お世話になった皆様へ
商4 石 野 猛 士 |
| 部報の原稿を書くというシーズンになり、11月の初めから考えていたのですが、上手く自分の思っていることを伝える表現が見つかりません。
ただ申し上げたいことは、OBの先輩に申し訳ない気持ちで一杯であると言うことです。OBの組織である三田倶楽部が益々整備されていくのと反比例して部は弱くなり、挙句の果て、3部降格という、最も避けなければならないことをしてしまいました。深く反省しております。今の私に出来ることは、今回のことを糧として、立派な社会人になることだと思いますので、これからもご指導、ご鞭撻の程よろしくお願いします。
又現役諸君は今度のリーグ戦で必ず2部復帰を成し遂げて下さい。私は日本のどこかで祈ってます。また、出来ると信じています。そこで、君達に今まで見てきた者として、一言残していきたいので、参考にしてもらえたら幸いです。
小川 基本的プレーは安定してきたのだから、バックのレシーブを研究する。
坂本 サーブは入るようになってきたから、威力とコースを向上させる。
菅原 基本的なことは良くなったので、球際に強くなる。
桜井 堅実さを求めているのは良いが、もっと大胆な選手になってほしい。
中村 練習で技術の向上を考えるのは良いが、もっと勝利に対する執念心を持ってほしい。
南 今のままで良いから、もう少し確率を考える。
林田 テニスに対するひたむきさは買えるから、球の威力を向上させる。
山内 フォアは良くなったので、バックとサーブを良くする。
本村 良いものを持っているので何か武器を作る。
浪川 ガッツがあって良いが、謙虚な心を忘れずに。
小田 健康管理に気をつけて、何か得意なプレーを作る。
最後になってしまいましたが、米田先生、内藤総監督を始め、先輩諸氏、同輩後輩の皆さん、本当にお世話になりました。また、ありがとうございました。
野村證券梶@就職
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「振り返ってみて」
経4 今 井 武 志 |
| 私は、12月3日の納会で一応引退しましたが、それまでの4年間で得たものといったら数えられません。
1年生の入学式のあと、混声合唱団もいいなと一時思ったことは、今となってはとても人前では口がさけてもいえません。
4年間で自分自身本当に変身しました。これも体育会に4年いたからこそだと、今、しみじみ思っております。
@ まず、体重が14kgもふえ、これからますますその増加率もアップしそうです。入った当時はヒョロヒョロだったんですが、いまでは「どうしたのその太もも」と言われるぐらいデブになりました。
A 当たり前のことですが、テニスがうまくなりました。うまくなったと言っても一人前には、まだまだ達していないのですが、この現時点の段階で、もう一度1年生からやれたら、もう少しましな戦績が残せるんじゃないかと思います。せめて高校からテニスを始めていたらと思うと残念でなりません。
こんな私も3年生のころ、努力賞(日吉コートに一番来た)を頂き唯一誇れる産物としてありがたく思っております。裏を返せば、一番学校へいかなかったともとれるのですが、これは見逃してください。
B 3番目は、お酒が強くなりました。これもOBの方々の並々ならぬご指導があったからこそ出来た技だと思います。今では夕方が待ち遠しくてなりません。しかし、酒を飲みすぎて、道を歩いている無防備な人たちに、むやみやたらに声をかけるのは自制します。
いま、3つ程書かせていただきましたが、まだまだあります。
とにかく今の私があるのは、体育会という組織があったからこそです。
やや元気不足の後輩諸君、安心して思う存分4年間テニスをしてください。最後になりましたが、米田部長先生、風間理事長、内藤総監督、植松女子部監督をはじめとするOBの諸先輩方、本当にありがとうございました。
………後輩に1つお願い………
コートローラーを絶対にこわすな。(ミラ・パルコよりも高いものなんだ!)
野村證券梶@就職
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LIFE IN LONDON
文4 中 沢 豊 |
10月に行われた関東リーグをもって、中学以来親しんできた軟式テニス、学生としての軟式庭球に一応のピリオドを打った。毎日の練習から開放されて嬉しい反面、その長い期間に実質的に終止符が打たれることは、矢張り淋しいものがある。そして今一つ、悔いがあるといえば、最後の年を最高の年にできなかったことであるが、大学での戦績は、自分なりに満足している。反省すべき事もいろいろあるが、諸先輩方、同期の仲間に支えられ意義ある生活を送れたのではないかと思う。
ところで、私は今、ロンドンにいる。どうしてかというと、理由は多々あるのだが、最大のものは極力時間を有効に使いたいからということになる。この点に関してはタイムリミットを延長してくれた慶応義塾に感謝している。
さてロンドンと聞いて皆さんは何を思い浮かべるだろうか。旅行された方や、住んでいたことのある方はその風景を思い浮かべるであろう。行った事のない方は、霧の街ロンドンを想像したりするだろう。街のイメージは10人10色だと思う。そこで、私の目から見たロンドンを紹介してみたいと思う。但し現在、1ヶ月目なので現時点の印象ということにしておきたい。
第1印象は、伝統的な街ロンドン。近代から建ち続ける建築物は威厳を感じさせる。そして慣れてくると、この街並みがあってこそ人々をイギリス人たらしめていると思えてくる。それはつまり、東京のような殺風景な街並みは、独特の雰囲気こそ持つが、伝統とは無縁のものだ。しかし英国人は、実に伝統を守っている(彼らに言わせれば、かなり変わってきているそうだが)。政治にしろ、文化にしろ、新しいものに対して柔軟だが非常に慎重である。そういえば1つ驚いたことがある。彼らは滅多にカサをささない。すぐに止むから持ち歩く必要がないというが、それでもガンガン雨の中を歩いていく。一見妙な光景である。
セントラルについては知っている人も多いと思うので南の方について、少し書こう。テムズ河を渡ってしまうと有名な場所も市内にはなく、住人の街が散らばっている。そこでは昔風の煙突がある家が同じような顔をして並んでいる。何となく、いい感じである家の中は、GFがキッチン、ダイニング、リビング、そして2階は、寝室になっている。広い家だと寝室が7か8部屋ある。1部屋も8畳前後の広さがあり、外観のイメージよりも広い。裏庭は様々に利用されているが、どの家でもガーデニングには力を入れている。辺りには広い道があるだけで他には公園以外何もない。従って駅から遠いと、かなり不便だと思う。夜は早くに店が閉まってしまう。7時過ぎて営業しているのは、パブのみだ。酒は安い。1パイント(大ビン弱)のビールが300円以下だ。ついつい深酒してしまう。でも娯楽はパブぐらいしかない。
現在までのところ、全体的に気に入っている。英語はそれほど上達していないけれども、住みやすい街だと思う。決して開放的ではないが、自分から動けば人々はとても親切だ。東京で抱くイメージとはかなり異なる街だと思う。
とりとめも泣く思いつくままに書いてみた。すらっと読み流してください。
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年 目 の 正 直
政4 白 駒 伸 春 |
| 1988年12月、オール慶應後の納会も終わり、自分はあることを決心した。1年間をふり返ると悔いの残ることばかりで、特にリーグでは自分が勝っていれば塾の結果が全く違っていたからだ。とにかく残された1年、この悔しさを心に刻み、絶対に借りを返してから卒業しようと決心した。
決心してからの行動は迅速だった。納会が終ると二次会をブッチして合宿所に駆け戻り、「軟式テニス」を読みあさった。数時間後、中沢君たちご一行が泥酔して御帰りになったのでふとんの中にもぐり込みその続きを読んだ。オフの間にはこの他いろいろと読書にいそしんだ。精神的な面で非常に勉強になったのが、ジム・レイヤー著「メンタル・タフネス・トレーニング」で後輩諸君に是非進めたい。またインドアなどをよく見に行き、明治の斉藤君、早稲田の川西君、西村君などを見て、技術的な面でヒントをつかむこともできた。オフの間から体力作りを基本に技術面でのチェックを行い、常に春のリーグに照準を合わせ調整できたと思う。
リーグでは石野君と組んで全勝することができた。いろいろ助けてもらった面も多かったが、2人で1ポイントを取るというテニスが出来た。とりあえず借りは返せたと思った。また小柳君と、夏とオール慶應で組んで、2人でいいテニスが出来たと思う。
春のリーグでは大学からテニスを始めた海老原・今井組が最高のテニスをしてくれて本当に感動した。2人の頑張っている姿は一勝忘れることができないと思う。最高にうれしかった。
今年は本当の意味でテニスを楽しむことが出来ました。これも学さん、中津さんはじめOBの諸先輩方にご指導いただいたからだと思います。本当にありがとうございました。あっという間の学生生活でしたが、すばらしい仲間、先輩方、他大学の友達などに恵まれ、最高の財産が出来ました。卒業後も一生この財産を大切にしていきたいと思います。みんな思い出をどうもありがとう。
日本航空梶@就職
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慶大軟庭部を愛する者より
医4 小 柳 和 夫 |
| シーズンを通して3年以下がだらしないと言う話をよく聞いた。たしかにそう思うし、文句も言えないだろう。それでは4年生はどうだったのか。自分達の力不足もたしかにあったが、それ以外の問題もあったと思う。
まず、もっと技術的指導をすべきだったと思う。現在は上級生にうまい人がたくさんいて、それを見ながら練習できる時代ではなくなった。つまり、何をどう練習すべきかわからず、暗闇の中を手探りしているのと同じ状況にある。だからこそ、もっとしつこく文字通り手取り足取り教えなければいけなかった。これには、下級生の積極的姿勢も必要だ。
2つ目は、もっと必死な姿を見せなければいけなかったと思う。練習はデモンストレーションではないが、4年生がそれだけ必死にやれば、自ずと下は付いてくるものだと思う。また、リベラルな雰囲気のいいが、それはある程度レベルの高い集団には適するが、今の段階では馴れ合いや怠慢を生むだけだと思う。
次は、現役諸君に対して。
まず、常に闘争心を持って練習してほしい。テニスは対人競技なのだから、相手よりも精神的優位にたち、また自分を奮起させるために、どんな状況でも闘争心を持ってやってもらいたい。わが部に一番欠落しているのは、この闘争心である。この「心」があれば、技、体は自然とついてくると思う。うまくやろうとしないでほしい。闘う集団になれ。
2つ目は、受動的でなく能動的に練習してほしい。どんな練習でも自分の目的を見つけられるはずだ。球拾いだって走ってやれば体力がつくし、フットワークの練習にもなるだろう。人の長所、短所をじっくり見れば、自分のプレーの参考になるし試合も有利だろう。
3つ目は、大きな目標と小さな目標を、常に念頭において練習してほしい。小さな目標をどんどんクリアーし、頂点を狙って欲しい。
最後に自分自身は4年が終った今でも悔いが残っている。それはイメージした練習を自信が持てるまでとことんできなかったからである。現役諸君には時間があります。質・量とも充実した練習をしてください。ただ、4年間は本当に短いということを忘れないように。1球無駄にすれば2球、1日無駄にすれば2日、それを取り返すのに時間がかかると思って日々精進して練習して下さい。これが4年生として最後のお願いです。
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我が素晴しき仲間
法4 海老原 康 弘 |
僕は、大学4年間の思い出の殆んどが、体育会軟式庭球部に尽きます。そしてここに、感謝の意味もこめて同期の仲間に今、一言ずつ書きます。
〈小柳和夫 医・塾高出身 後衛〉通称ネコ。彼の嫌いなものはエアサロと消火器。好きなものはお酒。その酒で彼は数々の話題を提供してきた。酔って電車の中を走りまくって、寒いのに片っぱしから窓をあけたり。またこんなこともあった。試合前夜の活動のせいかNコーチに「アスリートとしての体力」まで心配されたこともあった。
しかし入替戦ではすばらしかった。それ以降4年になって苦手なサーブ、バックも何とか克服し、安定した核となって活躍した。また人一倍必死でもあった。
しっかり進級してくれ。
〈白駒伸春政・柏陽高出身 前衛 〉彼はさわやかフェイスでロマンチスト。同慶戦の京都では紅葉したもみじを何やら拾って集めていたとか。
彼は自分でも言うように3年までの自分の失敗を無駄にせず、4年で活躍した。特に春のリーグでは、今までとは全然違っていた。4年になって成果を出すというのは慶応体育会らしい姿であると思う。
また、彼とは合宿所でも一緒に生活し有意義な日々だった。(と思う)
今後もよろしく。
〈今井武志 経・洛南高出身 前衛〉彼の生態は不可解である。彼の下宿先の留守電も奇妙な内容が多く(1日中シャワーを浴びているとか、夜中に学校に行っているとか)私生活が良く分からない。しかし、彼は妙な生活を苦ともせず、主務をほぼ完璧にこなした。部活動を滞りなくできたのも彼のおかげである。
しかし、今井とはよくけんかもした。ペアの僕もよく文句を言ったが彼にあげボールが悪すぎて練習にならないと言われたのをはっきりと覚えている。
4年間お疲れ様。
〈中沢 豊 文・横浜南高出身 前衛〉石野が技術的主将としたら彼は精神的主将といえるかもしれない。彼は3,4年になって合宿所にとまる回数が増し、コートのみならず、24時間部員をひっぱっていた。タフな男である。原さんや梶原さんにゲンドウを注意されながらも試合ではしっかりしたところを見せ、頼りになった。現在はロンドンにいるが元気にやっているだろうか。
戻ってきたらまた飲みたい。
〈石野猛士 商・厚木高出身 後衛〉今最も幸せな男イシノ。今まで合宿所が電話中だったのは彼のせい(彼女のせい?)と思って間違いない。また、彼はコートでは強いが「鳥せい」では弱く、始めて見るものには中沢が主将なのではと思ってしまうほど。
しかし、石野は1年からレギュラーとして1番出世し、チームの中心となってクラブを引っ張っていった。
大変な主将お疲れ様。
〈伊賀真理 経・姫路高出身 後衛〉通称イガマリ。イガマリはつねに明るく大きな声でいつどこでも笑いをふりまいているのでイガマリの周りにいると暗くなるということはありえない。しかし、イガマリも4年になって変わった。我々に感化されたのか酒が入ってからは22の女の子とは思えない過激でストレートでデンジャラスな発言もバシバシ出てきた。
そんなイガマリも少ない部員を主将としてよくまとめてきた。
お疲れ様でした。
彼等が私の同期たちだ。長いようで短かった4年間、同じ目標を持ってやってこれたことは最大の宝だと思っている。本当にみんなありがとう。そして最後になりましたが米田部長先生、内藤総監督、小林監督、植松女子部監督をはじめOBの先輩方、いろいろと本当にありがとうございました。
現役のみんなもありがとう。来年は、厳しい年になると思うけどがんばってください。
ゼネラル石油梶@就職
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最高の贈り物
経4 伊 賀 真 理 |
| もうすぐ、4年間の大学生活、そして10年間の学生テニス生活を終える。いろいろな人に出会い、多くのことを経験し、様々な想いを味わった日々であった。こんなにも素晴しい時が過ごせたのも、本当にたくさんの方々のお蔭だと、感謝の気持ちで一杯である。そして一番お礼を言いたい2人に、この部報の原稿を贈りたい。
それは、いつも私を応援し続けてくれた父と母である。中1の秋の新人戦から高3の春のインターハイ予選まで、ほとんどの試合に2人で見に来てくれた。当時は、照れもあり厭でたまらず「来ないでよ」と怒ったり、試合会場を教えなかったりしたこともある。家族の理解の中でテニスが出来て幸せだと気付いたのは、つい最近である。
父は自分の夏休みのほとんどを私の試合を見るために使ったらしい。また、時々テニスの練習の相手もしてくれた。そして、試合の朝早く家を出る私のために、必ずお弁当を作ってくれたのは母であった。試合の合間でも食べ易い様にと、おにぎりを1個ずつ包んでくれた。泥んこになったテニスウエアやくつ下を洗ってくれたのも母である。
姫路での生活は、両親に頼りっぱなしだった。私は、中学、高校と随分気が強かったが(今でも相当強いと言われるが)それは、どんなに外で強気でいても、家に帰れば甘えられる両親がいてくれたからだと、実家を離れて初めて気付いた。
1枚の板の上を歩くとき、それが地面の上に置いてあれば、誰も簡単に歩ける。しかし、それが深い谷に掛けてあれば、恐くて歩けないだろう。私は板の上を簡単に歩いてきたつもりだったが、それは両親の愛という大地に支えられた板の上だったのだ。親が子供を愛するということは、子供の人生を支えるということでもあるのだ。
また両親は、自由に伸びやかに私を育ててくれた。4年前、「慶應の雰囲気が私には合わない」とその進学に私は迷い悩んだ。その時母の「長い人生のうちの1,2年なんて無駄にしてもいい。合わないと思ったら、学校をやめればいい」という言葉は、私の心を軽くしてくれた。修学旅行には行けず、バイトに明け暮れた学生時代を送った父は、私のやりたいことに対して、最大限の援助を惜しまなかった。
この4年間の大学生活と、10年間のテニス生活は、私の一番大切な宝物となった。そして、それは両親から贈られた一等素敵な贈り物でもある。この贈り物に対して、父と母に心から感謝したい。
大阪ガス梶@就職
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