出手術を受け、気管と食道が分離され咽喉(ノド)の下の処に別に気管孔を作って、そこで呼吸しているのです。
だから口と鼻は食道から胃へ通じている丈で、肺には通じていないのです。随って声と匂いを失いました。
然し1つだけ方法があります。それは水を飲む要領で、空気を食道へ送り込んで、その僅かな空気で、食道の壁の一部を震わせて、音を出し、その音を口腔で構音して声にし、言葉にする方法です。之を食道発声法と申します。
大阪には阪喉会と言って、ボランティアでこの方法を教える教室があります。私は此の教室に通って5年になりますが、若い人の様にはなかなか上達致しません。それでも近頃家族と意思の疎通が、結構出来る様になりました。週に1回この教室で、喉頭摘出者同士が、互いに食道発声で語り合い、励まし合うことが、今は楽しい生甲斐の1つになっています。
昨年、スペインのバルセロナで開催された喉頭摘出者世界大会へ教室の仲間達と出席致しました。
50歳で始めたゴルフは、今も続けています。月に3、4回コースを廻っています。歳と共に飛距離が落ち、ハンディキャップもさがって、現在オフィシャル24です。少なくともあと5年、85才位までは頑張り度いと希って居ります。

昭14中退 呉  啓三郎
関東リーグ2部へ昇格おめでとう。内藤監督を軸に、皆々様の後援は勿論のこと、選手諸君の日頃の努力の結果と、心から敬意を表します。特に4−1にリードされてるゲームを粘り抜いて試合をものにしたことは、力強さを身につけた証拠です。今後そのようなことを含めた競技力を一層向上させ、1部昇格と全日本の覇者へと進展してください。
春の合宿には、何とかして顔を出したいと思っています。小生はお蔭様で元気です。
皆々様の御健勝をお祈り申し上げます。

昭27卒 大 石 繁 徳
62年6月、会社顧問も退き、自由の身になりました。家の新築、その他雑用もありましたが、10月23日の第5回球児会に参加させて貰い、天気も良く、何年振りかで地方の方々にもお会いでき、非常に楽しい1日を過ごさせて貰いました。クラブを振る姿が、テニスのフォームになんと似てるものかと驚かされ、かつての日吉の練習が思い出されて、懐かしい思いをいたしました。
種々お世話になった、風間理事長初め諏訪、森川両君に感謝いたします。

昭27卒 高 橋 昭 二
学校を卒業してから早くも35年が過ぎました。会社の方も2年前に定年退職し、新しい会社に来ています。
39年夏にアキレス腱を切ってからは、ゴルフの方に転向し、ラケットを握らなくなってから20年以上になりました。そういう訳で日吉の方へもつい足が遠くなり申し訳なく思っています。
遠い昔の話になりますが、全国学校対抗戦で準優勝したときの感激は、今もはっきり思い出すことができます。いずれ日吉の方にも1度足を運びたく思っています。

昭29卒 安 藤 道 也
風間理事長から、2部昇格の吉報の電話連絡をいただいた夜、フッと、かつて1部から2部に降格させられた時のくやしさを想い出した。
今から三十数年前、体育会に昇格して間もない秋季リーグにおいて、1部の5位になりホッとしたのも束の間、その直後に、1部5・6位と2部1・2位の入替戦が決り、それに抗議してボイコットした塾は、2部に落とされてしまった訳です。責任をとって丸めた頭に、その年の木枯らしが殊の外寒かったのを覚えています。

昭29卒 伊 奈 宏 司
毎度、諸連絡ご苦労さまです。63年のNHK大河ドラマは武田信玄です。甲府へおいでの時は私のところへも是非共お立寄りください。

昭29卒 井 上 眞 治
本年度は六大学リーグで初優勝、慶早戦での勝利、2部昇格と明るい知らせに接し、誠に悦ばしくご同慶の至りです。
わけても結成以来35年を経て六大学初優勝と聞かされた時、設立当時を想い起こして感慨無量のものがあります。
我々OBも過去の反省のもと、団結と現役への協力体制を整えるべく作業が進行しています。風間理事長・内藤監督を旗頭に、強い部の確立を目指したいものと、心から願っている1人です。

昭29卒 岡 本 政 一
大阪に来て、7年目の春を迎えようとしている。商人の町、船場で紙屋の親父におさまっている。「儲かりまっか」「ぼちぼちでんな」この挨拶も大分いたについたと思うが、相手には異様に聞こえるらしい。こちらに来て56歳の人生を振り返ってみて、人との出会いによって、己が生かされているような思いがする。
関西には三田軟庭クラブの会員が相当数在住して居られるが、会員名簿では、私の名前も卒業順で4番目に位する大先輩になってしもうた。
その大先輩が、ある日、神戸ゴルフクラブで三田会の面々と応援歌を謳歌して来た。大先輩も若き血に燃えている。

昭29卒 関 根 昭 三
先日町の友人から「次の日曜日に50歳以上のテニス大会があるので出ないか」との電話があった。ここ数年ついぞラケットを握っていない。二つ返事で断った。だが切った後、無性にテニスが恋しくなり、自分でも不思議なくらいであった。体調も良く、「健康の秘訣は健康に対する無関心」と常々大きな事を言っているが、この頃健康の為にも、又テニスを始めようかと思っている。これは才のせいか。いや、良き友に恵まれた青春時代への郷愁かもしれない。

昭30卒 伊 藤 信 雄
62年10月15日、近畿百貨店軟式庭球大会に於いて、42年卒の中西敏之君と組んで、個人戦壮年之部で昨年に続き2年連続優勝しました。中西君は団体戦、及び個人戦一般男子の部でも優勝しました。私はこの機会に百貨店のテニス部長を辞任しました。

昭30卒 久 米   宏
関西在住にかこつけて、三田軟式庭球倶楽部会員としてのCAP活動のCとPは全く落第、何とかAだけで資格を保持させていただいています。このような小生の怠慢をよそに、最近の倶楽部活動の活性化は目を見張るものがあります。会報もスマートになり封を切るのが楽しみとなりました。この度の2部復帰は、選手諸君の奮闘と相俟って、その成果がでたように思います。風間理事長の御努力に敬意を表し、ささやかなP活動をさせていただく次第です。

昭30卒 榮 谷 嘉 恭
発足のときお手伝いした一員として、今日の三田軟式庭球倶楽部の発展、部報の充実化を見る時、本当に嬉しく思います。
これもひとえに、倉橋さん、岩井さん、豊田さんを中心に、諸先輩によって、当初、的確な方向づけがなされたこと、その後会員各位が一致協力し夫々の任務をきちんと果たされた結果によると思います。しかし、組織30年を越えて更に発展を遂げるには、新しく燃え上がるエネルギーの結集が必要です。このような時期に、CAPの合言葉のもと「風間丸」が出航したことは、まことにタイムリーと申せましょう。風間船長のもと、会員各位が夫々課せられた任務を完全に果たしたとき、当倶楽部の斯界における地位は不動のものとなりましょう。
会員各位の御健勝と当倶楽部の一層の発展をお祈りいたします。

昭30卒 林   平 蔵
26年入学の我々は、1番部活動の少ない年度だったと思います。そのせいか、先輩各氏の足手まといになる事の方が多かったし、又、後輩諸君にお世話になりっぱなしの4年間でありました。卒業後も三田会への貢献があまりできず申訳なく存じます。
私の勤務地郡山は、観光東北の玄関口としての存在でしたが、新幹線開通以来、北関東的色彩をおび活気ある産業都市になってきました。こちらへお出かけの節は是非お立寄り下さい。風間理事長の御健勝と御活躍を祈念します。

昭31卒 太 田 太喜
すっかりご無沙汰しております。三田を離れて30年になりますが、毎々会報で日吉の香りを届けていただき感謝しております。小生も電通に入社後、東京、福岡、大分、北九州を経て、61年12月福岡、九州支社へ帰ってきました。もう転勤はないと思います。若し來福される機会がありましたらぜひ声をかけてください。博多の夜を、辛子めんたいこを肴に、麦焼酎を酌み交わし、博多ラーメンを食し、日吉と三田の香りに浸ってみたいものです。

昭31卒 松 田 英三郎
京都の四条河原町阪急に4年間勤務し、昨年からまた大阪の本店に戻ってきております。
百貨店業も環境はすこぶる厳しく、前途は必ずしも洋々たるものではありませんが、優秀な卒業生を求めております。社会の変化に敏感で、時代の先を読もうと推理を働かせる才能にあふれた諸君には、働きがいのある職場だと信じています。
追 伸
とりあえず、2部昇格おめでとう。この次は1部昇格、そして優勝を。

昭32卒 岩 本 義 久
三越虫けらの会近況
「1年違えば虫けら同然」…石曽根先輩以下は全て虫けら。現況まとめて紹介します。
石曽根 邦一郎  29 千葉三越常務 松 本 健太郎 31 取締役開発本部長
新 倉  肇    31 商品本部商事部部長 岩 本 義 久  32 外商本部次長
牛 山 善 弘  33 沖縄三越店長 古 山  宏   37 本社サテライト事業部長
寺 岡 基 夫  40 千葉三越紳士服部長 青 山  忍   42 総務本部副部長
高 橋 浩 治  49 総務本部人事部(旧山田) 鎌 田  純   54 英国三越(ロンドン在
何年たっても身近な存在です。

昭32卒 佐々木 芳 也
今春には、部報でながくお世話になった株式会社白橋印刷所の白橋会長を囲んで、歴代編集者の集いに出席し、なつかしい方々にお目にかかりなした。その折22号までの部報を合体して下さいました。
師走に入っては、32年卒6名が集い、旧交を温めるとともに「ソフトテニスの新世紀」を手にし、先輩諸兄の噂をしたことでした。

昭32卒 諏 訪  弘 
塾に関する私の昭和62年における特記事項は次の通り。
◎ 年初の総会で多くの皆さんの元気な姿に接したこと。
◎ 静岡における春季合宿に1泊2日で参加したこと。
◎ 春季六大学リーグ戦で優勝したその夜の祝賀パーティーに参加、喜びを共に出来たこと。
◎ 第5回球児会(29卒〜32卒のOBを中心とした懇親会)を無事に行えたこと。
◎ 2,3部入替戦を応援、勝利の胴上げを受けたこと。
 昭和63年になすべきこと。
◎ 三田軟式庭球倶楽部の一層の充実を計るため、規約の改定を検討すること。
◎ 40周年記念総会の企画を考えること。
◎ 第6回球児会を開催すること。
倶楽部員相互の親睦を深めること、組織の充実を計ること、財政基盤の確立、現役への支援、戦績の向上に資すること等について、真剣に取組んでゆきたいと考えております。

昭32卒 前 田 利 一
私の勤務先「東ソー」は、10月1日よりCI活動により、(旧東洋曹達工業?)から名称が変わりました。どうぞよろしく。
私の担当は、ファインセラミックス等の新材料の事業開発で、海外の仕事が多く、カナダ、USA,ドイツオランダとほとんど不在にため返事が大変遅くなり失礼しました。63年は少し、ゆとりを作ってKSTCの皆様に御無沙汰のおわびを申し上げなければと存じております。
家族は23才の娘と19歳の息子と妻と、共々健康で平和に暮らしております。
六大学リーグ優勝、関東リーグ2部昇格に対し、心から祝します。更に前進される事を期待致しております。

昭32卒 藤 岡 嗣 倫
2部昇格は今年1番うれしいニュースでした。
今の4年生が入学した後、いつでも2部に上がれる実力があったと思います。でも勝負は厳しいものです。
遂に2部昇格を成しとげた現役諸君に拍手。
卒業を控えた4年生の皆さんもこの充実感を胸に抱いて、社会で活躍してください。
3年生以下の現役諸君の目標は当然1部昇格。全力を上げて挑戦あるのみ。

昭33卒 大 岩 博 信
卒業以来、ラケットを全く握らず、ミットに持ち替え、今でも早朝野球でキャッチャーをやっており、健康には恵まれております。
昭和46年家業の衣料スーパーがニチイと合併して以来、不動産業「尾張屋」を経営しています。
地上げ、ころがしには縁のない仲介専門店で40名を越える社員を抱え苦しんでいます。
先日、沼津で先輩諸兄に30年ぶりでお会いでき、これまでの音信不通を反省しております。

昭33卒 神 田 敦 子
風間先輩は、知る人ぞ知る錦鯉の大家でいらっしゃいます。こんど、滋賀の田舎に、池をつくり、先輩に弟子入りし、錦鯉に熱中することに致しました。皆様にも、鯉を飼う楽しさを、おすすめしたく存じます。輪が広がるようにと思っています。鯉たちは、きっと恋人のように、かわいいのではないでしょうか?

昭34卒 内 藤 享 佑
三田軟式庭球倶楽部会員皆々様の御指導、御支援の下、8年も監督を努めさせて頂きました。厚く厚く御礼申し上げます。
「全日本制覇」を目指し、遅々としつつも、半歩、1歩づつでも、とにかく前進を!の8年でした。今年は、初の六大学優勝、早慶、同慶両定期戦に勝利し、6年ぶりに2部に復帰できましたが、東日本の8本、全日本の16本はあと半歩でカップに届かず涙しました。しかし、これも、あれも、全日本制覇への半歩、1歩とし、前進を続ける我が部であることを念じます。一層の御指導、御支援のほどお願いします。

昭34卒 内 藤 尚 男
卒業後長い間軟式庭球から遠ざかっていましたが、数年前に一念発起、再び自らプレーすることを始めました。
健康のために、などと言う消極的なテニスではなく、勝つためにテニスをすることを第1の目的としています。(結果的には、惨敗を喫した日に家族に与えるマイナス影響だけを除き、全ての面で健康増進に役立っています。)
当倶楽部のCAPの第1に“軟式庭球部が全国制覇すること”とあります。プレーを通じて、又は体験で得たものを通じて、この目的に少しでも役立てるようになることも、自らプレーすることの目標に加えようと思っています。

昭34卒 森 川 進 一
まずは実力日本一の明治を破って2部へ復帰したことに対し満腔の敬意を表します。
今、倶楽部は実に活性化されつつあると感じているのは私1人だけではないと思います。ユニークな会報が頻繁に発行され、部報も装いを新たに準備されつつあります。無精者もペンを持つ気になれました。
四国の松山から富士山麓へ転勤しました。少しは近くなったのと、暇も出来たので、日吉のコートを尋ねてみたいと思っております。
4年生諸君の門出に幸多かれと祈ります。

昭35卒 橋 本 光 正
昨年6月より日本ゼオン鰍謔閨A塩ビ樹脂の共販会社(第一塩ビ販売)に出向しましたが、何せ4社の塩ビ販売員が集まって出来た会社だけに、お互いに会社のカラーが異なるゆえ大変ですが、一面他の会社の良し悪しがよく解ります。
皆さんも、たまには外から自分の会社を見ることも必要ですよ。
35年卒は毎年1回定期的に会合(GF会)を設けています。早いもので今年で27回になりました。今から30回記念を計画しています。

昭36卒 糸 川 雅 也
初めて体調を崩し入院を体験しました。昭和24年にラケットを握ってから休んだことのなかったテニスですが、62年はまるまる1年間無聊に苦しみました。
幸いにして快方に向かっていますので、ぼちぼち慣らし運転をしようと思っています。それにしても休日といえばテニスに決っていた男の惨めな姿をご想像ください。
何事によらず過信は禁物ですが、皆様も健康には呉々も気をつけてください。

昭36卒 栗 生 盈 一
2部昇格おめでとう。これに満足せずCAPを実施し目指そう。
57年夏、21年間お世話になった丸誠重工を退職、広告代理業・明文館に勤務。不況、停年等で転職の方の多いなか、私は全くの我が儘。しかし言うは易くおこなうは難し右往左往の毎日。経験と人脈は簡単に手に入らず。
子供なし、妻は大阪で実家の家業を継ぎ、現在東チョン。仕事の付き合いがなくても、真っ直ぐ帰らず、左党仲間と痛飲深夜に及ぶことが多い。そろそろ身体を考えなければと自戒の昨今。

昭36卒 水 内  毅 
関東リーグ2部昇格、六大学優勝おめでとうございます。
月日の過ぎるのは早いもので、卒業以来26年になります。仕事、転勤、子育て等が忙しく、テニスとも遠ざかっていましたが、5年ほど前より硬球を近所のクラブで始めました。我がイメージ通りに出来ないのが、年寄りの悲しさでしょうか。それでも自己流に、軟庭の技術を参考にしながら毎週楽しんでいます。
年に何回かは同期の村井、西村、小林等とプレイしています。皆、昔の型と変わらないのが何とも愉快です。
部員の皆様もこれから益々努力され、早く2部より1部へ昇格されることを期待しています。

昭36卒 村 井  靖
風間理事長の情熱とCAPが後輩に通じ、2部昇格が実現したことが、何よりの喜びです。
名古屋に転勤して早や2ヶ月、CAPの精神、中でもコミュニケーションに最重点を置いて、昼夜奮闘中です。
近況を含め、風間新体制を多少でもサポートできた喜び、感想について、部報の原稿を書く予定です。

昭38中退 柴 田 愛 子
大学4年の夏に軽い気持ちで出かけた海外生活が、英、米、カナダと20年を越え、やっと3年程前に、主人(大阪大学)と3人の子供(小、中、高校の男子)を連れ、関西勤務となりました。子供達はいわゆる帰国児で、言葉、社会へのアジャスト等で帰国後しばらく世話がやけましたが、なんとか落着いた昨今です。
さて、回りを見まわしてみると、関西は神戸、奈良、京都と観光、史跡に恵まれたおもしろい所です。どうか、こちらへいらっしゃるチャンスがございましたら、御連絡くださいませ。

昭38卒 寺 本 銀 作
軟庭部での現役時代を、25年経った今思い出してみると、楽しかった合宿と、苦しかった入替戦が頭に浮かびます。
特に1部法政に3対2で塾が勝ち、1部に昇格した時の感激は格別でした。敵に2勝先取され4番手の武井・深澤組もマッチポイントを取られ、敵はこの1発で決めるとばかり深澤君に目がけてレシーブをアタックしてきた、この球を事も無げにストップボレーで決めてから、流れが変わり勝利を得た。お陰で小松原君と組んで、昇格を決める5番手として勝つことができた愉快な思い出は、終生忘れることがないだろう。

昭38卒 深 澤 一 康
現役の諸君2部昇格おめでとうございます。この勢いを続け1部昇格へチャレンジして下さい。
小生松坂へ転勤し、1年8ヶ月が過ぎました。遠くより成績の便りを楽しみにしています。

昭38卒 山 本 比呂志
来年3月で卒業25周年になる。あっと言う間に過ぎた感じ。日吉のコートには卒業後の3年位は結構行った。その中足が遠のき、さらに知った顔の後輩が居なくなり、益々遠のいて行く。皆んなが頑張っている所を、応援に行って見たいと考えてはいるが……。
今期の2部昇格は久々の朗報です。先輩・後輩・現役・皆んなで更に前進の為頑張りたいもの。

昭39卒 益 田 志ま子
結婚して21年目、中1の息子1人、自分でも信じられない年齢になってきました。テニスは全く致しませんが、休日には、馬に乗るようになった息子について、河口湖まで出かけて行きます。
学生時代を思い返してみますと、毎日毎日、日吉のコートに練習に通い、一向上手になる様子もなく、真っ黒になるばかりで、偶然20数年ぶりにお会いした先輩の方に、「色が白かったんですね。」と、声をかけられ、あの頃は、白くなる暇がない程、日に焼けていたと懐かしんでおります。
不器用な私が軟庭部で過ごす事が出来ましたのは、諸先輩、同級生、下級生の方達のお陰だと感謝しております。ちっとも上手にならなかったテニスでしたが、運動を通して色々な心を教わったような気がいたします。大学に入るまでは、運動とは、全く縁がなかった私でしたから、あの4年間は、誠に貴重な体験でした。何も御恩返しは出来ませんが、軟庭部からいただいたものは、たくさんありました。これからも折に触れ、思い出しては、いろいろな心を引き出して使っていきたいと思っております。
最後になりましたが、2部昇格おめでとうございます。

昭39卒 大 泉 隆 子
現在男の子2人で、上は大学生、下は浪人です。主人は福岡へ単身赴任中です。運動不足ですが、テニスはやっていません。来年から、又、ボチボチ始めようかと考えています。

昭39卒 吉 田 光 男
名古屋→大阪→福岡と国内を転々とし、60年に約20年ぶりに東京へ戻ってきました。卒業後は硬式テニスをしていますが、軟式の懐かしさは忘れられません。日吉コートで汗を流した日々も、ほんの昨日のことのように思われます。

昭40卒 大 木 俊 二
62年4月、静岡へ転勤、単身で来ています。
土、日は、できる限り自宅に帰っています。
大学1年になった娘を相手に時々ラケットを握っています。

昭40卒 南 川 洋 子
半年程の間に、2人の父を失いました。
いつかは必ず来ると覚悟してはおりましたが、こんなにも悲しいものとは思いませんでした。

昭41卒 青 木  坦
毎週日曜日にはゴルフ、時々は、家内の相手をするため硬式庭球をやる。家には、家内の外、愛犬モモコ(トイプードル、メス2才、2.2kg)がおり、夫婦の絆を保ってくれる。これが大変可愛いいやつで我が家の中心である。
仕事は、東急ストアに席を置き、トップシューズという靴とバッグの専門店に出向し、早や6年になる。従業員  120名位の小さな会社であるが、家族的で大変居心地が良く、経理中心に総務人事に至まで幅広く受け持ち、マイペースで仕事をしている。

昭41卒 谷 合 盛 子
いつもお便りありがとうございます。主婦をしておりますと、目先の雑用に追われ、毎日を過ごしています。そんな中で、軟庭からの会報を読む時は、ホッと心がなごみます。
どうぞ今後ともよろしくお願いいたします。

昭41卒 山 本  連
卒業後20年過ぎ、当年で45才になります。体力、気力ともに徐々に(かなり?)落ちてきたのが身にしみる今日この頃です。
老令人口の増加が急速に進むことが目に見えており、子供の世話、にならずに、老後を暮らせるように今から対策を考えようと、思っていますが、なかなか妙案がありません。どなたか教えてくださいませんか?他人に教えるくらいなら自分で実行する、などと言わずによろしく。テニスがつづけられることが唯一の条件です。

昭41卒 由 利  純
梅とリンゴ林にかこまれた、桃源郷のようなところの生活。満足しています。娘がテニスを始め、そろそろ私も、といったところです。ゴルフ、温泉、味と上州は素晴らしいリゾート地。家族で、会社の旅行で、ぜひお出かけください。めんどう見ます。

昭42卒 石 田 康太郎
会報いつも楽しく拝見しております。風間理事長、事務局の方には、大変なことと感謝申し上げております。
先日同期7人で(1人欠席)8年振りに宝塚に会し、2日に亘って、ゴルフと宴会に楽しい時を過ごしました。
昨年、関西三田会の方の御世話により、六甲で盛大なゴルフコンペが催されましたが、あのような世代を越えた集まりを企画して戴ければ幸いと存じます。
日頃は何のお手伝いも出来ないことをお詫びし、皆様方益々のご活躍をお祈り申し上げます。

昭44卒 中 島 秀 彦
卒業後、早いもので20年となりました。
現役諸君の最近の活躍を伺い、心強く思っております。
また、現役とOBをつなぐ充実した会報も、楽しく拝読しております。
今後一層の健闘を祈ります。

昭44卒 二 宮 やよい
「今日のお弁当は、お母さんが作ったんじゃないでしょ!ぼくは、お母さんが作ったのが1番おいしいよ。」という幼稚園の息子の言葉にまずドキリ。今まで手作りをモットーにやってきた私が、仕事を始めて1ヶ月、つい冷凍食品に手を出して言われた、しっぺ返しでした。心からごめんなさいと謝る一方、息子がとてもいとおしく、つい抱きあげてしまいました。そしてこの13年間やってきた事は、間違っていなかったと確信した瞬間でした。
追伸、今年から始まった会報、毎回楽しく読ませていただいております。お仕事も忙しい中で、これだけ回数、会報を発行するのは、大変なことと存じますが、どうぞ頑張ってください。
仲々、色々な会合に出席することはできませんが、皆様のお顔を想像できたりできて楽しみです。

昭45卒 高 山 英 幸
小生が入塾の春、1部から2部に転落。以来4年間、何としても1部へと、がんばりましたが、力及ばず、2部生活を余儀なくされました。
今回、とりあえず2部へ昇格、誠に御苦労様でした。更にがんばって、1部を目指してください。朗報をはるか、大阪の地より聞けることを祈っております。がんばって下さい。

昭46卒 伊 藤 裕 子
遠い和歌山で、元気に暮らしています。あまりお肉がたるんでしまわないうちに、皆様にお会いしたいと思っているのですが……。
いつもCAPを楽しみに読ませていたヾいています。頑張って下さい。

昭36卒 川 越 宏 樹
昨年、コンピューターの専門学校を開校しました。求人の節は、どうぞよろしく。(尚、本業の木材屋もやっております。)
青年会議所でも、沼津理事長の大橋君や、山形の中村君、広島の平君などOBにお世話になり、心強く思っています。先日和歌山に行った節は、慈幸、伊藤(旧姓岸裏)、両君と楽しく飲みました。
2部昇格を心からお祝い申し上げ、1部優勝を期待しています。

昭46卒 森 田 静 恵
水と緑の豊かな館林で、夫と3人の子供と元気に仲良く暮らしております。テニスは、今でも時々、友達と楽しくプレーしております。

昭47卒 深 澤 陽 子
只今、満1才の第3子と、京王線仙川駅前の幼稚園に通う年長児の息子を追い回して、運動量は充分とばかり、小田急線以北、京王線以南の生活圏の中に浸りきっています。

昭47卒 冨 士 順 子
結婚後、東京を離れたことと、子供3人の子育てとで、部とも、テニスとも縁のない生活が続きました。昨年、末の子が小学校に入学し、時間に余裕もでき、地区(阪南町)の軟式庭球連盟に入れていただき、週1〜2回ママさんテニスを楽しんでおります。町の大会、連盟杯紅白試合などもあり、今年からは参加して親睦を深めております。
女子部は例年の如く少人数で大変ですが、1人でも部員をふやすように、そしてOGの方を積極的にコートにひっぱり出し練習に試合に頑張って下さい。

昭48卒 石 浜 ひろ子
一昨年、11年勤めた会社を辞め、アルバイト生活を続けています。
思うところあって、辞めたはずなのに、世間はそんなに甘くなかったと、つくづく思い知らされています。
日吉ともすっかり縁遠くなってしまいましたが、皆様の御活躍を新宿の端の方から、お祈りしております。

昭48卒 下 岡 得 二
非公式ではありますが、三田軟式庭球倶楽部関西支部の事務局をやらせていただいております。事務局を始めてから、六大学優勝、2部復帰と現役諸君の活躍ぶりには、感激いたしておりますと同時に、事務局をやったかいがあったと感謝いたしております。
さて、私は妻と子供2人の家庭をもち、阪急百貨店の人事部教養課という所に勤務しております。教養課とは他社でいう教育とか能力開発の部門に当ります。阪急には48年卒以降後輩が1人としておりません。ぜひ当社を志望してみて下さい。

昭49卒 平 本 百合子
町田市に住んで、8年になります。山あり、野あり、畑ありの田舎も、住宅化の波が押し寄せ、驚くばかりの速さで、家が建って行きます。現在は大人4人、子供3人の7人家族で、毎日、家事に明け暮れていますが、後何年かしたら、若かった昔をなつかしんで、テニスなど、してみたいと、ささやかに望んでいます。

昭51卒 植 野 康 晃
2部復帰おめでとうございます。50年秋のシーズンに、1部から2部へ落ちた代として、ホッとします。又1部復帰への第1歩として來シーズンに期待しております。

昭51卒 志 津 文 幸
去る11月5日は私達(妻祐子52卒)の結婚10周年記念日でした。祐子は学生時代の私の進級の絶大なる支援者でした。そして結婚後の10年間もそれは変わりません。おかげで私の心理的負担は増大する一方です。どなたかこの心の重荷を軽くする方法をご伝授下さい。(このくらいヨイショすれば、少しは私の償いになるでしょうか)子供3人も極めて元気で、親の体力も限界です。子供の多い方も少ない方もくれぐれもご自愛を……。ビールに酔いにまかせて。

昭52卒 斎 藤 俊 二
ゼネラル石油に入社と同時に硬式テニスに転向、以来10年間で1500日程テニスに親しんでいます。今年は庭球部長としてチームを率い、日本リーグ出場を目指して鍛錬しております。技術や戦術、ペース配分等、軟式との相違点は多々ありますが、目標達成の為の要件は共通しており、この点で学生時代の経験(失敗)が大いに役立っております。

昭53卒 片 野 次 朗
現役の皆さん、並びに、現役の世話をして頂いているOBの皆さん、今年は本当に御苦労様でした。
六大学優勝、2部昇格おめでとうございます。何のお手伝いもできず申し訳ございませんが、いつも朗報を期待しております。
来年度も主力の4年生がぬけて大変だと思いますが、力を合わせて頑張って下さい。
追 伸 … 53年卒の皆さん。1日も早く会費を払ってください!

昭53卒 冨士山 英 延
横浜へ転勤してきて、早や3年半が経過。「日吉に顔を出さなければ」と思いつつ、意思の弱さか、仕事の忙しさか、納会や卒業生送別会に顔を出すのが、やっとの状態です。
大変お世話になった愛する三田軟式庭球倶楽部です。何とかお役に立ちたいと思い、理事もお引き受けいたしましたが、同期の部費納入情況を見て、更にガッカリです。
年賀状にて再度、同期の協力を要請するつもりでいます。

昭54卒 湯 沢 悦 子
4年前に結婚して佐渡に来た。主人は硬式畑の人で、フォームはきれいと専らの噂。そろそろ引退か?3才の息子は既に保育園通い。ズングリの象さん足。テニスより相撲向き。1才半の娘は細身、土踏まずも大きいし、テニスの英才教育をしようかと思案中。
さて私、2,3年したら佐渡の硬式テニス界にデビューの予定。今1番ほしいのは、少しの間子供を見てくれるおばあちゃん。佐渡に映画館、ケンタッキー、ミスタードーナツ、31があれば言う事無し。元気です。

昭55卒 西ヶ谷 嘉 明
先日、灘主将より2部昇格の吉報があり喜んでいます。
日吉のコートへ足を運ぶ機会もなく、申し訳なく思ってますが、又、静岡で合宿する機会があったらできる限り協力させて頂こうと思います。
2部昇格に浮かれることなく、もうひとつ上を目指して、今後、益々、頑張って下さい。
朗報を期待しています。

昭56卒 黒 岩 比佐子
先日、大学でペアを組んでいた佐々木博子さんの結婚披露宴に出席し、久しぶりに軟式庭球部の友人たちに会うことができました。昔、真っ黒に日焼けして白球を追った仲間たちもみなママさんになっていて、時の流れの早さを感じさせられましたが、博子さんの高校時代、大学時代の多くのテニス仲間が集い、数々のエピソ−ドが披露され、久しく忘れていた、あのテニス一筋の頃を思い出さずにはいられませんでした。
今考えると、とてもあんな生活は出来ません。でも、それができる現役の学生諸君がうらやましい。
私も友人たちもおじさん、おばさんになるにつれ、次第に思い出が美化されていくのがよくわかる年代になってしまったようです。
最後に「博子さん、どうぞいつまでもお幸せに!」

昭56卒 高 橋 京 子
現役の皆様の活躍ぶりを、会報でいつも楽しく読ませて頂いております。2部昇格、本当におめでとうございます。これからは、1部をめざして頑張ってください。
私は、仕事をしながら1児の母で、毎日が時間に追われているうちに終わってしまいます。娘は私に似て頑固でワガママ、ほとほと手が焼けます。それでも、なんとか無事に過ぎていくのは、周囲の人の数々の援助のお陰です。娘がもう少し大きくなり余裕ができたら、日吉にも行きたいと思います。

昭57卒 青 山  周
本年は六大学優勝、早慶戦の勝利、2部昇格と現役の諸君も勝利の味を十分味わったものと思います。来年はさらにもう1段上の目標に向かって邁進されることを期待しています。
このような上昇気運の中で、1番心配なのは何といっても選手獲得難です。私自身、付属校の志木高の後輩に声をかけておりますが、他の諸先輩におかれましても、男子に限らず女子の新人獲得にご尽力いただければ、選手層の厚みも1段と増し、塾が学生テニスの頂に立つことに、必ずやつながるものと思います。

昭57卒 垣 本 耕 一
先日、同慶戦で学生が来た時、一部の学生を含め卒業5年前後のOBが寄ってナベを囲みました。関西では、気軽に行けるコートがないせいか、商いが忙しいのか、なかなか集まるチャンスがありません。しかし、集まったら集まったでやはり昔の仲間、楽しいひと時をすごせました。若い者だけでゴルフコンペをしようという話もまとまり、疎通がちだった交流が、再び(少しずつですが)かよいだしたようです。

昭58卒 平 田 真 司
2部復帰おめでとうございます。私たちが4年生の時に3部に転落し大変申し訳なく思っていました。遠く離れて練習に参加できませんが、3年生以下の方々は毎日の練習を大切にして、頑張って下さい。

昭60卒 末 森  敦
2部復帰、本当に喜んでいます。昭和58年春、入替戦に負けて以来、私にとって、リーグ戦がすべてでした。卒業まで25試合すべてに出場しましたが、優勝は出来ませんでした。それを今回やってくれて、何とも言えない気持ちです。
さて、私は今年からまじめに軟式テニスをやっています。関学で練習するかたわら、神戸のクラブに所属し、一般の大会に出場しています。戦績はもうひとつですが、全日本社会人出場を目標に努力していきます。学生諸君やっぱりロブは必用だ。

昭60卒 荘 司 康 友
87年度は我々OBにとって嬉しい知らせが多くありました。初めての六大学リーグ優勝、早慶戦・同慶戦の連覇、そして5年半ぶりに2部復帰を手にしたこと。
毎年この時期になると、4年が抜けた後の来期の戦略が話題になります。しかし、メンバー変更は毎年のことであり、3年生以下のメンバーで十分だと思います。来期1番の問題はレギュラー陣にとって「初の2部リーグ」ということです。新しいステージでの彼らの活躍を見守りたいと思います。

昭61卒 高 山 洋 司
今年の現役諸君の活躍に心から「おめでとう。」といいたい。そして一層の飛躍を期待する。
ところで今年、三田軟式庭球倶楽部もクラブ対抗戦において春、夏連続優勝をし、2部まで復帰してきました。来年度は是非、現役OB共に、念願の「1部」で活躍できたら、いいですね。

昭62卒 大曽根 智 美
この春、無事に花のOLとなりました。実際にはOLではなく、LL(Laboratory Lady)として毎日、試験管を振り、フラスコをながめる生活をしています。
最近硬式テニスを始めました。おかげで軟テの腕が鈍ってしまいました。どちらにしてもテニスは一生のスポーツとして、長く付き合っていきたいと思っています。

 

 

 

先 輩 と し て の 役 割
                                   昭29卒 岩 井 二 郎
三田軟式庭球倶楽部の会員名簿に記載されて居る方々は、全員、青春の一時期を一緒に過ごされた人達で、共通の楽しみや苦しみを味わい、共通の経験や体験を得る中で、互いに助け合い、切磋琢磨し、影響を与え合ったことと思う。卒業して時がたつにつれて、学生時代のこれ等の経験等が、それぞれの人生の中に強い影響を及ぼしていることに気が付く筈である。このことは誰にも消されない諸君の経験であり誇りであると思う。
今般、現役の諸君が6年振りで、関東リーグ2部に昇格された事は、選手諸君の努力は勿論、監督始め裏方として協力してくださった方や、応援に駆けつけてくれたOB諸先輩等、三田軟式庭球倶楽部が少なからず役に立てた事だと信じたい。
そこで先輩として我々は第1に何をなすべきか。コートに行ける人、納会に出席出来る人、色々とあると思うが、まずOBとして年会費を納入することである。
会報62-1号に記載ある様に、62年度の繰越金としては僅か 143,365円でしか無い。400名を越す団体の資金としては、まことに心許ない額である。三田軟式庭球倶楽部としては物心共現役に対して援助協力する事によって存在価値があると信ずる。

 

 

 

球 児 会 あ れ こ れ
                   昭32卒 諏 訪  弘
☆ 会の生い立ちと名称
球児会は昭和29年卒業の先輩諸兄と32年卒業の仲間が58年春会食の機会を持った際、年に1回親睦の会を開こうと衆議一決し始まりました。名前は29の9と32の2を音よみさせ、世話役の諏訪の独断により名付けたものです。62年まで5回続いています。
☆ 何をする会か?
年代からご想像頂けるようにテニスには苦しい体力の持ち主(失礼!)でもあるのでゴルフの後一夜会食、歓談し三田軟式庭球倶楽部の過去、現在、未来を語り合う会です。
☆ どんな人達が参加するのか?
発足の経緯から上記の2つの年度のOBを中心にその間の卒業の方たち、加えて最近は34年卒までの諸君にも参加願い、輪を広げています。
62年は更に29年以前卒の先輩にお声をかけました所、岩井会長、田中、大石両氏にお出で頂けました。
今までに遠方からは岡本、久米、松田(関西)鎌田(岩手)の皆さんが来られました。
又45年卒以降の常務理事の皆さんを日頃のご苦労に報いるべく会食、宿泊費を無料で招待しています。(45年以前は有料)
☆ いつごろどこで開催してきたか?
毎年秋に沼津で楽しんできましたが特に62年10月は会食、宿泊を34年卒業の森川君が所長をしている、富士教育研修所という所で豪華に開催できました。
☆ 何か得る所があったか?
この会合が契機となり、塾軟庭への関心が一層高まり、三田軟式庭球倶楽部の充実!春の総会開催、六大学初優勝、2部昇格という快挙にいささかのお手伝いが出来たのではないかと内心自負しております。
☆ これからは?
これからも世話役(諏訪)がダウンしない限り続けて行きたいと考えています。先ず63年は62年と同じ場所で10月21日(金)〜22日(土)に開催を決定しています。

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