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  慶應義塾・塾員招待会に参加して―卒業50周年塾員招待会―  
                                                     2007年(平成19年)4月
 
  毎年、卒業式に卒業後25年目の塾員を招待し、新卒業生の社会への門出を祝福していただくのが「卒業25年塾員招待会」。そして「卒業50周年塾員招待会」では、卒業後50年目の塾員を入学式に招待し、新入生を祝福していただいています。つまり慶應義塾大学を卒業した人は、人生で2度、入学式と卒業式の感動を味わえるのです。さらに、毎年5月に「卒業51年以上塾員招待会」を盛大に開催。青春時代の思い出が残るキャンパスで、多くの塾員たちが元気に旧交を温めている光景はとても感動的です。(塾員ホームページより)  
 

     ソフトテニス          佐々木芳也
塾卒業後も会社卒業後も、多くの塾員(友)との出会いがありましたが、今回の五十年の集いに、より広い旧交を温めたことは、家族を含めた健康、無事があっての幸運と感謝の気持で一杯です。そして、今もって仕事に係われる有難さにも感謝です。多くの周年行事に巡り合ってきましたが、来年は塾創立百周年に次ぐ百五十周年、そして銀婚に次ぐ金婚に向け、リスクの多い世の中を、より長くアクティブシニアで生かされたいと願っています。
     卒後五十年          諏訪 弘
  早いものでもう卒業五十年が過ぎました。卒業後しばらく没交渉でしたが、昭和五十八年に「球児会」というゴルフ会を故風間先輩の下で立ち上げ運営のお手伝いをしたのが楽しい思い出です。
 現在は七十歳平均の同好の方々と「軟式」テニスを週一回楽しんでいます。
 最近現役の戦績がわかりませんが、頑張っていることと思いますので、一層の努力を期待します。
      卒後五十年          藤岡 嗣倫
 大学での四年間は人生の本の一部に過ぎないが、卒後五十年自分はソフトテニス部OBであることを通じて横だけではなく縦にも大きく広がった輪の中で恵まれた人生を送ってこられたと思う。退職後は一層この輪との関わりが深まり、それを楽しんでいる。また、偶に学生諸君の激しいラリーの応酬を見ているとなんとなく血が騒ぐ感じに嬉しくなったりもする。これからも感謝しつつこの恩恵を享受したいと願っている
      或る回想          宮内 健彦
 招待を受けて、大学の入学式に参列した私は、日吉記念館の式場内を見渡すうちに、ふと想いは遠い過去に遡っていた。五十年前、この場こそ我等軟式庭球部のテニスコートがあった場所である。
 整然と並んだ五面のコート、そこには懐かしい顔が、さまざまなプレーが昨日のことのように鮮明に浮かんでくる。
 夕刻、薄暗くなったコートに、なおスマッシュの音が聞こえてくる。「あと一本!」この甲高い声は誰の声か、確か、もう幾度目かの「あと一本!」である。
      塾卒業五十周年に招かれて          前田 利一
 春の小雨に濡れながら、我々七名の同期の仲間は久しぶりに銀杏並木通りを「日吉記念館」へと歩いていた。この記念館は五十年前、我々部のテニスコートがあったところで、数々の思い出が浮かんできたが、やはり印象が深い思い出は、三十一年夏の酒田合宿である。佐藤俊二先輩のご実家である銘酒造「金久」さんの酒倉で「禁酒、禁煙、禁麻雀」という厳しい中でも楽しかった合宿生活であった。佐藤家の皆様の温かいお持て成しもさることながら、四人の美人姉妹の方々との練習後の夏の夕方の淡い交流は、青春の爽やかな思い出として蘇る。後に、三女の淳子さんが同期の藤岡夫人となり、我々八人の仲間は、各々の仕事をリタイヤ後も皆夫婦ともども楽しい交流の場を重ね、思い出を共有しながら人生のサードエイジを楽しめるということは、塾での四年間の強い絆のおかげと感謝している。
      俺の人生          岩本 義人
 テニスを始めたのは慶應高一年、一五二cmでは選手など夢であったが、猛烈に練習し、レギュラーとなった。卒業時は一八○cm、体も精神力も成長し、文武両道テニスのおかげで経済学部へ入学した。大学二年からレギュラーとして多くの試合に出場し、喜怒哀楽を味わい卒業し、先輩のお世話で三越に入社、おまけにミス庭球部の登志子結ばれた。これもテニスのおかげ。仕事を猛烈にやり、予定通り昇格、役職で定年。卒後五十年を経て親しく付き合っているのは昔のままのテニスの仲間。俺の人生テニスのおかげ、大成功であった。