慶応義塾體育會ソフトテニス部

 

東京六大学軟式庭球連盟設立60周年を記念して 当時、奮闘尽力された大先輩方の情熱・ご苦労の
足跡レポートが SOFT-TENNIS MAGAZINE 2012年8月号に掲載されました


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下記は我が部、初代六大学連盟・理事長・井上眞治さん(昭和29年卒業)の東京六大学軟式庭球連盟設立に至るまでの回想記です。

昭和27年(1952)6月に誕生した東京六大学軟式庭球連盟は歴代各校理事の献身的な努力で春秋リーグ戦は運営され、一度の滞りもなく昨秋目出度く第120回大会が開催された。
平成22年秋から昭和50年代卒の各校OBの企画で六大学マスターズリーグが開催、SOFT-TENNISMAGAZINEに紹介され斯界の注目を浴びていることは誠に悦ばしい。
連盟設立に当たった理事達は平成元年から当時を回顧する会を持ったが、次第に人数が増え年代も広がり、同7年以降毎年連盟設立の6月に「懐古“六連設立”の集い」として集まっている。今年は60周年ということで41人が参加し、SOFT-TENNIS MAGAZINEの取材も入った賑やかで和やかな楽しい会になった。その様子は同誌2012/8月号に紹介されている。

 軟庭(軟式庭球=ソフトテニス)は最も競技人口の多い競技であったが、塾の庭球部が大正2年(1913)硬式に転進し、逐次各大学が追随して以来大学界では疎んじられていた。
昭和24年(1954)学制改革で新制大学になった際、体育実技が必修科目となり競技人口最多の軟庭は再び脚光を浴びる事となった。
元来軟庭は、明治初期に東京高師(現筑波大)に米人教師によって紹介された硬式庭球のボールが入手困難なため、遊技用のゴム鞠を使ったことに始まり、大学によって盛んになった競技は、その卒業生が赴任した中学校や、就職した企業で拡め競技人口最多となった。

 塾・軟庭部では再び日の目を見た軟庭を一層拡めるには原点に戻って大学がその任に当たるべきだ、それには東京の否日本の大学の頂点にある東京六大学が結集するべきだと考えた。早速各校に働きかけ行動に移ったが戦後の貧困の時代で容易に全ての合意は得られず、漸く同26年秋に合意に達し具体化した。
従来の早慶東・明法・法立の定期戦を統合して春秋のリーグ戦とする。対戦組数を7組として多くの選手に経験を積ませレベルの向上を図る。大学の代表リーグに相応しい活気と理性ある試合振り・応援振りを示し軟庭の良さを紹介する。その為には観衆を集められる日比谷公園コートでの開催に努力する。新聞の報道を促すため予定や結果を新聞社・通信社に持ち込む。このリーグ戦を永続させるため、自律と責任のある連盟組織とし、六校が輪番制で当番校として運営に当たる。
以上の趣旨を日本軟庭連盟・日本学生連盟に報告し、連盟設立の認可とリーグ戦の後援を仰ぎ目出度く船出したのが60年前である。

井上眞治(慶応義塾大学 昭和29年卒業)

慶応義塾體育會ソフトテニス部